第6話「訪れない救援」
柔らかな感触を後頭部に感じて目を覚ます。強い光が視界を眩ませた。
「お目覚めになられましたか」
「あ、やめ……?」
瞼を開くと、真上にアヤメの顔が見える。彼女は相変わらずの無表情で、僕を覗き込んでいた。
「うわっ!? ご、ごめん……!」
「構いません。休息は取れましたか?」
地べたに正座したアヤメの太ももに頭を乗せて寝ていたことに気がついて、慌てて体を起こす。意識が覚醒すると同時に、自分が今置かれている状況も思い出す。
「ここは……スポットか」
周囲を見渡せば、まだ迷宮内であることが分かる。けれど、アヤメが眠っていた小部屋ではない。近くにある焚き火の跡は、僕たちが使っていたものだ。
アヤメと未踏破領域の奥で出会い、彼女がハイオークの群れを撃退してくれた。けれど、その場に留まっていたら危険だと判断して、僕たちは移動することにした。
「ヤック様の安全を優先し、マギウリウス粒子隔離区画へと移動しました。標準的な診察の結果、ヤック様の側頭部に軽度の外傷が見られます。現在のバイタルデータは安定していますが、痛みなどはありますか?」
「え、あっと。大丈夫。ありがとう?」
がむしゃらに走っていた僕は完全に現在地を見失っていたけれど、アヤメは未踏破領域の構造も理解しているようだった。彼女の案内を受けながら、なんとか第二階層のスポットまで戻って来たのだ。
迷宮内で唯一の安全地帯に辿り着いたことで、僕は一気に疲労を思い出し、そのまま倒れ込むように眠ってしまったようだ。アヤメは僕が寝ている間ずっと、手当てをしてくれたり周囲を見張ってくれたりと気を付けてくれていた。
申し訳なくなって謝ると、彼女は済ました顔で聞き流す。感謝や謝罪の言葉を伝えてもあまり反応がないのは、彼女の性格なのだろうか。
「そうだ、フェイドたちは!?」
意識がはっきりしてきて、仲間のことを思い出す。彼らは無事に逃げられただろうか。
「フェイド……。その名称に該当する人物に関する知識は持ち合わせておりません。ただ、このエリアにはあちらへ走る四人分の足跡が見られます」
アヤメが指し示したのは、スポットの焚き火跡。よく見てみれば、炭を蹴散らしたような足跡が見て取れた。それを認めて、僕はつい脱力する。崩れおちる僕を、アヤメが腕を回して支えてくれた。
「そっか。生きてるんだね」
フェイドたちが生きている。それだけで十分だ。成り行きとはいえ、僕が囮になったことは無駄ではなかった。
「アヤメ、僕が眠ってる間にどれくらい経った?」
「正確な時刻はデータの同期が取れないため不明です。概算では8時間46分23秒が経過しました」
「8時間っ!?」
思ったよりも長い時間気を失っていた。僕は慌てて立ち上がりスポットの外へ向かおうとして、アヤメに手を掴まれた。
「おわっ!?」
つんのめって仰向けに倒れる僕を、アヤメが優しく受け止める。けれど、そのまま僕を離す気はないようで、がっちりと掴んだままこちらを覗き込んだ。
「ヤック様はまだ体調が万全ではありません。十分な回復を待ってから移動するべきと判断します」
「だ、ダメだよ。8時間も経ってたらもう救出隊が探しにきてくれてるはずだ。今すぐ無事を知らせないと――」
僕が気を失って8時間。フェイドたちとはぐれてから考えるともう9時間は経っているかもしれない。それだけの時間があれば、フェイドたちは迷宮を脱してギルドに知らせてくれているはずだ。まだ救出隊がここまで来ていないということは、まだ調査に時間がかかっている可能性もある。一刻も早く戻って、無事を知らせなければならない。
けれどアヤメは頑なで、僕を掴んで離さなかった。
「ヤック様が意識を失って8時間が経過しました。その間、この周辺に救出隊と推察できそうなものは現れませんでした」
「え……」
「現在、私のデータは著しく欠落しておりますが、推測を重ねることは可能です。この隔離区画はおそらく安全地帯として利用されていたのではないでしょうか。であれば、救助者もここまでは迅速に駆けつけることができるはず。しかし、現時点でもそれらしき個人または集団が現れた形跡はありません」
つまり何を言いたいのか。
「ヤック様、この施設を脱出したフェイド氏が救出隊を編成して戻るまで、どれほどの時間が必要ですか?」
迷宮は危険に満ちている。探索者は命を賭してそれに挑む。けれど、助けられる命までむざむざ捨てるほど残酷ではない。迷宮の近くには探索者を取りまとめるギルドがあり、そこに救出要員が常に控えている。
第三階層以降の深層ならばまだしも、第二階層であればすぐに手練れの探索者が迎えに来てくれる。それも、はぐれた場所が“スポット”の奥に開いた未踏破区域ならば、ここを拠点にできるのだから。
一刻を争う救出作業は迅速だ。フェイドたちがギルドに駆け込み救助を要請すれば、1時間もせず――。
「それじゃあ……。そんな、まさか……」
「現在の状況は私の把握しているものと大きく異なっております。しかし、現在の状況から推察すると」
「そんなわけがない!」
淡々と語るアヤメの言葉を遮る。フェイドたちとはうまくやっていた。彼らは無事に逃げることができた。それならきっと助けを読んでくれているはずだ。僕とはぐれたのは、“第二階層にあるスポット”という分かりやすい場所なのだから。
……いいや、違う。より正確に言うならばスポットの奥の未踏破区域だ。
「まさか……」
迷宮の未踏破区域には、夢と財宝が眠っている。だからフェイドたちは第三階層からの帰路という疲労困憊の状況にもかかわらず、未踏破区域に立ち入った。ここで後回しにしてしまうと、未踏破区域の財宝が他の探索者に取られる可能性もあったから。
「そんな、まさか。いや……」
考えたくないことを考えてしまう。そんなことはないと否定できない。
フェイドたちが救出隊を要請すれば、ここなら1時間とかからず助けがやってくる。そして、未踏破区域の存在が明らかになる。
「――アヤメ、迷宮の外に出よう」
「承知しました」
アヤメはすっと立ち上がる。
僕一人では、第二階層から脱出するのも難しい。けれど、アヤメが付いてきてくれるのなら、救助を待たずとも外に出られる。それならば外に出て直接確かめなければならない。
まだ、もう一つだけ別の可能性が残っている。
「足跡を追いかける。途中で、みんなが倒れてる可能性もあるから」
考えたくはないけれど、それも排除はできない。8時間経っても救出隊が来ないのは、そもそもギルドが異常を検知していないからかもしれない。第二階層とはいえ、迷宮であることには変わらない。未踏破区域でオークに出会ったフェイドたちが冷静さを失って、逃走中に不意を突かれた可能性だってないわけじゃない。
「かしこまりました」
アヤメはそう言ってスポットの外に出る。
「よし。――うわっ!?」
僕も彼女の後を追いかけようとして、突然立ち止まった背中に激突する。布ごしに硬い体の感触がして、鼻を強くぶつけてしまった。混乱しながら前の様子を窺うと、アヤメが直立不動で佇んでいた。
「あ、アヤメさん?」
「申し訳ありません。現在、マギウリウス粒子の再充填中です。動力が完全に復旧するまで、5分ほどお待ちください」
「ええっ?」
アヤメは口を開けて、何度も深呼吸を繰り返している。ナントカ粒子がどうとか言っていたけれど、それが意味することが何も分からない。明確なのは、スポットの外で無防備にしているのは悪手だと言うことだけ。
「っ!? アヤメ、魔獣だ!」
魔獣はスポットに入らないが、僕たちがそこから出てくることを知っている。経験を積んだ少し賢い魔獣なら、待ち伏せだってする。“スポット”から一歩でも踏み出せば、そこは危険に満ちた迷宮だ。
通路の奥から走ってきたのはブラックハウンドだ。鋭利な爪で床を蹴り、涎を垂らしながら牙を見せつけてくる。第二階層では珍しくもない魔獣とはいえ、僕が相手するには分が悪い。けれど、アヤメがいれば――。
「申し訳ありません。マギウリウス粒子の充填率は15%です」
「えっ?」
そう言ってアヤメは振り返る。そして、僕の胸を軽く押した。
再び“スポット”へと押し込まれながら、僕は目の前でブラックハウンドがアヤメの首元に牙を突き立てるのを見送った。
「アヤメ――ッ!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます