第24話「不吉な予兆」
鈍い打撃音がして、ハイゴブリンの一匹が沈む。アヤメがスカートを翻し、人間族の子供よりよほど重たいそれを天井まで蹴り上げていた。しかし、まだ戦いは終わらない。体の伸び切ったアヤメを狙って、灼熱の火球が向けられる。
「任せて!」
僕は彼女のすぐ側を駆け抜け、前に出る。ゴブリンメイジの持つ魔法杖の先から火球が放たれる前に、妖精銀の剣を振り上げる。胸を逆袈裟に切る一撃は浅い。ゴブリンメイジの息の根を止めるには至らない。しかし、魔法の術式を破綻させるには十分だ。
「ありがとうございます。マスター」
そして、それだけの時間が稼げればアヤメがやって来てくれる。彼女が
アヤメは危なげなくゴブリンメイジの首の骨を折って、その命にとどめを刺した。
「ふぅ。お疲れ様」
「ありがとうございました、マスター。お怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫。アヤメのおかげだよ」
“老鬼の牙城”第三階層。中層に分類される危険域へとやって来た僕たちは、早速魔獣の群れによる洗礼を受けていた。
階段を降りて早々に遭遇したのはハイゴブリンの戦士三匹とハイゴブリンアーチャー二匹、更にゴブリンメイジ一匹という大所帯だった。さすがのアヤメも一度に六匹のゴブリンを相手取るのは難しく、僕も剣を抜いて加勢した。
とはいえ、僕の戦果はゼロ。アヤメの周囲を走り回ったり、ナイフを投げたりして注意を分散させる程度のことしかできなかった。一番のチャンスだったゴブリンメイジも、トドメを刺したのはアヤメだったし。
せっかく装備を新調しても、無能なことに変わりはないようだ。
「マスターの支援がなければ、負傷していた可能性は高いです」
けれど、アヤメは少し落ち込む僕を優しく慰めてくれる。そんな彼女の気遣いに感謝しながら、僕は魔獣が腐らないうちに解体を始めた。
「けどびっくりしたよ。まさかゴブリンメイジまで出てくるなんて」
第三階層は確かに、第二階層までとは違う領域だ。そのことは覚悟していたし、そのために入念な準備を重ねた上で挑んだ。けれど、まさか一戦目からゴブリンメイジが出てくるとは思わなかった。
そもそもゴブリンメイジは深層と呼ばれる第四階層以降にしか出現報告はなかったはずなのに。
「マリアも最近迷宮の魔獣が活発になってるって言ってたよ。
「……スタンピード、ですか?」
世間話程度のつもりだったけれど、予想外にアヤメが食い付いてくる。
「うん。迷宮でごく稀に発生する魔獣の暴走だよ。普段は深層から出てこない魔獣が浅いところまで、酷いと迷宮の外にまで出てくるんだ。そうなると、迷宮都市にもすごい被害が出るから、みんな恐れてる」
「……」
簡単に
「あ、アヤメ?」
何か癪に障るようなことを言ってしまっただろうか。もしかして、頼りないと思われた?
不安に思って様子を伺うと、彼女は深く息を吐き出した。
「……申し訳ありません。少々、
「ええ?」
よく分からないけれど、怪我したわけではないらしい。アヤメは僕が六匹のゴブリンを解体してリュックに戦利品を詰め込んでいる間もじっと黙っていた。彼女が再び口を開いたのは、片付けを終えてリュックを背負い、立ち上がった時のことだった。
「ヤック様、このまま第四階層まで進んでもよろしいでしょうか」
「えっ!? それだと日帰りできなくなるよ?」
第三階層は探索活動を日帰りで終わらせることができる限界の範囲だ。それ以上進むと、帰還に二日掛かる長期探索になる。
日帰りと泊まりでは、探索の難易度は大きく変わる。階層は深くなり、より強力な魔獣と遭遇する確率が高まるというのに、疲労がより蓄積されるからだ。いくらスポットという安全な場所があるとはいえ、迷宮内でしっかりと休める探索者は少ない。そして、疲れが溜まれば集中力が散漫になり、不意を突かれる可能性が高くなる。
「承知の上です。しかし、事態は私の予測よりも逼迫している可能性があります」
真顔のアヤメの胸中は相変わらず分からない。けれど、彼女がそう言うならば、それだけの理由があるはずだ。
「――
「はい」
アヤメが先日、飲み屋で教えてくれたもの。彼女にしか装備できず、扱えない特殊な武器。それが特殊破壊兵装と呼ばれるものだ。
その物々しい名前にふさわしいだけの能力を持つ強力な武器で、それさえあればあらゆる魔獣を一撃で撃破できるという。
彼女はそれを手に入れて、この“老鬼の牙城”の完全攻略を成し遂げたいと言った。
「一応、キャンプセットも持って来てるし、食料もあるよ」
リュックの中には迷宮探索キットが揃っている。日帰りの予定でも、不慮の事態でどこかに閉じ込められる可能性だってあるから、寝袋や食料、水は二人で数日持つだけの量を持って来ている。だから、行くとなれば、すぐに出発できる。
「でも、マリアには日帰りの予定で伝えてるんだよね……」
気がかりなのはそこだった。
探索者に義務付けられているわけではないが、ギルドにその日の予定を伝えるのは慣習になっている。今朝もマリアに第三階層へ挑戦することを伝えて、散々引き止められながらやって来たのだ。
もし、日が暮れても僕たちが帰還しないとなれば、救難隊が組まれる可能性も高い。
「……でも、急いでるんだよね」
アヤメが頷く。
彼女は迷宮に眠っていた不思議な存在だ。僕なんかよりもよっぽど、ここの危険や不思議について熟知しているはず。そんな彼女が何か不吉な予兆を抱いているのなら、それを信じた方がいい。
「よし、じゃあ行こう」
僕はアヤメを信じることにした。
彼女に従い、第四階層を目指して歩き出す。いまだ僕も経験したことのない、“老鬼の牙城”の深淵へと。
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