第30話「君に届けるために」

 目を覚ました僕は、まず安堵した。魔獣に食い殺されていないことが分かったからだ。

 全身に感じる痛みがまだ生きていることを実感させる。フェイドに殴られ、蹴られ、意識を失ったけれど、生き残った。


「……行かないと」


 無事が分かれば、すぐに動かなければ。フェイドを止めないといけない。

 アヤメのマスターになった彼は、そのままボスに挑むだろう。けれど、今のアヤメではボスを倒せない。彼女が求める特殊破壊兵装リーサルウェポンを見つけなければ。

 そうじゃないと、みんな死んでしまう。


「ぐぅ……っ!?」


 立ち上がろうとして、激痛に悶える。一命は取り留めたけど、満身創痍には変わりがない。このままでは満足に動けず、魔獣に啄まれる。

 絶望の淵に立たされたその時、不意に指先が冷たいものに触れる。目を向けてみれば、見覚えのある小瓶がそこに転がっていた。


「ルーシー……?」


 ルーシーが調合した薬を封入するために使っているガラス瓶だ。中には濃緑色のどろりとした薬液が入っている。

 まさかとは思ったけれど、僕は彼女を信じることにした。

 これは、彼女がフェイドの目を盗んで置いていってくれた助けだ。


「んっ、ぐっ!?」


 封を開け、中身を一気に煽る。

 喉に張り付くような不快感と、本能が拒絶する不快な味。吐き出してしまえと体が訴えるけれど、必死に耐えて力尽くで飲み込む。胃のなかにあっても分かる強い熱に、奥歯を噛み締めて耐える。

 内臓がひっくり返りそうだ。肌が裏返りそうだ。様々な不快感が一度に襲ってきて、毒だったのかと疑った時、突然体の底から活力が湧いてきた。


「うわあっ!? や、薬効だけは相変わらずすごいんだな」


 急変っぷりに驚きながらも感謝する。ルーシーの薬が効いていれば、僕も動ける。


「探さないと、特殊破壊兵装を」


 荷物は全て捨てる。オーク革のインナーも、今は重たい荷物にしかならない。

 最低限の服だけを残して身軽になった僕は駆け出した。第四階層の構造は全て頭の中に叩き込んである。アヤメと事前に話し合って、特殊破壊兵装がありそうなところにはあたりが付いている。


「っ!?」


 曲がり角を進もうとして慌てて立ち止まる。身を隠し、息を殺し様子を伺うと、ハイオークの群れがたむろしていた。

 今の僕にできるのは隠れ潜みながら進むことだけ。見つかれば、即殺される。

 脳内の地図からルートを練り直し、別の道を行く。その途中で、湿った地面を見つけた。


「よし、ラッキーだ」


 ぬかるんだ地面に手をつけ、泥を全身に塗りたくる。闇に同化できるし、匂いも抑えられる。不快感に文句をつける余裕なんてものはない。

 ルーシーの薬のおかげか、緊迫感への反動か、僕は高揚感すら覚えていた。溜め込んでいた知識を駆使して、魔獣の警戒を掻い潜る。時には向こうの習性を利用しながら、先へと進む。


「動ける。体が動く!」


 自分は何もできないと思っていた。

 第二階層の魔獣にすら敵わない。それは事実だ。

 でも、僕はいま第四階層を生き延びている。オークやゴブリンの動きが手に取るようにわかる。今までの経験から、彼らがどのように考えているのかが分かる。

 石を投げて注意を逸らし、その隙に駆け抜ける。小柄な体の利点を今ようやく理解することができた。

 いつも背負っているリュックサックがないことで、体は羽のように軽かった。


「あそこだ!」


 辿り着いたのは第四階層の片隅。一見すると、何の変哲もないただの壁だけど、あそこは必ず開く。でも……。


「ブレードキーは、持ってないんだった」


 あれを翳せば、壁が開く。けれど、フェイドに取られてしまった。

 でも諦めちゃダメだ。何か方法があるはずだ。


「――よし」


 生唾を飲み込み、覚悟を決める。僕はわざと物音を立てて歩き、存在を周囲に知らしめる。


「来いッ!」


 迷宮内では許されない蛮行だ。声は頑丈な構造壁に木霊して隅々にまで響き渡る。

 そして、それを察知した魔獣たちが一斉に動き出す。


「グオオオオッ!」


 通路の奥から現れたのは、屈強な身体をしたハイオークだ。太い棍棒を掲げ、牙を剥いている。僕の存在を認めた彼は、凶悪な笑みを浮かべた。餌を前にした獣の笑いだ。

 赤黒い体は筋肉が隆起し、太い血管が浮き出ている。口から見える太い牙は鋭く、噛みつかれれば腕なんて容易く千切られるだろう。


「まだだ。まだ動くな」


 足が震えてへたり込みそうになるけれど、必死に耐える。拳を握り、自分を鼓舞する。ここで負けたら、全てが終わる。誰も助からない。

 まだ、まだ。オークが猛然と走ってくる。その背後から、大量の魔獣が追いかけている。混沌とした波のように、凶悪な力の集合が迫る。その距離が極限までゼロに近づく。


「今ッ!」


 棍棒が振り下ろされた瞬間、オークの股下に向かって飛び込む。耳元で響く風切り音を聞きながら、地面を蹴って横に跳ぶ。ウサギのように地面を跳ね、力の限り距離を取る。

 小さい体も、たまには役に立つらしい。

 次の瞬間、轟音と共に埃が舞い上がり、魔獣たちの悲鳴と骨が折れるグロテスクな音が聞こえた。

 頑丈なダンジョンの構造壁も、凶暴化した魔獣の攻撃には耐えきれない。しかも、飢餓に苦しみ、判断力を失った奴らに統率はない。先頭を走っていたオークは後ろから迫る魔獣に押し潰されて圧死した。ギリギリのところで耐えた魔獣も、敵意を後ろの同族に向ける。そして、醜い同士討ちが始まった。


「ガアアッ!」

「ギャアッ!」


 金属を引っ掻くような悲鳴がそこかしこで上がり、乱闘が始まる。混乱は混乱を呼び、魔獣たちがお互いを殺し合う。息を潜ませ、気配を消していた僕は、壁に開いた大穴の中へと忍び込む。


「――見つけた」


 第四階層に封じられていた武器庫。そこに収められている、最強の兵器。

 アヤメにしか装着、展開のできない最強の武器。

 それは長い時を経てなお輝きを失わず、台座の上に安置されていた。

 それと知らなければ信じられない、小さな小さな徽章だ。銀と青に輝き、その存在を示している。


「特殊破壊兵装」


 僕はそれを手に取り、第六階層に向かって駆け出した。

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