第14話「過保護なメイドさん」

「アヤメ、そっちをお願い!」

「かしこまりました」


 鈍い打撃音に、甲高い断末魔が重なる。

 ゴブリンよりも一回り大きく、屈強な上位種、ハイゴブリンの体がくの字に折れ曲がって勢いよく吹き飛び、そのまま迷宮の硬い壁に激突した。呻き声を上げて崩れ落ちるハイゴブリンに、すかさず追撃の警棒が叩き込まれる。首元を狙った一撃は的確に骨を砕き、ハイゴブリンの息の根を止めた。


「やああっ!」


 アヤメがリーダー格のハイゴブリンを一蹴した隙に、僕も投げナイフを放つ。それはアヤメの肩を飛び越えて、通路の奥に陣取っていた弓ゴブリンの額に突き刺さる。


「よしっ!」

「危険です」

「うわっ!?」


 上手く命中して思わず喜んだのも束の間、猛然と駆け寄ってきたアヤメに勢いよく押し倒される。彼女の硬質な腕がこめかみを掠めて床を突き、白いエプロンに包まれた大きな柔らかい胸が顔面を覆う。


「むぐっ」


 そのままぎゅっと密着されて息を詰まらせていると、近くで何かが爆発する。


「ぷはっ。うわ、焦げてる!?」


 ようやく解放されて振り返ると、地面に焦げ跡が。どうやら、弓使いのゴブリンが刻印魔石を矢の先に取り付けていたらしい。おそらく、探索者が忘れていったものを使った、最後の切り札だったのだろう。


「アヤメ、大丈夫!?」

「問題ありません。お怪我はありませんか、マスター?」


 アヤメが咄嗟に守ってくれたおかげで僕は全くの無傷だ。彼女も彼女で、艶やかな青みのある黒髪も、白い肌も一切傷付いていない。

 第二階層も奥の方へとやって来て、手強い魔獣が出てくるようになってきた。今倒したのは、リーダーのハイゴブリンが弓使い二匹と剣士三匹、総勢五匹のゴブリンを引き連れたかなりの規模の群れだった。

 アヤメがほとんど全てを倒してくれたとはいえ、僕も弓使い一匹を仕留めて、剣士も一匹怯ませた。これくらいになってくると、連携する余地が生まれてくるようだ。

 まあ、連携できる、というだけで、しなければならないわけではないだろうけど。おそらくアヤメなら一人で危なげなく倒してしまうのだろう。


「あ、ちょっと待ってね。解体しちゃうから」

「解体?」


 そのまま先に進もうとしていたアヤメを制して、僕は腰に吊ったナイフを引き抜く。不思議そうな顔をしているアヤメに見守られながら、倒れているハイゴブリンのツノと牙、指と使えそうな部位を切り取っていく。

 魔獣の解体は探索者の主な収入源だ。ゴブリンは解体の手間のほうが掛かってほとんど儲けにならないし、彷徨い茸はそもそも何も残らない。けれど、第二階層から現れるハイゴブリンくらいになってくると、その体に使い道が出てくる。

 魔獣の爪や骨には魔力が宿っていて、良質な武器や道具の素材になる。肝が妙薬として重宝されたり、単純に珍しさや美しさから高い値段がついたり、魔獣素材と一言に言っても様々だ。


「ごめんね。ちょっとグロテスクだけど」

「問題ありません」


 死んだ魔獣は腐りやすい。倒したらすぐに解体を始めないと、どんどん形が崩れていってしまうし、腐臭を嗅ぎ付けた他の魔獣を引き寄せてしまう。

 とはいえハイゴブリンの解体は幾度となくやっていて、慣れたものだ。さほど時間もかからず骨や目玉や一部の内臓なんかを取り出して、リュックの中に納めることができた。最後に取り出すのは、胸の奥に埋まっている小さな魔石だ。魔獣の第二の心臓とも言えるそれを抜き取ると、腐敗が加速する。


「よし。お待たせ」


 魔石を取った瞬間、ハイゴブリンの体は黒い塵となって消えてしまう。なぜ、魔石を取る前に取り出した骨や内臓なんかは腐敗しないのか、という詳しい理屈は分からないけれど、これが迷宮に棲むものの性質だ。


「これで今日の夕飯は食べられそうだね」

「それは良かったです」


 ハイゴブリン一匹倒せば、二人分の夕食代くらいにはなる。僕もひとりでこれくら戦えれば、探索者として独り立ちできるんだけど。

 まあ、アヤメのおかげで最低限の稼ぎは確保できた。荷物にもまだ余裕はあるし、僕もアヤメもまだ体力は残っている。もう少し探索を続けてもいいだろう。


「ヤック様!」

「うわっ!? な、なに?」


  先へ進もうと歩き出した矢先、突然アヤメが取り乱した様子で声を上げる。敵でもいたのかと周囲を見渡すも、何もいない。なんだろうと首を傾げると、アヤメが突然僕の両肩をがっちりと掴んだ。その力は強く、僕は微動だにできない。


「あ、アヤメ!?」

「……左肘に擦過傷があります。ただちに治療しなければ」

「ええ……」


 彼女の視線の先にあるのは、ちょっとした擦り傷。アヤメが爆発から守ってくれた時に擦ったのだろう。指摘されてようやく気付くくらいの、小さなものだ。ちょっと血が滲んでいるけれど、まあ放置していても問題はない。

 そう思ったのだけど、アヤメはそうは捉えなかった。


「ちょ、アヤメ、何を――!?」


 ビリビリビリッ! と布の裂ける音。アヤメがメイド服のスカートの裾を引き裂いて、それを僕の腕に巻き付けてきた。


「申し訳ありません、応急処置キットは所持しておらず。ひとまず止血を行います」

「いや、この程度別に、いだだっ!?」

「やはり痛むのですね?」

「そうじゃなくて、布がキツい!」


 珍しく慌てた様子のアヤメがギリギリと即席の包帯を引き締めるものだから、そっちの方が痛い。慌ててばんばんと彼女の背中を叩くと、手のひらまで痛くなった。

 見た目は普通の人間なのに、彼女の体はどこも鉄みたいに硬い! ……ああいや、胸だけは柔らかかったなぁ。

 なんて現実逃避している場合じゃない。


「こ、これくらい大丈夫だから」

「ですが……。人は血を流すと死んでしまいます」

「程度によるよ。これくらいなら死なないって」


 ずいぶんとオーバーな話だ。擦り傷に毒を塗られたならともかく、これくらいなら町に戻ってから軽く洗い流すだけで十分だろう。心配なら、唾でも塗っておけばいい。


「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だって。ありがとうね」


 どうやらアヤメは、僕のことをそうとう脆い存在だと思っているらしい。細いし小さいし、頼りないのは分かるけど、ちょっとショックだ。でも彼女の心配は伝わってくるし、善意によるものということも理解している。

 素直に感謝を伝えると、彼女はなおも心配そうにしつつも頷いた。


「それでは、今すぐに帰還しましょう」


 さっきまで奥に進む気満々だったのに、僕の擦り傷を見つけた瞬間に方針を変える。くるりと踵を返した彼女の手を掴み慌てて引き戻す。


「いや、もうちょっと稼いでからにしようよ」

「……………………わかりました」


 ものすごく不承不承といった様子の彼女と共に、さらに探索を続行する。

 二人の夕食代だけでなく、明日の朝食代も稼いでおかないと。

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