第35話「特殊破壊兵装」
猛々しく吠えたドワーフが真っ先に倒れた。老鬼の拳を退けるほどの頑丈さを持つ屈強な戦士だったが、その握力に敗れた。堅牢な鎧が歪み、盾が割れて、彼は立ち上がることもなく血を広げた。
盾がなくなり、魔術師が倒れた。長々しい詠唱は恐怖に舌がもつれて破綻し、制御を失った魔力が暴走した。そこへ老鬼が爪を突き立てれば、紙の人形のように呆気なく崩れ落ちた。
獣人は俊敏に動いていたが、やがて追い詰められた。血を多く失い、視界も曇るなかで健闘していたが、どれだけ素早く床を駆けようとも長い老鬼の腕からは逃れられない。僅かにふらついたその瞬間に、老鬼によって払い飛ばされた。
だが。
『ガァ……ァ……』
ドワーフの斧が老鬼の片脚を落とした。彼は盾持つ腕を犠牲にしながらもそれを厭わず。肉を切らせて骨を断つ異常の覚悟で一矢報いた。
魔術師の火球が老鬼の眼を焼いた。灼熱の炎は決して消えず、鬼の体を侵略する。肌を焦がし、肉を溶かし、その脅威的な再生能力を封じた。
狐の斥候はしぶとく動き続けた。骨が砕け、血を吐きながらも、強靭な精神だけで体を動かし、時間を稼いだ。
探索者たちの決死の覚悟と揺るぎない気迫が、僅かな希望を繋ぐ。
そして、託された炎を受け取る者がいた。
「エネルギー充填完了。特殊破壊兵装“万物崩壊の破城籠手”展開」
青い炎が吹き上がる。疾風と共に現れた彼女は、白いフリルを踊らせて、軽やかに床を蹴る。その両腕に、青い光が纏われていく。
「亜空間拡張構築理論展開。マギウリウス仮想凝集体存在固定。基幹世界的アイデンティティ干渉術式構築。情報的防御障壁発動――」
まばゆい光が次々と爆ぜ、そのたびに彼女の身体に変化が現れる。
これまでの戦いが前哨戦に過ぎないことを、そこにいる全員が思い知った。
メテル、ホルガ、ルーシー。三人が決死の覚悟で稼いだ5分が、次の1秒へと繋がる。
「敵性存在、抹殺します」
アヤメが軽く腕を振る。
次の瞬間、巨大な鉄拳が老鬼の顔面を潰した。
『ガァアアッ!?』
前触れのない急襲、予想を遥かに上回る衝撃、赤く染まる視界、そして絶叫も途切れるほどの激痛に、ハイオーガはのたうち回る。何が起きたのか理解できないまま、急速に再生する眼球でそれを認める。
打ち倒したはずの女が立っていた。彼女の双拳に従うようにして浮遊するのは、巨大な鋼鉄の籠手だ。青い炎の尾を流し、開いた薄板から熱気を放っている。右の籠手にべっとりと塗られた赤い血を見て、老鬼はようやくそれに殴られたことを自覚した。
「生存を確認。追撃を行います」
冷淡な言葉が並べられる。軽い響きと共に高く跳躍したアヤメが、腕を振り上げた。その動きに追従し、鉄拳が握られる。
衝撃の余韻と混乱が、老鬼の反応を鈍らせた。
直後、降り掛かる圧倒的な暴力。ハイオーガの頭蓋を潰し、血を撒き散らす。
「任務完了」
ただの二撃で沈黙した老鬼を見下ろし、アヤメは淡々と呟く。
しかし、まだ戦いは終わらない。
「……ガ……ガ、ァ……ッ!」
ダンジョンコアの莫大な魔力を受けた老鬼は、もはやハイオーガという分類の外に到達していた。
その再生能力はもはや頭を潰した程度では止まらず、不死に等しい力へと昇華された。どれほどの血を流しても無尽蔵の魔力がそれを補い、嵐のような魔力の流れが無理矢理にでも動かし続ける。もはや老鬼に意識と呼べるものはない。それでも、湧き上がる本能的な衝動だけを身に宿し、立ち上がる。
「ガアアアアアアアッ!」
咆哮は迷宮を揺らし、アヤメに反射的な回避行動すら取らせる。
ゆらりと幽鬼の如き不気味さを伴って立ち上がった鬼は、虚ろな瞳を彼女に向ける。
周囲に転がるホルガたちには見向きもせず、敵意と殺意を垂れ流しながらゆっくりと歩み出す。その眼が捉えるのは、アヤメただひとりである。
「修正。任務を再開します」
アヤメもまた、敵の評価を改める。
ダンジョンコアとの融合という未知の事態によって、相手が異常な能力を有した。あれを抹殺するには、ただ特殊破壊兵装を振るうだけでは足りないと判断した。故に彼女は、一段階ギアを上げる。
「
重く響く唸り声をあげ、籠手が震える。内蔵されたリアクターが最大出力で動き出し、大気中のマギウリウス粒子を飲み込み始める。凝縮と循環を繰り返し、エネルギーの全てが籠手へと供給されていく。
「ガアアアッ!」
狂気に取り憑かれた老鬼が、悠長に佇むはずもない。鋭利な爪を伸ばして飛びかかってきた魔獣を、アヤメは機敏な動きで避ける。籠手の内側に刻まれた目盛りがひとつ、青く染まる。
「ふっ!」
アヤメが息を吐き、籠手を叩きつける。
「ガァッ!」
その一撃は老鬼の腕を折るが、大した隙は作れない。即座に骨が固まり、再生する。有り余る魔力を使い、老鬼は即座に身を立て直す。反撃とばかりに拳が迫る。
アヤメは籠手を彼我の間に差し込み、側面の装甲で受け止める。まるで生身の打撃とは思えないほどの衝撃と音が広がるが、特殊破壊兵装にはわずかな凹みもない。
「被弾。被害は軽微」
後方へ跳躍し、追撃を避けながらアヤメは冷静に状況を分析する。
目盛りがまたひとつ、青く染まる。
「ふっ」
再びアヤメの打撃。老鬼は腕をクロスさせて阻むが、彼女の容赦ない鉄拳は二本の腕ごと鼻を打ち砕く。滂沱の如く血を流しながら吹き飛ぶ老鬼だったが、跳ねるようにして立ち上がり、再び迫る。
アヤメの吐息が熱を帯びる。全身が過熱を帯びていた。それでも彼女は止まらず、メイド服を翻す。
「特殊破壊兵装、固有シーケンス実行準備」
籠手が甲高い音を放ち始める。表面に青い光が走り、高密度のエネルギーが循環する。
目盛りが青く染まる。
「エネルギー充填完了」
アヤメが足を止める。明確な隙の発露に老鬼が歓喜の声を上げる。彼は渾身の力を拳に湛え、猛然と走り出す。それでもアヤメは不動を貫く。勝機を失い、絶望したか。老鬼がその魂を貫かんと迫る。
その時、彼女の瞳が光を放った。
「――実行。“崩壊の号鐘”」
籠手の後方、ノズルが限界まで開く。吹き上がる蒼炎は獣の咆哮に似て、その勢いは波濤を裂く戦艦に迫る。硬く握り締められた鋼鉄の拳はその勢いに乗せた力の全てを余すことなく老鬼へと注ぐ。
「――ッ!」
互いの勢いがそのまま激突し、弱い方が押し負ける。
老鬼は拳を砕かれ、腕を潰された。それでもなお勢いは衰えず、鉄拳は突き進む。
頭が弾け、血が広がる。拳は突き出される。
熟れた果実のように潰れながら、それでも老鬼は強靭な再生能力を発揮させていた。破壊と同時に再生を始め、傷を合わせ血を補う。どれほどの打撃を受けようとも、決して死ぬことはないと。
だが、ほくそ笑む老鬼の勝機は砕かれた。
『――ッ!?」
彼の身に取り込まれ、中心に宿る魔力の凝集。ダンジョンコアに封じられた莫大な魔力の核とも言うべきそれに亀裂が走る。
何故だ、と疑問に思う暇もない。
実体がない故に、その核を破壊することなどできないはずだった。あらゆる攻撃も素通りし、無限の力を供給する赤き心臓。それが呆気なく捉えられ、潰されていた。
「コアの崩壊を確認」
醜悪な肉塊となった老鬼を見下ろし、今度こそアヤメは決着を確信する。
暴走状態に陥った閉鎖環境を強制的に終了させるための唯一の手段。あらゆる攻撃に対して耐性を持つダンジョンの心臓を貫ける唯一の杭。それこそが特殊破壊兵装である。
コアによる魔力供給を失った老鬼の骸は急速に風化していく。その実体を維持するだけの余力すら残さず、瞬く間に灰燼と化す。
アヤメはその様子を眺めながら、赤熱した“万物崩壊の破城籠手”を開放する。白い湯気と共に光を歪ませるほどの熱気が放たれ、急速に冷却されていく。自身もまた呼吸を繰り返して体内に帯びた熱を逃していくと、思考もまた落ち着いてきた。
「アヤメ」
彼女の耳が、声を捉える。
振り返るとそこに、満身創痍の少年がいる。ゆっくりと足を踏み出し、そのまま倒れそうになる彼を、アヤメはそっと抱き抱える。
「ありがとう、アヤメ」
彼女の腕の中で、ヤックは薄く笑う。その表情を見ていると、何故か再び頭が加熱していくのを感じた。アヤメは冷却を加速させながら、浅く頷く。
「任務完了。――お怪我はありませんか、マスター?」
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