第19話「至れり尽くせりハウスキーパー」
テーブルを埋め尽くすほどあった料理も、夢中で食べているとあっという間に消えてしまった。自分でも驚くほどの量をたいらげ、もはや一歩も動けない。僕は幸せな息苦しさを感じながら、リビングにあるフカフカのソファに身を沈めていた。
「ふぅ。お腹いっぱいだ……」
こんなに良い生活をしても許されるのだろうか。少し不安になってしまうほどの幸せだ。
アヤメは食器を洗って片付けて、更に部屋の掃除まで始めている。休んでいいと伝えたけれど、「ハウスキーパーなので」と一蹴されてしまった。結局、彼女がしたいことをすればいいか、と諦めている。
彼女の持ってきたトランクには武器以外にも多くのアイテムが巧みに収納されているらしい。料理で使われた大量の綺麗な白磁の食器もそうだし、曇りひとつない銀食器もそうだ。今は小さなハタキで部屋の隅に僅かに残った埃を駆逐しているし、それが終わったらおそらく箒で床を一掃するはずだ。
人間を遥かに超えた戦闘能力を見せた彼女だけれど、家事能力も完璧だ。彼女が少し掃除をしただけで、部屋全体が輝いて見える。ハウスキーパーってすごい。
ソファで脱力しながらアヤメの働きぶりを見ていると、掃除がひと段落したようだ。彼女はトランクに掃除道具を収納し、今度は裁縫セットを取り出す。そうして、おもむろにメイド服を脱ぎ始めた。
「ちょちょちょっ!?」
あまりにも自然な動きで反応が遅れてしまう。慌てて飛び上がった僕を、アヤメは不思議そうな顔で見てくる。
「あ、アヤメ。服を脱ぐならもっと別の部屋で!」
「何故ですか?」
「な、何故って……。ほら、みだりに肌を晒したりするもんじゃないし」
「私はハウスキーパーなので、なんら問題はないかと。セルフメンテナンスは業務の範疇です」
「ハウスキーパーでも問題あるでしょ!」
しかたなく僕が後ろを向くことでことなきを得るが、アヤメは一切取り乱す気配もなく裁縫を始めたようだ。
そういえば、彼女は自分の服も自分で修繕している。今日の探索でスカートの裾を破いて僕の腕に巻いてくれた。その部分を直しているのだろう。
彼女は僕を慕ってくれて、忠実に働いてくれる。自分の身も厭わず、率先して動いてくれる。でも、それは彼女がハウスキーパーだからだろうか。
「……」
腰のベルトに差した青刃の短剣を見る。
ブレードキーと呼ばれたこれを、僕は偶然手に入れた。彼女が僕をマスターと呼んでくれるのは、これのおかげだ。仮にこれが誰か別の人の手に渡ったら、その時は彼女も一緒に離れていってしまうのだろうか。
思わず、短剣の柄を握る力が強くなる。豪勢な食事や、過去最高の稼ぎよりも、何よりも彼女を失いたくなかった。だったら、僕は彼女のマスターとして恥ずかしくないくらいに成長しなければ。
とにかく、彼女の隣に立って背中を預けてもらえるくらい、強くなりたい。
「よ、よし。筋トレでもしようかな」
「ダメです」
「うわあっ!?」
決意も新たに動き出すと、すぐ背後から声がする。飛び上がって振り返ると、あっという間にメイド服を修繕したアヤメがすぐ近くに立っていた。
「アヤメ?」
「ヤック様は今日一日の運動量が過剰になっています。これ以上の運動は身体に悪影響を及ぼします」
アヤメは氷のような青い瞳をこちらに向けて、おもむろに僕の両手をがっちりと掴む。思わず逃れようとしたけれど、まるで鉄枷でも着けられたかのように動けない。
「あの、アヤメさん?」
「ヤック様に必要なのは、適切なケアです。ベッドでマッサージを行います」
こちらへ近づいてくるアヤメの顔は無表情にも関わらず妙な気迫がある。
「いや大丈夫だから。間に合ってますから!」
「ご安心ください。私はハウスキーパーです」
「だからハウスキーパーってなんなの!?」
迷宮でも圧倒的な力を見せたアヤメに、僕が力で敵うはずもない。いや、ここは迷宮の外なのだから、彼女も全盛の力を発揮できているわけじゃないだろうに。それなのに僕は一切抵抗できないまま、呆気なくベッドへと連行された。
「ご安心ください。私にインストールされているマッサージは多岐にわたり、さまざまな状況に合わせて適切な処置が可能となっております。まずは固まった筋肉をほぐすところから」
「ひゃんっ!?」
仰向けになった僕の腹に跨るようにして覆い被さったアヤメが、腕を差し向ける。白い手袋に包まれた指先が滑らかに動き、二の腕を揉みしだく。
彼女が誇らしげにハウスキーパーであることを示すだけあって、マッサージは素晴らしく気持ちいい。全身を溶かすような快感に支配され、表情が保てなくなる。
「ふにゃぁ」
「そのまま力を抜いた状態を維持してください。マスターのコンディションを最高の状態にいたします」
「ひょわっ」
全身をぐにゃぐにゃと揉み解されて、抵抗することも忘れてしまう。自覚すらしていなかった凝りが解れ、まるで全身の殻が剥がされたような気持ちよさだ。
「ほわぁ……。あ、ありがと……」
一通り施術が終わった頃には、僕はもう足腰も立たなくなっていた。ベッドに突っ伏し、全身から汗が吹き出している。体温がいつもよりかなり高くなって、血の巡りも良くなった気がする。
自分ってこんなに疲れていたんだ、と驚きも大きい。
「お礼など不要です。では、汗を流しにまいりましょう」
「……え? へっ!?」
体の下に手が差し込まれ、そのまま軽やかに持ち上げられる。気がつけば、アヤメが僕を横抱き――お姫様抱っこしていた。
い、いくらなんでもこれはだめだ。彼女の方が背が高くて、身長的に合っていても、これは納得できない。
「じ、自分でシャワー、浴びるから!」
「歩けないでしょう。私にお任せください」
もぞもぞと動こうとするも、全身が痺れたように動かない。マッサージの威力が強すぎる!
「お召し物を……」
「自分でやる! 自分でやります!」
「ご安心ください。すべて私にお任せください」
「うわあああっ!?」
全力の抵抗も虚しく、僕はなす術もなく部屋に併設されたシャワールームまで運ばれる。そのままポンポンと服が剥ぎ取られ、瞬く間に生まれた時の姿になる。
「大丈夫です。ヤック様は天井のシミを数えていてください。その間に全てが終わります」
「ひえっ」
無表情のアヤメがにじり寄る。僕に逃げ場などない。結局僕は、燃えるような羞恥心に苛まれながらアヤメに全身を隅々まで清められてしまった。
「さっぱりしましたか?」
「もうお婿にいけない……」
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