第18話「新居と楽しい食卓」

 僕がもともと住居にしていたのは、パセロオルクの一角にある古いアパートだ。家賃の安さだけが売りの、狭くて壁も薄いワンルームだけれど、貯金もほとんどできない僕には必要十分な部屋だった。

 けれど、昨日今日で大きく事情が変わった。アヤメがやって来たのだ。

 彼女はマスターである僕からそう遠くへは離れられないらしい。そもそも彼女はこの町に拠点を持っていないから、必然的に僕の部屋で寝泊まりすることになる。そうなってくると、男一人暮らしなら十分だったワンルームも途端に手狭になってくる。


「そういうわけで、ここが新しい部屋だよ」

「素敵ですね」


 一日の稼ぎが予想を遥かに超えた金額になり、僕はマリアの助言に従って住居を移すことにした。

 引越しといっても、もともと狭い一部屋で質素に暮らしていたのだ、持っていくような荷物もそんなに多くない。それに僕は荷物持ちとして生計を立てていたのだから、引越しの荷物くらいは自分で運べる。アヤメの方もトランクひとつで荷物は済んでしまう身軽さだ。

 そんなこんなで僕たちは安アパートを引き払い、数段ランクを上げた宿へと向かった。


「ゆくゆくは長期の賃貸ができる部屋を探すけど、今日のところはちょっとした贅沢だね。ほら、ベッドがあんなにふかふかなんだよ!」


 パセロオルクは迷宮探索者の拠点として栄えたということもあり、流れの探索者を受け入れるための宿屋も多い。今夜の宿も、そんな探索者向けのものだ。

 パーティでの宿泊を想定した、三部屋もある大きな部屋で、寝室にはベッドが二つも並んでいる。シーツも清潔だし、掃除も行き届いているし、今まで住んでいた部屋とは雲泥の差だ。


「アヤメはどっちに寝る?」


 昨日は壁際直立不動で過ごしてもらってしまったけれど、彼女だってふかふかのベッドで眠れた方が疲れも取れるはずだ。好きなベッドを選ぶ権利くらいは、喜んで差し上げる。


「どちらでも構いません」


 けれど、彼女は特にこだわりがないらしい。

 仕方がないので、僕から選ぶことにする。


「じゃあ僕、左ね」

「では、私も左で」

「うん?」


 なんかおかしいな?

 僕が右のベッドを指さすと、アヤメもそちらへ動く。どちらでもいいと言ったはずなのに、どうして僕が選ぶベッドに移動するんだ?


「あの、ベッドは二つあるんだけど……」

「距離が離れていると、万全の警護が行えません」

「ええ……」


 すんと澄ました顔のまま言うアヤメに唖然とする。警護ってなんだっけ。

 確かに彼女はマスターである僕から離れすぎると動けなくなると言っていたけれど、ベッドとベッドは2メトも離れていない。流石にこの距離では影響はないはずだろう。

 けれどアヤメは真剣な表情だ。僕が理解できていないだけで、本当に何か弊害があるのかも……。


「まあ、ベッドは寝る時に決めようか。それよりも、まずは夕飯だね」


 ベッド問題は一旦棚上げ。

 僕はワクワクしながら、床に置いたリュックから買い込んだ高級食材たちを取り出してテーブルに並べていく。外で食べてもいいかと思ったけれど、今日は少しゆっくりしたかった。というか、どこに行っても“迷宮で置き去りにされた奴”と囁かれて落ち着けないのだ。

 幸い、今日借りた部屋にはなんとキッチンまで付いてくる。そこで調理して、ゆっくり食べればいいだろう。


「料理は任せて。迷宮では料理番もしてたんだから」


 フェイドとホルガは一切料理をやらないし、メテルもかなり大雑把だ。ルーシーは論外。そんなわけで“大牙”に所属していた時は僕が料理番をやっていた。

 迷宮探索は大抵日帰りだけれど、珍しい魔獣を求めて潜る時は、数日間を中で過ごすこともある。そう言う時は僕が料理を振る舞っていたのだ。

 そもそも荷物持ちには料理のスキルが求められることもある。戦闘以外の様々な場面でサポートできるのが、優秀な荷物持ちの要件とされるから。


「食材の解析、完了しました。調理を開始します」

「えっ?」


 袖を捲り、エプロンを着けてキッチンへ向かうと、すでにアヤメがそこにいた。

 彼女はシュババババと目にも止まらぬ速さで野菜の皮を剥き、魚を捌く。あっという間に下拵えを済ませ、三つの魔導コンロを駆使して美味しそうな料理を同時並行で作っていた。その姿は、迷宮で見た鮮やかな戦いぶりと引けを取らない、歴戦の料理人のような手際だ。


「あの、アヤメさん?」

「マスターはテーブルでお待ちください。すぐに料理をご提供します」

「ええ……」


 僕が突っ立って見ているだけで、テーブルの上には温かい美味しそうな料理が次々と並べられていく。気がつけば、どこの宮廷料理かと見紛うほどの晩餐が用意されてしまった。


「おお……すごい……」

「ありがとうございます。どうぞ、お召し上がりください」


 すっと椅子が引かれ、すとんと腰を下ろすと綺麗に磨かれた銀食器が用意されている。こんなものどこにあったんだろう。

 まるまると太った鳥のローストなんかは、確かに食材として買った覚えはあるけれど、あそこまで立派だっただろうか。もっと痩せていたような……。

 前菜からして、名前も分からないのに上品であることは直感で理解できてしまう。

 もったいないことに、僕はこの料理の凄さを表現できるだけの語彙を持ち合わせていない。


「アヤメって料理できたんだね」

「ハウスキーパーですので」


 僕の背後に控えたアヤメは、そんな答えを返してくる。ハウスキーパー、いったい何者なんだ。


「ほら、アヤメも一緒に食べようよ」

「しかし、私はハウスキーパーです」


 いざ食事を始めようとすると、アヤメは僕の背後に立って動かない。そういえば、料理は全部僕の前に並んでいて、もう一つの席には何もない。

 一人前かと言われれば、そもそも食材が二人前を想定していたから絶対僕一人では食べきれないほどの量があるのだけれど。


「ほら、席についてよ。アヤメも今日一日頑張ってくれたんだし」

「ですが、ハウスキーパーですので」

「そこがちょっとよく分からないんだけど……。今日こんなご馳走が食べられるのはアヤメのおかげなんだし、ぜひ食べてもらいたいんだ。それに、一緒に食べた方が美味しいよ」


 壁際にピッタリと背中を向けて立っているアヤメを説得する。しばらくは頑なに遠慮していた彼女も、やがて根負けして頷いた。

 椅子に腰を降ろす彼女の前に、料理の皿をいくつか移動させる。ナイフやフォークはあるのかと探すと、彼女はどこからか一揃い取り出した。ハウスキーパーは謎が多い。


「いただきます!」


 兎にも角にも、冷めないうちに食べないと。

 テーブル越しに向かい合い、食事を始める。

 肉も魚も野菜も、どれも唸るような美味しさだ。生まれて初めて食べるような繊細で上品な味わいは、僕の貧乏舌さえ強烈に刺激する。


「美味しい!」

「それは良かったです」


 アヤメもナイフとウォークを巧みに使い、上品に食事している。相変わらずの無表情だけれど、時折こちらをじっと見てくる。僕が素直な感想を伝えると、彼女はしばらく固まったあと再び食事を再開するのだ。


「はぁ、こんなに美味しい料理初めてだよ。毎日でも食べたいね」

「かしこまりました」

「ああ、いや。アヤメにばっかり料理させるのは悪いし、今度は僕も作るよ」


 アヤメほどの絶品料理は到底作れないけれど、彼女にも僕の味を知ってもらいたい。そう言うと、彼女はゆるく頷いた。


「かしこまりました。楽しみにしております」

「うん。期待してて良いからね」


 その日はお腹がはち切れそうになるほど食べた。久しぶりのご馳走は幸せでいっぱいにしてくれて、少しだけ、辛い記憶も忘れることができた気がした。

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