第31話「共闘」

 第五階層へ繋がる階段を駆け降りる。急がなければ、時間がない。

 暗闇のなか、明かりもないまま進む。その手に最後の希望を握りしめて。


「うわっ!?」


 前だけを見て走っていた僕は、それに気が付かず盛大に躓く。握り込んだ徽章を失っていないのを確認してから振り返り、思わず目を見張った。


「フェイド……!?」


 階段に座り、蹲っている男がいた。顔はやつれ、生気が感じられない。僕を蹴っていた彼とはまるで違う。けれど、それは紛れもなく彼だった。僕が気を失っていた間に、いったい何があったのか。


「何を……」


 周囲を見渡しても、誰もいない。彼一人、茫洋として座り込んでいる。


「フェイド!」


 その胸倉を掴んで名前を呼ぶ。何度か揺さぶると、ようやく彼は目を動かした。


「ヤック……」


 声に覇気がなかった。僕が気を失っていた間に何があったのか問いただすと、彼はポツリポツリと話し出した。

 アヤメを使って、ボスの待つ“魔王の間”まで強行したこと。そのせいでアヤメが疲弊し、ボスに一蹴されたこと。そして、自分は仲間たちを置いて、逃げたこと。

 無我夢中で第五階層を駆け抜け、長い階段を前にして正気を取り戻してしまったのだろう。亡者に取り憑かれていたような彼は、落ちぶれた哀れな男に戻っていた。

 全てを諦め、迷宮の底で死を待つ彼を見て、沸々と怒りが湧いてきた。


「フェイド」

「なん――ッ!?」


 力の限り、彼を殴る。

 驚愕する彼を見下ろし、睨みつける。


「何を勝手なこと言ってるんだよ。どこまで我が儘なんだよ!」


 こんなに怒るのは初めてだった。燃え盛る感情と同時に、それを遠巻きに見つめる自分もいた。

 僕から大切なものを奪っておいて、それを容易に捨てて逃げた彼は、どうしても許し難い。ここで死ぬなんて、そんな逃げは許さない。


「仲間を捨てて、希望まで捨てて。お前は何なんだよ!」


 彼は横柄なところもあったけれど、それでも優れたリーダーだった。

 仲間の特技をよく理解して、最適な動きを組み立てることに長けていた。パーティが上手く動けば、彼は司令塔に徹して、剣を抜くことなく勝利することもできる。誰が何と言おうと、彼は優秀な探索者だ。

 なのに、今の彼にはその面影もない。全てを投げ捨てた抜け殻のようにしか見えない。

 僕は彼の胸ぐらを再び掴み、その額に思い切り頭をぶつける。


「がっ!? てめぇ、何を――!」


 反射的に彼は怒りを露わにする。


「目を覚ませよ! 逃げるな、諦めるな! どんだけ劣勢でも戦い続けろ!」

「ッ?!」


 誰から教わった言葉なのか、よく分かっている。だからそれを、彼に返す。

 優秀な探索者は強い探索者じゃない。どれだけ傷ついても、絶望しても、地の底から這い上がる奴だ。たった一度の失敗で、諦めて逃げるような奴は、三流にすらなれない。


「僕を失望させないでくれよ。前を見続ける君が、好きだったんだから」


 辛い扱いを受けながら、それでも“大牙”の荷物持ちを続けてきたのは、フェイドの探索者としての生き様に感銘を受けていたからだ。彼だって、順風満帆の道を歩んでいたわけではない。ずっと第二階層で燻っていた。

 でも、諦めず、作戦を練り、試行を繰り返し、挑戦し続けた。

 その不屈の精神に僕は憧れたんだ。


「――すまん、ヤック」


 フェイドが絞り出すように声を発する。

 顔を上げると、彼は男前な顔を台無しにして、唇を噛んでいた。


「これを、返す」


 僕の胸に青い短剣が押しつけられる。握っていた徽章がそれに反応して淡い光を放った。まだ諦めてはいけないと言われているような気がした。

 僕はブレードキーを受け取り、腰に差す。そして、フェイドの顔を見る。


「フェイド、君を頼りたい。第六階層まで僕を守ってほしい」


 僕の放った言葉に、彼は信じられないという顔をした。

 一度ならず、二度までも裏切った自分になぜ、と言いたげだ。


「一度や二度の失敗がなんだよ。また、そこから這い上がるのが探索者だろ」


 初めて彼と対等になれた気がした。憧れ続け、背中を見続けていた彼と、真正面から相対することができていた。

 彼も同じことを思ったのかもしれない。

 フェイドは腰に吊った妖精銀の片手剣を勢いよく引き抜き、その表情に生気を漲らせる。


「道はわかるんだろうな」

「任せて。全部頭に入ってる」


 短剣を鞘に納め、紐を首にかける。もう二度と手放さない。

 第五階層は魔窟だ。フェイドがここまで逃げてこられたのも奇跡だろう。だったら、その奇跡にもきっと意味がある。

 僕はフェイドと視線を交わし、互いに頷く。


「行くぞ――ッ!」

「ああっ!」


 僕らは同時に走り出す。第五階層は正真正銘、深層に分類される魔境だ。到底、僕ら二人で潜り抜けられるものではない。それでも、行かなければ。


「前からハイオーク!」

「何っ!?」

「左の角だ、気をつけて!」


 暗闇のなか、ダンジョンの曲がり角からハイオークが現れる。幸運なことに、一体だけだ。けれど、はぐれでも生き残れる実力の持ち主ということも考えられる。


「ガアアアッ!」

「らあああっ!」


 手に握っていた棍棒を振り上げるハイオークの懐に、フェイドが果敢に飛び込む。そして目にも止まらぬ早業で脇下の腱を切りった。


「チッ。浅いか」

「すごいよ、フェイド!」


 彼の思惑から外れた結果らしいが、僕は思わず感激していた。彼が使っている妖精銀の片手剣は軽いが脆い。まったく刃こぼれさせることなくハイオークの硬い皮膚と分厚い脂肪に包まれた強靭な腱を切るなんて、相当な技量がなければできない。


「うるせぇ。ろくに使ってねぇ武器持ちやがって!」


 力を失い、ハイオークの腕が落ちてくる。フェイドはそれを避け、豚に似た醜悪な顔に剣を突き刺した。


「しかし、手入れはよくできてるな」

「あ、ありがとう……。って、フェイド!」


 不意に褒められて驚いたのも束の間、通路の奥から新たな影が現れる。戦闘の騒ぎを聞いて、もう別の魔獣が現れたのか。

 僕は咄嗟に石を拾い、投げる。


「うおっ!? 危ねえな!」


 それはフェイドの鼻先を掠めるようにして、彼の背後に迫るハイオークの目を打った。


「あんまり戦闘してたらどんどん集まってくる。最深部を目指して駆け抜けよう!」

「俺に指図するんじゃねぇ!」


 そう言いつつも、彼も僕の方針に賛同してくれる。

 僕はフェイドと肩を並べて、一心不乱に迷宮の通路を突き進む。

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