第25話「慢心の応酬」

「はぁっ、はぁっ……! もうすぐ、スポットだから……もうちょっとだから」


 アヤメの肩を担ぎ、彼女の体を支えながら懸命に足を動かす。暗い迷宮内、第四階層の魔がすぐ背後に迫っているような気がした。


「もうしわけ、ありません」

「喋らなくていいから。アヤメは悪くない」


 息も絶え絶えなアヤメの言葉を遮る。彼女に僅かな体力も使わせたくなかった。

 暗い通路の先に、ほのかな光が漏れ出す小部屋が見つかる。スポットだ。先に訪れた探索者が、後続のために設置した魔導灯の目印だ。それを見た途端、希望が湧いてくる。

 僕はアヤメを引きずるようにして、その小部屋へと飛び込んだ。


「アヤメ、大丈夫? 痛くない?」

「問題ありません。機体の一部が損傷しただけで、修復すれば行動に支障はありません」


 第四階層の奥にあるスポットに逃げ込んだ僕は、魔力不足で倒れ込むアヤメを受け止めてゆっくりと寝かせる。彼女は二の腕が深く抉れ、皮膚の下から千切れた金属繊維が飛び出している。片足も膝から下が千切れ、それは僕が抱えている。

 彼女は平気そうな顔をしているけれど、どう考えても重症だ。


「ごめん、僕のせいだ。油断したから……」

「いえ、ヤック様の責任ではありません」


 突発的に予定を変更して、第四階層へと降りた。

 アヤメがいれば大丈夫だと思っていたのは、今になれば慢心だった。第三階層で抱いた違和感を軽んじてはいけなかった。

 最初こそ、出現するハイゴブリンやオーク、さらにオークメイジといった強力な魔獣たちをアヤメと僕は順調に撃破していた。解体して得られた魔獣素材はどれも高級な代物で、それを持ち帰れば数ヶ月遊んで暮らせるくらいのものだ。

 初めての第四階層、アヤメに頼った快進撃、手に入った戦利品。そうして、僕は油断した。


「し、止血をすればいいの? アヤメは、どうすれば……」

「問題ありません。すぐに自己修復を行います」


 狭い迷宮の通路を機敏に飛び回り、鋭い鉤爪で肉を抉る怪鳥ウィンドネイルの襲撃を受けた。そして、足が竦んだ僕を庇ったアヤメが二の腕を削られたのだ。更に、ブラックハウンドの群れが間髪入れずにやって来て、アヤメの足を噛み砕いた。

 僕は彼女の砕けた部品を拾えるだけ拾って逃げ、見つけたスポットに飛び込んだ。

 アヤメは生身の人間じゃない。彼女が怪我をした時、どうすればいいのか分からない。何もできずオロオロとする僕を見上げて、アヤメは慰めるように言う。


「この程度の損傷は自己修復能力によって修復可能です。十分なマギウリウス粒子が供給できれば、すぐにでも戦線復帰可能です」

「マギウリウス粒子って、ここにはほとんどないんじゃ……」


 迷宮の数少ない安全域、スポットは極端に空気中の魔力濃度が低い。だから魔獣も立ち入らない避難所として使われる。

 けれど、アヤメの力の根源はその魔力だ。彼女がマギウリウス粒子と呼ぶそれは、魔力濃度の高い空間でなければ供給されない。だから、彼女はスポット内や迷宮外では逆に力を使えない。


「B型近接戦闘キットを」

「こ、これだね」


 アヤメが手を伸ばす先にあったトランクを引きずる。彼女はそれを開くと、中から青い液体が詰まった小さな注射器を取り出し、自分の首筋に突き刺した。


「ふっ、く――ッ!」

「大丈夫?」

「高濃度マギウリウス粒子とメディカルナノマシンのリペアジェルを注入しました。これで、この空間でも自己修復が行えます」


 そう言いつつも、彼女の表情は痛々しい。傷口がグジュグジュと水っぽくなり、次第に再生を始めていた。僕の手にあった片足も、断面を合わせるようにすると数十秒で癒着した。

 やはり、彼女は人間ではない。高位の治癒魔法でなければありえないほどの速度で傷が塞がっていく。

 けれど、僕が拾い集めた部品は僅かで、彼女が完全に癒えるには到底足りない。表面的に傷が塞がっても、まだ内部が治癒していないのだろう。アヤメはまだ顔色が悪い。


「そうだ、ごはん! ご飯食べたら、回復する?」

「……そうですね。効率は非常に悪いですが、カロリーをマギウリウスエネルギーに変換することは可能です」


 リュックを開き、食料と水を取り出す。携行性と保存性だけを求めた干し肉や堅パンばかり、干した果物も少しはある。それを渡すと、アヤメは少しずつ食べ始めた。


「魔力を補給すれば、傷が治るの?」

「そう考えていただいて構いません」


 干し肉も堅パンもバリバリと噛み砕いて食べる姿は少し異様だ。真顔のまま、ペースが一切変わらないというのもその一因だろう。

 しかし、彼女の大きく欠けた片腕はなかなか治りそうにない。時間がかかるのか、もしくは食事から得られるマギウリウス粒子が少ないのか。


「もしかして、魔石とかも食べられる?」

「………………。そうですね、不純物は多いですが、通常の食料品と比較すれば変換効率は高いと考えられます」


 戦利品の中から魔石を取り出す。魔獣の持つ第二の心臓で、魔導具なんかに使われる魔力の結晶だ。


「これ、使って」

「これは、ヤック様の収入源になるのでは」

「今はそんなこと言ってられないよ。食べて」


 戸惑うアヤメに押し付けるようにして渡す。確かに魔石は収入の大部分を占める重要な戦利品だけど、今はそんなことを言っている場合ではない。彼女がいなければ、僕がここにいる意味もないんぼだから。


「ありがとうございます」


 そう言って、アヤメは飴玉を噛み砕くかのようにそれを飲み込んだ。

 やっぱり魔石を食べた方が傷の修復が早くなるらしい。彼女の表情が少し柔らいだ。けれど、今まで集めた魔石を全て食べても、まだ足りない。もっと大量の魔石が必要だ。


「アヤメ、ちょっと待ってて」


 リュックを置き、剣を握る。そんな僕をアヤメが見上げる。


「どちらへ?」

「魔石を持ってくるよ」


 彼女を無理に動かすわけにはいかない。それなら、僕が動かないと。

 アヤメは僕が何をしようとしているのか察したのか、強く手を握った。


「いけません。この階層を徘徊する実験体は危険です」

「でも、このままだとアヤメが危ないだろ」


 アヤメの手を振り払う。

 僕でも振り払うことができるくらい、彼女は力が入っていない。


「大丈夫。すぐに戻ってくるから」

「ダメです。自動修復が完了してから――」


 アヤメを置いてスポットから飛び出す。

 僕だって、真正面から挑んで第四階層の魔獣に勝てるとは思っていない。狙うのは一匹だけで歩いているはぐれ個体、それを背後から不意打ちする。それなら、まだ勝機が見出せる。

 暗い迷宮のなかを一人で歩くのは心細い。それでも恐れを振り払って進む。全てはアヤメのためだ。

 ゆっくりと足音を殺して、カンテラも付けずに歩く。敵に存在がバレたら終わりだ。

 心臓が張り裂けそうなほど拍動している。息が荒くなる。そして――。


「よぉ、ヤック。こんなところで何してるんだ?」

「――ッ!?」


 僕は背後から近づいてきた存在に全く気付くことができなかった。

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