第10話「奉仕の精神」

 ギルドで長々と事情聴取を受けた後、自宅に帰れたのは夜も更けた頃だった。ぐったりとする僕に対して、アヤメはぴんと背筋を伸ばして全く疲労を感じさせない。重たい荷物まで持ってくれて、至れり尽くせりだ。


「ごめんね、アヤメ。面倒なことになったやって」

「構いません。私の活動に支障はないと判断しています」


 マリアにはアヤメがダンジョンの未踏破領域で見つかった迷宮遺物――魔導人形であることを打ち明けた。けれど、この事実が明るみに出た場合、身に危険が及ぶと指摘され、彼女は偶然“老鬼の牙城”へ立ち寄った旅の探索者であると偽装することになった。

 ダンジョンの奥で見捨てられていた僕を、たまたま居合わせたアヤメが助けてくれた。いちおう、大筋は合っている。


「けど、これからどうしようか」


 フェイドたち“大牙”はギルドから調査を受けている。すでに未踏破領域の存在は僕が知らせているから、彼らも隠すことはできない。

 今後、おそらく“大牙”は降格か迷宮立ち入り禁止の処分が下されるはずだ。そうでなくとも、同業者からは裏切り者の評価を受けることになる。これから、活動はできるのだろうか。

 いや、それよりも深刻なのは僕自身の問題だ。“大牙”からは脱退する形になったし、まさか戻ることもできない。となれば一人で迷宮に挑まなければならないけれど、そんな力はない。


「ちょっと失敗したかな……」


 今更ながら後悔の念が湧き出してくる。

 リュックに詰め込んで持ち帰ってきた第三階層の収獲を、僕は全てギルドに置いてきた。あれは誰がなんと言おうとフェイドたちが手に入れた成果だから、僕が横取りしていいものじゃない。

 そう思っていたけど、自分の稼ぎになる分もまとめて置いてきてしまったのに今ごろ気が付いたのだ。

 つまり今回の僕は儲けなし。貯金もそんなにある訳じゃないから、相変わらず懐は寒い。このままでは数日以内にご飯すら食べられなくなってしまう。


「問題ありません」


 ベッドに腰掛けて途方に暮れる僕に、不意にアヤメが話しかけてきた。

 彼女は青い瞳をこちらに向けて、口を開く。


「ヤック様のお世話は、すべて私にお任せください。護衛から食事まであらゆる生活を支援いたします」

「そんな、悪いよ。アヤメにはもう十分助けてもらったわけだし」


 アヤメは僕のことをマスターとして接してくれるけど、それは僕がたまたま小さな短剣を拾ったからだ。きっと、それがなければ、僕とアヤメの間になんの関係線も繋がれない。

 彼女には迷宮からの脱出を手伝ってもらった。それだけで十分なほど助けてもらえたのだ。だから、これ以上束縛することはできない。


「私はハウスキーパーです。マスターの日常から業務まで全てを補佐し、マスターを守ることが任務であり、存在意義です」


 断ろうとした僕に、アヤメが更に続ける。

 彼女の言うハウスキーパーという職業がどういったものなのか、完全に理解できているとは思わない。それでも、ある程度の仮説は持っている。

 おそらく、彼女はダンジョンが本来の機能を果たしていた頃の存在だ。その頃――おそらくは今よりもはるかに技術が発達していた時代、ダンジョンは別の機能を持つ施設だった。そこの管理人とでも言うべき存在を補佐するのが、ハウスキーパーなのだろう。

 けれど、今はもう彼女が補佐するべきマスターが存在しない。

 ダンジョンの本来の機能と共に、そこを管理するマスターも消えてしまったのだ。


「でも、僕は本来マスターじゃないし……」

「ヤック様は私と仮マスター契約を締結なさいました。よって、ヤック様がマスターであることは明らかです」

「ええ……」


 仮マスター契約とやらも、未踏破領域の奥で死にかけた成り行きで結んだものだ。しかも契約と言いつつ署名したわけでもなく、ただアヤメの手を握っただけ。


「お任せください、ヤック様」


 どう答えるべきか分からず口ごもる僕を見下ろして、アヤメはぽんと自分の胸を叩く。白いエプロンのフリルが揺れて、手袋に包まれた彼女の細い手が胸に埋もれる。

 彼女は青く冷たい目をこちらに向ける。その瞳に感情らしいものはやっぱり見受けられないけれど、彼女の真剣な思いが真正面から伝わってくる。


「私はヤック様を警護し、ヤック様に奉仕致します。ヤック様に害をなす全てのものを退け、ヤック様の生活を起床から就寝まで補佐致します。なんなりとお申し付けください。ヤック様の命じられるまま、あらゆる任務を迅速かつ確実に遂行致します」

「そ、そんなに気負わなくていいよ!」


 有無を言わせぬ気迫に若干背中が粟立つ。至って真剣な表情だからこそ、余計に恐ろしい。


「ほ、ほら、アヤメにもプライベートはあるでしょ? 僕も大人だし、自分のことは自分でするから」

「ハウスキーパーに個人的余暇は存在しません。行動の全てをもって、ヤック様に付き従います」

「えっと……」


 彼女は僕をマスターと言ってくれるけれど、僕はただの三流探索者だ。アヤメのような優秀な女性を従えるほどの器じゃない。けれど、そんなことを言っても聞く耳を持ってくれないのは火を見るより明らかだった。

 それならば、せめて。


「アヤメは、ダンジョンに潜りたいの?」


 そう問いかけると、彼女はぴたりと停止した。

 微動だにせず、ただ空中を見つめ続ける。彼女は何かを考えている時にこうなるのだと、ようやく分かってきた。


「……アヤメ?」


 不安になるほどの沈黙のあと、唐突にアヤメは口を開いた。


「私は施設の保安を行わねばなりません。現在の施設の全容を把握することはできていませんが、異常な状態にあることは判断できます。そのため、施設の現場調査と問題点への対処を実行します」

「つまり、潜りたいんだね」


 ぎこちなく頷く。

 彼女にははっきりとした使命があった。だったら、次は僕が助けになる番じゃないか。

 彼女は驚くほど強いけれど、ダンジョンの歩き方は知らないようだ。僕は曲がりなりにも探索者として生きてきた。しかも、戦いではまるで役に立たないけど、ダンジョンの歩き方なら熟知している。


「アヤメ、僕は君のためにダンジョンに潜るよ」


 彼女の目的を詳しく理解したわけではないけれど。自分が彼女の助けになれると思った。それだけで理由は十分だ。

 僕は彼女のマスターにはなれないけれど、彼女を助ける存在にならなれるかもしれない。僕の探索者として培ってきた知識で、彼女の目標を叶えることができるかもしれない。


「だから君も、僕を支えてほしい」


 今日一日、少しの時間を共にしただけでも、彼女の強さは身に染みている。きっと、彼女はその気になれば、一人でも“老鬼の牙城”を攻略できるだけの力があるはずだ。それでも彼女は僕の方を見て、視線を合わせるように身を屈めて、今度はしっかりと頷いてくれた。


「お任せください。私はアヤメ、HK-01F404L01、第一世代近接格闘型ハウスキーパー。マスターであるヤック様に、全身全霊をもってお仕えいたします」


 彼女の手を握る。彼女もすぐに握り返してくれる。

 僕たちは新たにここで関係を結び直した。


「ところで、アヤメは具体的にダンジョンでなにをするの?」

「コアの破壊による閉鎖環境の初期化、および実験体の殲滅です」

「……えっ!?」


 コアの破壊。それはつまり、ダンジョンの最奥へと挑むことに他ならない。そこに待ち構えるのは、全ての魔獣の頂点に立つ存在――ダンジョンボスだ。

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