第12話「圧倒的な力の格差」

 迷宮“老鬼の牙城”は全六階層で完全踏破済みの小さな迷宮だった。小さいとはいえ、他の大迷宮と呼ばれるような未踏破のものと比べた場合の話であり、そこに生息する魔獣――特に第三階層以下に棲むものは非常に手強い。

 それでも探索者たちが毎日のように迷宮へ通うのは、そこに潤沢な資源が眠っているからだ。

 魔獣の骨や肉、迷宮内に自生する魔法植物、特殊な鉱石など。たとえ内部の完全なマップが作られるほど探索が進んでいても、そこに魔獣が生息している限り、迷宮は日々豊富な恵みを供給してくれる。

 パセロオルクは“老鬼の牙城”からもたらされる資源によって成り立っている町なのだ。


「アヤメ、準備はいい?」

「問題ありません」


 “老鬼の牙城”の入り口、森の中に埋もれた小さな隙間をくぐり抜けて迷宮の中へと入ってきた。内外で空気はがらりと変わり、冷たい緊迫感が張り詰めている。

 特に今日は第一階層に入った時点で様子が変わっていることに気付く。僕たち以外の探索者が多い。

 彼らの目的は同じだろう。昨日、僕が明かした第二階層の奥にある未踏破領域。そこに眠る財宝を求めている。

 迷宮やそこに棲息する魔獣は多くの資源を提供してくれるけれど、未踏破領域に眠る財宝による稼ぎはその比ではない。かつての文明の遺産とも呼ばれるそれらを一つでも持ち替えれば、巨万の富と引き換えられる。

 それこそが、探索者たちが本当に求めているものだ。


「今日の目的は、二人での迷宮の歩き方を共有すること。無理はせず、第一階層だけで動きを慣らしていくよ」

「了解しました」


 けれど、僕とアヤメの目的は違う。足早に第二階層へと向かう探索者たちを尻目に、第一階層の奥へと進む。

 僕らがまずやらなければならないのは、二人での動き方を決めることだ。結成したばかりのパーティではお互いの戦い方を知らないから、うまく連携も取れない。そうなると、下手をすればお互いに邪魔し合い、普通なら勝てる相手にも勝てなくなってしまう。

 だから、パーティ結成の初日は比較的弱い魔獣しかいない第一階層で動きに慣れるのだ。

 “老鬼の牙城”の第一階層は外界からの侵蝕も激しく、空気中の魔力濃度もそこまで高くない。非常に頑丈なダンジョンの構造壁も一部が木々の太い根によって捻じ曲げられている。そんな半ば自然と融合したような廃墟を徘徊しているのは、ゴブリンと呼ばれる小柄な鬼の魔獣が多かった。


「アヤメ、前方にゴブリンがいるよ」

「把握しております」


 狭く暗い通路の先で物音がする。目を凝らすと、赤黒い肌をした小鬼が三匹、連れ添って歩いている。粗悪な腰巻きを身につけ、それぞれ木の棍棒、折れた剣、そして短い弓を持っているようだ。

 その様子を観察して、少し眉間に力が入る。ゴブリンの一匹程度なら、僕でも十分に勝てる。けれど、三匹に増えると厄介だ。しかも、うち一匹が弓持ちとなると。

 弓は棍棒や剣とは違って、まともに扱うには知識を要する。あの弓持ちはある程度の経験を経た個体であることは間違いなさそうだ。


「よし、アヤメ。まずは弓を倒して、次に剣。その後で棍棒だ」

「了解しました。実行します」

「えっ? ちょ、まっ!」


 倒す順番を決めて、次にどっちがどの小鬼を受け持つか相談しようとしたのに、それより早くアヤメが動き出す。僕が止める間もなくトランクを手放して通路へと躍り出た彼女は、当然ゴブリンたちに見つかる。


「ギィッ!?」

「ギィッ!」

「ギャグッ!」


 耳障りな声を上げる小鬼たち。敵意を剥き出しにして前衛の二匹が駆け出す。更に、弓持ちは瞬時に矢を取り出して番え、狙いをアヤメに定める。


「アヤメ!」


 僕が名前を叫ぶのと、ゴブリンが弦を弾くのは同時だった。

 風を切って飛来する矢。丁寧にも鏃がしっかりと取り付けられたそれは、まっすぐにアヤメへ迫る。その鋭い切先が、アヤメの頬を――。


「ふっ」

「ギャァグッ!?」


 貫くことはなかった。


「えっ?」


 それどころか、上がった悲鳴はゴブリンのものだ。驚いて状況を確かめると、剣士ゴブリンが喉を掻き切られて、鮮血を吹き出しながら倒れている。

 けれど、アヤメは刃物なんて持っていなかったはず……。いや、彼女の手に何かが握られている。


「あれ、矢じゃっ!?」


 驚く僕の目の前で、棍棒持ちのゴブリンも喉を貫かれて絶命する。深々と突き刺さっているのは、弓使いゴブリンが放った矢だ。


「まさか、飛んできた矢を取ったの!?」


 信じがたいことに、アヤメは自分を狙って放たれた矢を空中で掴んだ。そして、それを即席の武器として用い、前衛二匹をあっという間に屠った。

 あまりにも人間離れした動きは、弓使いにとっても予想外だったのだろう。明らかに動揺した様子で弓を取り落とす。長い経験が、仇となった。


「はぁっ!」


 強く地面を蹴り一瞬で距離を詰めたアヤメは、矢を捨てる。ゴブリンの血と脂で汚れた鏃は、もともと品質が良くないこともあって、殺傷武器としての能力を失っていた。

 代わりに彼女が取り出したのは、事前に用意していた黒い棒。それは彼女が腕を振る勢いで長く延伸した。


「ギャアアッ!」


 しなる黒い棒がゴブリンの首筋を叩く。強烈な打音と共に、骨が砕ける音がする。

 肩を陥没させた小鬼は身を翻して逃走を始めるが、すでに遅い。アヤメは一切の情け容赦なく再び棒を振りおろし、ゴブリンの頭蓋骨を砕いた。


「任務完了。お怪我はありませんか、マスター?」

「え、ああ……。うん」


 あっという間に三匹のゴブリンが倒された。死体の中心に立つアヤメが振り返り、僕の様子を窺ってくる。

 怪我もなにも、一歩も動いていないのだけど。


「あの、できれば協力したかったんだけど……」


 これでは連携もなにもあったもんじゃない。

 お互いの動き方を見て、死角を補うポジションを決めたり、同士討ちにならないような間合いを探ったりしたかった。

 あっという間にアヤメがゴブリンを三匹とも倒してしまって、僕は立ち尽くして見ていることしかできなかった。


「マスターのお手を煩わせるわけにはいきませんので」


 本来の目的が全く達成できていないことを訴えると、アヤメはすんと澄ました顔のままそう言い切った。むしろ誇らしげな様子さえしている。


「次はちゃんと、僕も戦うから」


 アヤメに任せきりというのは、かっこ悪い。僕だって一応は探索者なんだから。

 腰のベルトに差した短剣を引き抜いて見せる。“大牙”の荷物持ちを続けて貯めたお金で買った、自慢の一振りだ。……鍛冶屋通りのワゴンセールで叩き売りされていた見切り品だけど。


「そのような粗悪な武器では、ヤック様が負傷する可能性が高いです」

「うぐっ。そ、それは……。多少の傷も探索者の勲章みたいなものだし」

「ハウスキーパーとしてマスターの負傷は看過できません。ヤック様は私の背後で待機していてください」

「そんなぁ」


 アヤメの言葉は直接的だけど、それだけに正しい。

 三級探索者の僕は、まだまだ剣の扱いも拙いし、体格が小さいわりに小人族のように機敏に動けるわけでもない。刃渡の短い剣を使っているのも、これ以上重たいものは振り回しにくいからだ。戦利品の詰まった荷物を背負うのと、剣を敵の動きに合わせて振り回すのとでは、全く勝手が異なる。


「あ、アヤメも怪我しないでね」

「……可能な限り、善処します」


 せめて彼女も怪我をしないようにと伝えると、アヤメは一瞬目をぱちくりと瞬かせた後に頷いた。

 彼女は驚くほど強いけれど、“老鬼の牙城”も深層へ潜れば一筋縄ではいかない。そこに辿り着くまでに、僕もせめて彼女の隣に立てるくらいには強くならないと。

 僕は決意を新たにして、アヤメと共にさらに奥へと進み出した。

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