第29話「迷宮の楼主」

 かくして、フェイドたち“大牙”は“老鬼の牙城”第六階層に待ち構える最後のスポットへと到達した。しかも、彼らはほとんど無傷であり、体力にも十分な余裕を残している。


「マ、ギウリウス、粒子……隔離区域……到達、いたしま……」


 しかし、彼らの先頭に立ち、強大な魔獣を屠り続けたHK-01F404L01は、稼働もままならない人工声帯を歪に震わせる。灼熱の火球や鋭い牙を受けた彼女の表皮は剥がれ落ち、金属フレームが剥き出しになっている。紫紺の髪は千切れ、眼球の片方は潰れている。そして、胸には無数の矢が突き刺さったままになっていた。


「フェイド! 流石にこれは、かわいそうだよ!」


 最後のスポットへと辿り着き、HK-01F404L01はついに倒れる。彼女の元へ駆け寄ったルーシーは、目の端に涙を浮かべて訴えた。

 しかし、彼女の痛切な声はリーダーに届かない。


「だから何なんだよ。そいつは人間じゃないんだぞ。ただの道具だ」


 冷ややかな目で見下ろすフェイドに、ルーシーはたじろぐ。彼女が腕に抱えるHK-01F404L01は、化けの皮が剥がれたように人ならざる部分を露にしていた。


「同情は無駄だ、ルーシー。フェイドの言う通り、そいつは人間じゃない」

「ホルガまで……」


 ルーシーは愕然として仲間を見る。メテルが彼女の元へと歩み寄り、そっと肩に手を置いた。


「よく見なよ。こいつはこんなになっても平然としてる。痛みすら感じてないんだ」

「でも……」

「こいつの強さは散々見ただろ。ほっとけば自動で直るんだろ? だったら、転がしておけばいい。こいつがあれば、あたしらは楽して稼げるんだ。ボスを倒して、信頼も取り戻せる。ゴミ攫いなんてしなくて良くなる」


 姉のように慕っていたメテルの口から飛び出した言葉に、ルーシーは耳を疑う。彼女はそんなことを言うような人ではなかったはずだ。

 しかし、今のメテルは熱に浮かされたような目で、ルーシーの肩を強く掴んでいた。


「ボスさえ倒せばいいんだ。そうすれば、俺たちは元に戻る」


 ホルガも譫言のように呟く。

 目の前で人の形をした存在が魔物に嬲られる光景は、三人の精神も確実に蝕んでいた。彼らもまた、徐々に正気を失っていた。かつての栄光に縋るため、現実を直視していないのだ。


「そうだ、ボスだ」

「ボスを倒せばいいんだ」


 彼らは倒れたHK-01F404L01の腕を引っ張り、強引に立たせる。

 このスポットは、ダンジョン最奥に位置する最後の安全地帯であり、祈りの場だ。この先に待ち構えるのは、ただ唯一の部屋。そこに待ち構えるのは、ボスと呼ばれる最強の魔獣。

 “老鬼の牙城”のボスとして君臨するのは、その名に冠する“老鬼”の通称で知られる巨大なハイオークだった。

 ダンジョン内最強のボスを倒せば、相応の富と名声が得られる。それこそが、探索者たちが命を賭して目指すものなのだ。


「警告。現在の機体状態ではこれ以上の戦闘が続行できません。マギウリウス粒子の補給を行なってください」


 HK-01F404L01が切実な声を発する。


「は?」


 しかし、それに対して与えられたのは、無慈悲な拳だった。

 HK-01F404L01は避けることもできず、再び土の上に転がる。そこへ、さらに容赦のない蹴りが放たれた。


「何口ごたえしてんだよ! お前は言われた通りに動けばいいんだ!」

「も、うしわけ有りません」


 激昂したフェイドの暴力に晒され、HK-01F404L01は謝罪を口にする。

 その異様な光景を止める者はいない。ルーシーは地面にへたり込み、静かに泣いていた。


「ほら、行けよ」


 冷たい声がHK-01F404L01に行動を強制させる。

 マスターの命令は、絶対である。

 HK-01F404L01は残存マギウリウス粒子の全てを使い切り、できうる限り機体を再構築していく。それでも到底足りないことは理解していたが、それを伝えることは許されなかった。

 スポットの奥に待ち構える、古い扉がある。その先に“老鬼”が待ち構えている。


「任務を遂行します」


 HK-01F404L01が扉を押し開く。

 そして、次の瞬間――。


「は?」


 HK-01F404L01はフェイドたちを飛び越えて、スポットの入り口まで吹き飛ばされた。

 その現実を理解できない彼らの前に、扉の奥から赤黒い腕が現れる。それは分厚い扉の枠を掴み、ぬらりと姿を現す。両眼を爛々と光らせる、巨大で歪な体格をしたハイオーク。その姿はフェイドたちの予想を遥かに超えて凶悪な力を宿していた。

 一眼見ただけで、彼らは気がつく。自分たちが不相応な存在であると。彼にとって、取るに足らない存在であると。――扉を開けてはならなかったと。

 遥かに高い位置にある鬼の顔が巡る。久しぶりの解放に歓喜し、獲物を探していた。


「お、お――」


 フェイドが声を震わせる。そして、唖然としている三人の仲間に指示を出した。


「お前ら、そいつを抑えろ! お、おお、俺は助けを呼ぶ!」

「はぁ!? 何言って――!」


 信じられないとメテルが振り返る。次の瞬間、轟音が風を切り、巨大な瓦礫が彼女の顔を掠めた。


「ひぃぃぃっ!?」


 情けない悲鳴と共に、足音が遠ざかっていく。

 フェイドが逃げた。それを確かめることなく、メテルたちは確信する。自分たちは置いていかれたのだ。彼が逃げるための餌として。


「クソ!」


 メテルが激昂する。ホルガが唸る。


「二人とも落ち着いて! 三人で協力すれば、逃げられる!」


 そんな中、ルーシーだけが前を向いていた。

 彼女は取り残されたメテルたちを鼓舞する。足は震え、杖を落としそうになりながらも、虚勢だけで立っていた。

 “老鬼”と戦って勝てるほど自分たちは強くない。そんなことは分かっていた。それでも、統率を失えば全員が死ぬ。それならば、立ち向かわねばならない。

 ルーシーの叫びに、メテルたちははっとする。今更になって目を覚ましたような顔をしていた。


「すまない、ルーシー」

「どうかしてたよ」


 彼女の前に二人が立つ。ダガーを握ったメテルと、大盾を構えたホルガが、真っ直ぐに老鬼を射抜く。窮地の中で、彼らは結束を思い出した。

 二人は憑き物が取れたような晴々しい表情をして、ハイオークを見上げる。通常のそれとは明らかに一線を画す、巨大な個体だ。戦意を露わにして、黄濁した眼をこちらに向けている。


「行くぞッ!」

「応ッ!」


 それが勢いよく拳を振り下ろした瞬間、彼らもまた走り出した。

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