第33話「魔王の誕生」

 硬い盾が激突するような高い音が響く。


「なっ――」


 目を開いた彼の視界に飛び込んできたのは、衝撃にはためくロングスカート。華奢な背中に白いフリルが踊っている。地面に突き立てたヒールが深く爪痕を残し、衝撃の凄まじさを雄弁に語る。

 だが、それでも。彼女は細い腕の一本で老鬼の拳を受け止めていた。

 満身創痍、ボロボロだった身体が修復されている。肌は白く輝き、紫紺の髪が扇状に広がる。青い瞳が、冷たくハイオークを睨みつけている。


「なんという……」


 ホルガは絶句する。その身で直接受けたからこそ、老鬼の力が半端なものではないことを知っている。今でも盾を構えていた左腕は猛烈な痺れを伝えているのだ。それほどの衝撃をあのか細い腕だけで受け止めるなど、有り得てよいことではない。


「現場からの退避を推奨します」


 肩越しに振り返り、青い瞳がホルガを見る。彼女の声ではっと現実に戻ったホルガは、慌てて駆け出した。次の瞬間、老鬼がもう片方の拳を突き込む。アヤメは身をずらすことで紙一重で避け、風を受けて黒髪を広げる。


「ホルガ! 待って、今治癒を――」

「先にメテルを治せ。俺はその後でいい」


 ルーシーたちの元へと戻ったホルガは油断なく盾を構えながらアヤメと老鬼の戦いを見る。闘争に飢えたハイオーガはホルガへの興味を早々になくし、対峙するアヤメに笑みを向けている。


「あいつ、あんなに強かったのかい」


 ダンジョンボスを相手に、真正面から拮抗しているアヤメを見て、メテルが唖然とする。彼女の知るHK-01F404L01という名の人形は、あそこまで機敏に動けないはずだ。いったいどういうカラクリなのかと首を傾げる。


「あいつは最初から言っていた。それを聞かなかったのは、俺たちだ」


 後悔の念を滲ませながらホルガが言う。

 スポットで横たわる彼女は、最初からずっと強く訴えていた。道具の言うことだと侮り、聞く耳を持たなかったのは自分たちだ。


「すごい……」


 アヤメはスカートの裾を広げて鋭い蹴撃を叩き込む。それだけで老鬼が大きく怯み、後退する。繰り出される速度と破壊力に満ちた拳を軽々といなし、大きく傾いた体に反撃を突き出すのだ。

 戦況は拮抗している。その事実が何よりもホルガたちを驚かせた。

 フェイドが裸足で逃げ出し、メテルもホルガも太刀打ちできなかった強大な魔獣を、たった一人で武器も持たずに抑えているのだ。

 だが、それでも体格による差は覆しがたい。アヤメは驚くほど健闘しているが、それでも徐々に押されつつある。更に、彼女は頑なに背中を向けて、その立ち位置を保ち続けていた。


「アヤメはなんで、私たちを守ってくれるの……?」


 ルーシーが疑問をこぼす。

 アヤメの動きは、明らかに制限されたものだ。それは老鬼の攻撃が“大牙”へと向かないように立ち位置を変えないためのものであることはすぐに分かる。


「――フェイドから命令を受けたからだろう」


 ホルガはすぐに思い当たる。

 老鬼の圧倒的な覇気に怖気付き、逃げ出したフェイド。彼が去り際にアヤメに押し付けた言葉。罵詈雑言に飾られながら下された命令。パーティ“大牙”を守護せよ。彼女はその命令を忠実に遂行しているのだ。


「そんな、あの言葉を守ってるの!?」


 ルーシーが目を見開く。

 彼女も、ヤックからアヤメを奪ったフェイドの所業は側で見てきた。だからこそ、信じられない。あれほどの扱いを受けてなお、なぜその命令に従うのか。


「それが彼女なんだろう」

「でも、そんなの死んじゃうわよ!」


 ルーシーの悲鳴に重ねるように、ひときわ大きな音が響く。二人が驚いて目を向けると、アヤメが背中を反らせて宙に舞っていた。


「アヤメ!」


 その腕に深い亀裂が走っているのが、二人の目にも見える。メイド服を泥と埃に汚しながら転がったアヤメは、即座に跳ね起きる。油断なく追撃を加えてきた老鬼の拳を間一髪のところで避け、再び懐に潜り込む。しかし、その動きは僅かに歪んでいた。


「駄目だ。壊れるぞ!」


 完全に傷を癒やし、圧倒的な強さを見せるアヤメですら、迷宮の主には勝てない。そんな絶望をホルガたちは目の当たりにする。


「問題ありません。自己修復可能な損傷です」


 だが、彼女は退かない。それどころか、戦いの中で動きを最適化していく。

 老鬼の腕の振り方、足の運び方を全て記録し、分析する。搭載された情報集積回路を励起させ、敵の行動を予測していく。情報の収集、分析、予測、修正。それを瞬間的に実行し、絶え間なく繰り返す。

 衝撃を受け流す動き方を学び、損傷率の低い回避を実践する。初めて対峙する存在への対処法を、リアルタイムで構築していく。


「なんて奴だ……」


 ホルガが絶句する。ルーシーもまた唖然としていた。

 アヤメは徒手空拳でダンジョンの頂点を圧倒しつつあった。彼女の手刀が肉を抉り、彼女の蹴撃が骨を砕く。一撃一撃が必殺の威力を帯びて、着実に老鬼を追い詰めていく。

 彼女の能力を見誤っていた、とホルガたちは思い直す。彼女はそれほどまでに強かった。ただ純粋に硬く、素早く、強かった。


「これなら、あのボスも倒せるんじゃ――」


 ルーシーが希望を見出したその時だった。


「ギャアアアアアッ――!」


 突如、老鬼が絶叫する。床に爪を立て、耳を劈くような声を上げる。

 突然のことにアヤメも攻撃の手を緩めてしまった。その途端に老鬼は身を翻し、部屋の奥へと走り出す。


「逃げた!」


 ルーシーが叫ぶ。だが、アヤメはむしろ焦燥しているように見えた。ホルガがその違和感を口にする前に、思わぬところから声が上がる。


「ダメだ。あっちには、ダンジョンコアが――」

「メテル!?」


 メテルが血相を変えて叫ぶ。彼女の言葉で、ホルガも老鬼の意図を察した。

 ダンジョンコアは莫大な魔力を有する結晶体。それを飲み込めば、その力が直接流れ込む。人間には耐えられないほどのものであったとしても、魔獣ならば。それも、長い時の間を迷宮の最強者として君臨し続けた大魔獣ならば。


「いかん、奴を止めなければ!」


 ホルガが動き出すが、それはあまりにも遅きに失していた。

 ガリン、と何かを噛み砕く音が響く。気味の悪いほどの静寂が訪れ、やがて地の底から響くような暗い笑声が聞こえる。

 次の瞬間――。


「か――ぁっ――!」


 部屋の奥から、アヤメが勢いよく飛ばされてきた。

 彼女はそのまま力なく床に転がる。腕があらぬ方向へと曲がり、破れた関節から金属の部品が飛び出している。バチバチと青い火花が弾け、異常な痙攣を起こしていた。

 あれほどハイオーガを圧倒していた彼女が、一蹴されただけで満身創痍となっている。ホルガやルーシーの目から見ても、彼女が無事ではないことはすぐに分かった。


「だ、大丈夫なの!?」

「大丈夫なはずがないだろう」


 ホルガの声に緊張が滲む。彼は盾を持ちあげ、油断なく前方を睨む。

 アヤメの姿を見れば、尋常ではない事態が起こっていることは明白だ。そして、相手が容易く逃走を許さないことも。


「かなりヤバいんじゃないか?」

「ひっ」


 メテルが傷付いた体に鞭打って立ち上がる。奥から現れたものを見て、ルーシーが悲鳴をあげた。


「いったい、何をしたんだ」


 彼らの前に現れたのは、ダンジョンの頂点に君臨するハイオーガ。しかし、その姿はつい数秒前までのそれとはあまりにも大きく変貌してしまっていた。

 赤黒い肌は岩のように硬質化し、爪は鋭利な剣のようだ。爛々と金に輝く瞳には知性がない。肥大化した体は強靭な筋肉の鎧を纏い、その雰囲気を大きく変えている。


「実験体が、ダンジョンコアとの融合を果たしました」

「なにっ?」


 驚きをもってホルガたちが振り返ると、アヤメがぎこちない動きで立ちあがろうとしていた。明らかに動ける状態ではないにも関わらず、彼女は苦悶の表情すら浮かべずに動き続ける。

 アヤメが重症の状態で、ホルガ達に勝利の道筋はない。ダンジョンコアとの融合が何を意味するのか全てを理解したわけではないが、それの持つ強大な力は肌で感じていた。


「ひぐっ」


 ルーシーが崩れ落ち、瞳から涙をこぼす。光の見えない状況に心が折れていた。

 それは、ホルガとメテルも同様だ。


『ギヒィ』


 老鬼は彼らをいたぶるようにわざとゆっくりと近づいて来る。

 その時だった。


「――アヤメ!」


 彼らの背後から、聞き馴染んだ声が響く。

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