第28話「強行軍」

 迷宮“老鬼の牙城”第四階層。その奥にあるスポットで自己修復にリソースを集中させていたアヤメは、聴き慣れない足音を察知して警戒を高める。


「よう、邪魔するぜ」


 上体を起こした彼女の元へ現れたのは、見覚えのある四人。以前、ヤックがパーティを組んでいたという探索者たちだ。マスターを見捨てた彼らのことを、アヤメは好ましく思っていない。

 警戒感をさらに高める彼女に、リーダー格の男が歩み寄った。

 彼は口元を緩め、品定めするかのようにアヤメの肢体へ視線を這わせる。


「残念だが、ヤックは死んだぜ」

「……」


 アヤメは黙って男を睨む。彼の背後に立つ三人のうち、人間族の女が僅かに動揺していたが、彼の言葉を否定する者はいなかった。

 アヤメは暫定的に彼らを敵対する存在として認定し、武装を確認する。そして、男の腰に見覚えのある剣が差してあることに気がつく。

 妖精銀の片手剣。それはヤックが装備しているものだ。それをこの男が持っている理由を推察し、正式に敵対存在と認識。マスターが危機的状況にあると判断し、機体の修復を待たずに動き出す。


「おっと! まあ、待てよ」


 しかし、彼女の拳が男の頭蓋を粉砕する前に、彼は懐からそれを取り出した。

 透き通る美しい青刃の短剣。施設の関係者を示すキーブレード。それを持つ存在を、アヤメは攻撃できない。


「死に際にあいつが言ってたんだ。アヤメはフェイド様に譲るってな」


 嘘である。

 アヤメはフェイドの挙動を見て即座に判断する。

 しかし一方で、彼女の電脳にインストールされた各種規則がその思考を阻む。職員が致命傷を負った際、ハウスキーパーの所有権限を他者に委譲することができる。ヤックがそれを行ったという可能性を排除しきれない。


「そう言うわけだ。これからは俺がマスターになる」


 フェイドがブレードキーを突き出し、その先端でアヤメの衝撃緩衝胸部装甲を持ち上げる。女性の乳房を模して設計されたそれを見て、フェイドは情欲を目に浮かべていた。

 言いようのない嫌悪感がアヤメの中に湧き上がる。しかし、マスター権限を委譲された可能性のある人物に危害を加えることは、彼女に許されない。


「ほら、さっさと契約しろよ」


 フェイドの顔が間近に迫り、熱い吐息がアヤメの顔に降りかかる。彼女はエプロンの横から男の手が侵入し、ドレス越しに指が這う感覚に更なる嫌悪を覚えた。

 しかし、彼女の思考とは裏腹に、規定されたプログラムが動き出す。


「HK-01F404L01より申請。仮マスター契約の締結を求めます」


 アヤメの手がぎこちなく持ち上がる。その手をフェイドが強く握る。

 自動的に魔力パターンが測定され、仮マスター認証のプロセスが進行する。

 彼女の中に記録が書き換えられ、認識が改変されていく。

 数度の瞬きののち、アヤメは視界に映る男の姿を捉え、自然に判断する。


「――初めまして、マスター」


 彼女が恭しく一礼すると、男は深い笑みを浮かべた。

 彼は後ろを振り返り、仲間たちに向かって高らかに宣言した。


「どうだ! これで俺は最強だ! コイツがいれば、第四階層……ダンジョンボスだって倒せる! 俺たちは一躍、有名人だ!」


 スポットに笑い声が響き渡る。やはり、女が一人、浮かない顔をしていた。

 HK-01F404L01はマスターフェイドの背後に控え、沈黙する。まだ機体の修理は終わっていないが、それはマスターの護衛という最大の任務を中断する理由にはなり得ない。彼女は残存するマギウリウス粒子を全て消費し、仮の脚部構造を構築し、欠損した左膝下に当てた。これで、最低限の行動は可能となる。

 フェイドが振り返り、アヤメの顔を乱暴に掴む。顎を持ち上げるようにして、彼女の唇に触れそうなほど近づき、粘ついた笑みを浮かべる。


「これから、第六階層にいくぞ」

「フェイド!?」


 突拍子もない宣言に、女が驚いた顔で叫ぶ。

 第六階層に待つのは、ダンジョンの頂点――生態系の最上位捕食者に君臨するボスだ。


「だ、ダメだよ。アヤメも傷付いてるし……」

「は?」


 迷宮の底へ向かおうとするフェイドを、女は阻む。しかし、男はその手を乱暴に払った。


「何を怯えてるんだ? お前だって、共犯なんだぞ」

「それは……」

「俺たちがこのまま戻っても、また。だから、土産が必要だろ?」


 フェイドはそう言って、歩き出す。獣人とドワーフがその後に続く。

 取り残された女は、絶望に打ちひしがれながら、とぼとぼとその背中を追いかけるしかなかった。


「おい、魔獣が出たら殺せよ」

「かしこまりました」


 マスターの命令は絶対である。

 HK-01F404L01はスポットの外に出たことでマギウリウス粒子を取り込み始め、自己修復を加速させている途中だったが、粛々と頷く。そして、彼女は命令の通り、遭遇した全ての魔獣を、その身を犠牲にしながら退ける。


 第四階層。

 ウィンドネイルとブラックハウンドの群れに遭遇し、それを撃破。

 ゴブリンメイジ、ハイゴブリンの群れに遭遇し、それを撃破。

 装甲に損傷が発生するが、稼働許容範囲内。


「はは……。やっぱりこいつの力じゃねぇか。アイツは何にもしてねぇんだよ!」


 HK-01F404L01の強さを目の当たりにしたフェイドが、笑みを深める。彼の側に立つメテルやホルガも、彼女の尋常ではない力に驚愕していた。


「おら、進め! 第六階層まで突っ走れ!」


 フェイドの言葉が鞭のようにアヤメを叩く。彼女は機体の修復を優先するべきだと判断していたが、それよりもマスターの指令の方が優先順位が高かった。連戦に次ぐ連戦、それも単騎での戦闘はハードな消耗を強いられる。魔獣の群れと交戦することも多々あり、彼女のマギウリウス粒子収支はマイナスだった。急場凌ぎの応急修理を続けるのが限界であり、徐々に出力が低下していく。


「ね、ねえ。少し休んだほうが……」

「何言ってるんだよ。こいつは道具だぞ? 休ませる必要はないだろ」


 途中、ルーシーが休憩を提案するが、マスターはそれを拒否する。HK-01F404L01は進行継続を強いられる。戦闘行為に支障をきたすが、マスターの命令により任務は続けられた。


「早く行けよ! とっとと倒せ!」


 第五階層。

 ハイオーク、ハイゴブリンウォーリア、ハイゴブリンアーチャー、ハイゴブリンメイジ。マスターが被弾する可能性を考慮し、防御行動を行う。結果、左腕大破。修復には時間がかかると判断し、進言するが、拒否。


「スポットに着いたら休ませてやるよ。そこまで止まるんじゃねぇ」


 任務の暫定的な目標が設定される。そこまでの距離を概算するが、不明瞭な点が多数あるため、予測不可能。情報の提供を求めるも、口答えするなと解答を拒否される。

 資源、情報、エネルギー、すべてが不足していた。


「魔獣を倒せ、俺たちを守れ。文句を言うな。反論するな。黙って従え!」


 それでも、マスターの指示は絶対である。

 HK-01F404L01はただ、粛々とその命令に従い、与えられた任務を遂行する。

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