第34話「正当なるマスターよ」
危機的な状況のなか、“魔王の間”に懐かしい声が飛び込んでくる。メテルたちは驚きをもって振り返る。
「ヤック!? それに、フェイド!」
ルーシーが叫ぶ。
解き放たれた扉の前に立っていたのは、全身に傷を受け、血を流すヤックだ。そして、彼は自分よりも重傷を負ったフェイドを支えている。
「どうしてここに……!?」
「第五階層で出会ったんだ。アヤメにこれを届けるために、フェイドと一緒に来た」
ヤックはそう言って、手に握った徽章を見せる。
ルーシーたちにはそれが何かは分からなかったが、現状を打破する唯一の手段であることを直感的に理解した。
「とにかく、まずはフェイドの手当てを」
「わ、分かったわ」
ヤックに請われ、ルーシーは急いで動き出す。第五階層をヤックを守りつつ走り抜けてきたフェイドは、いくつもの致命傷を受け虫の息だった。今、呼吸をしているのが不思議なほどの状態に、ルーシーも覚悟を決める。
彼女は全身を奮い立たせ、内に宿る魔力を呼び起こす。そして、彼の傷を塞ぐように、その力を流し込む。
“大牙”の切り札のひとつ。彼女の稀有な才能である治癒魔術。これにより、瀕死の重症であっても魔力さえあれば癒すことができる。
ルーシーは莫大な魔力を惜しみなく注ぎ込み、消えかけているフェイドの火を灯す。
「ヤック……」
その間、メテルとホルガは気まずい心地でヤックと見合っていた。彼女たちが言い淀んでいると、ヤックは苦笑して首を振る。
「謝罪はあとでいくらでも聞くよ。僕もみんなに謝りたいことがある。でも、今は二人に頼みがある」
彼はそう言って、手のひらにある徽章を見せる。
「ダンジョンボスを倒すには、アヤメにこれを渡すしかない。けれど、彼女がこれを展開するのに時間がかかる」
「つまり、時間を稼げってことだね」
「そういうこと」
彼らの背後では今も激戦が繰り広げられている。
老鬼とアヤメ、双方が共に決定打に欠け、戦況は膠着していた。しかも、勝敗の天秤は徐々にハイオークへと傾きつつある。悠長に話していれば、やがてアヤメが敗れるだろう。
「分かった。どれほど稼げばいい?」
ホルガが盾を構えて頷く。
「5分」
「長いね」
「けど、必要なんだ」
徽章は特殊破壊兵装の封印形態に過ぎない。これを使えるようにするには、アヤメが時間をかけてマギウリウス粒子を流し込み、兵装展開を行わなければならない。そのために必要な時間が、5分。
ダンジョンボスを相手に稼ぐには、絶望的に長い時間だった。
しかし、彼らは即決する。
「必ず5分で終わるんだね」
「うん」
「なら、任せな」
彼らもまた、諦めることを知らない探索者たちだった。
「アヤメ!」
打ち合わせを終えて、ヤックが名を呼ぶ。しかし、アヤメはそれに反応する素ぶりも見せず、老鬼と戦い続ける。
まるで彼に関する記憶すら失っているかのようなその姿に、ヤックは胸に痛みを感じた。それでも、諦めない。
「マスター、フェイドは気を失ってる! 権限は僕に委譲された!」
マスター権限を、当事者の了承なく委譲できるのはフェイドが実証済みだ。今この場に気を失っているフェイドが実際にいるのならば、なおさらである。
ヤックの声を聞いたアヤメが、注意を向ける。そして、彼の手に握られ高く掲げられた青刃の短剣――ブレードキーを見た。カメラアイがキリリ、と動く。それが彼女の思考を静かに表していた。
「特殊破壊兵装を持ってきた。展開の時間はみんなが稼いでくれる。だから、戻ってきて!」
「――マスター」
アヤメの顔に戸惑いが浮かぶ。
短時間にマスターが二度も切り替わり、システムがイレギュラーを検出する。しかも、フェイドはヤックが死亡したと言っていたのだ。死んだはずの元マスターが生存し、ブレードキーを掲げている。
情報量が指数関数的に増大し、演算リソースを圧迫する。自己修復を後回しにしていた電脳部分が加熱し、パフォーマンスが低下する。
「うぉおおおおおっ!」
その時、ドワーフが猛々しい咆哮を上げた。ホルガは大盾を構えて老鬼の前に躍り出て、斧を振り上げる。後に続くのはルーシーの放った火球だ。
『ギィィィア』
横槍を刺された老鬼が憤る。そして、矮小な彼らへと狙いを移す。
「アヤメ!」
ヤックが叫ぶ。
HK-01F404L01――アヤメは猛然と駆け出し、彼の元へと向かう。
「仮マスター認証を――」
「いいえ」
手を差し出すヤックに、アヤメは首を振る。
特殊破壊兵装は非常に強力な武装であり、その使用には正当な理由が必要となる。仮マスター権限では、扱うことができない。だが、その説明を悠長にしている暇はない。だから――。
「マスター認証を行います」
「むぐっ!?」
小さな少年の顔を手のひらで包み込むように固定して、彼女は唇を近づける。
驚きに見開かれる目をじっと見つめながら、唾液を採取し生体認証に必要な遺伝子情報を採取する。魔力パターンよりもさらに詳細で強固な個体識別子が流れ込み、アヤメの電脳に深く強く刻まれる。
「登録完了。認証完了。――仮マスター、ヤックを正式なマスターに登録しました」
舌を引き抜き、濡れた口元を拭いながら、彼女はそう言って微笑みを浮かべる。
「な、な……」
急展開に理解が追いつかない少年を見下ろしながら。
凍りついていた彼女の、秘められた力が氷解していく。
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