第5話「ハウスキーパー」
棺の中から目覚めた彼女は、瞬く間にオークの群れを蹴散らした。床に倒れ、血を流す魔獣たちの惨状と、ボロボロだが仕立ての良いメイド服を着こなす彼女の姿が、あまりにも似合わない。
彼女は腰を抜かす僕を青く光る瞳で見下ろす。流れるような黒髪は艶やかで、その肌は白磁のように滑らかだ。綺麗な人形のようだ、そんな印象を抱いてしまうのは、その表情があまりにも起伏のないものだからだろうか。
いや、違う。裂けた服の下から見えるのは、人間の肌ではない。金属の部品が飛び出し、バチバチと火花を上げている。見かけは人間にそっくりなのに、薄い肌の下にあるのは金属の体。彼女は何者なのだろうか。
「大丈夫ですか? マスター」
「うひゃあっ!?」
現実逃避気味に思考を巡らせる僕の目の前に澄ました顔が現れた。
「ま、マスターって、僕のこと?」
絡まりそうな舌で疑問を口にする。彼女は僕のことをマスターと呼んだ。それの意味することは、おそらく大きく違っているわけではないはずだ。
「はい。現状を非常事態と認識し、あなたを仮マスターとして登録しました。私はあなたを護衛します」
流れるような流暢な言葉で彼女は言う。仮マスターというのはあの時、手を握ったあの瞬間に決まったことなのだろうか。
いろいろな事が一度に起こりすぎて、何も分からない。混乱したまま、僕は彼女の名前も知らないことを思い出した。
「あの、僕はヤックと言います。あなたの名前は?」
「私はHK-01F404L01と申します」
「え、えいち……?」
羅列された言葉の意味が分からず首を傾げる。
彼女は真顔のまま僕をじっと見つめてしばらく動きを止める。お互いに見つめ合ったまま、無言の時間が続いた。どうしたらいいのか分からずそっと目を逸らした直後、唐突に彼女が口を開いた。
「私はHK-01F404L01と申します。第一世代近接格闘型ハウスキーパー、第404閉鎖型特殊環境実験施設第一施設保安部隊“アヤメ”のリーダークラスです」
再び怒涛の勢いで流れ出す口上。相変わらずその言葉の意味はほとんど分からなかったけれど、ただ一つ“アヤメ”という名前だけは聞き取れた。
「アヤメさん……でいいですか?」
「…………」
再び彼女は押し黙り、じっと僕の方を見る。空色の瞳が強く光を増して、キラキラと輝く。彼女が何を考えているのか分からず、いつでも謝れるように身構えていると、メイドさんはすっと立ち上がった。
「仮マスターの名称を登録しました。ヤック様、私のことは“アヤメ”と呼称して頂いて差し支えありません」
「あ、え。ああ、ありがとう……?」
よく分からないけれど、彼女のことはアヤメさんと呼べば良いようだ。最低限の意思疎通ができることが分かって、ほっと一息ついていると、アヤメさんは僕の脇へ腕を突っ込んできた。
「うわあっ!? ちょ、何を――!」
「ヤック様の身体損傷状況を確認しています。必要に応じて応急処置を行うこともできます」
「うわっ!? ぎゃっ!? ぐわあっ!?」
僕より少し背が高いとはいえ細身のアヤメさんは、軽々と僕を持ち上げてグルグルと振り回す。脳味噌をマッシュされそうな勢いに驚いて悲鳴を上げていると、優しく床に下ろされた。
「軽度の擦過傷が数箇所存在しますが、致命的な傷は発見できません。臓器系の損傷を確認しますか? 安全のため、メディカルポッドによる詳細な検査も推奨します」
「だ、大丈夫だから! それよりもアヤメさんの方が大怪我してるでしょ!」
再び振り回されるのは勘弁だ。僕はアヤメさんの大きく裂けたメイド服を指差して叫ぶ。
彼女はおそらく人間ではないけれど、それでも全身がボロボロで中身が飛び出している状況は健康とは言い難い。せっかく目を覚ましたというのに、僕を助けたせいで死んでしまうのは、あまりにも申し訳ない。
けれど、彼女は自分の体を見下ろして、また無感情な顔で頷く。
「駆動部の経年劣化、擬似神経系の摩耗は確認されますが、いずれも自己修復機能の適応範疇であると判断します。活動に大きな支障はないでしょう」
「いや、でも、胸元とか!」
「……ふむ。ヤック様はハウスキーパーの軽微な損傷にも強いストレスを受けるのですね」
アヤメさんはそう言って、ボロボロのメイド服に手をかける。そしてそのまま、一切の躊躇なく、勢いよく引き裂いた。
「うわああっ!? ちょ、か、隠して!」
「問題ありません。これより、自己修復作業を実行します」
露わになるのは女性らしい二つの膨らみ。谷間に深い傷が走って、中からヒモのようなものが飛び出しているにしても、表面は白く柔らかな肌なのだ。僕は慌てて体を後ろに向けて目を閉じる。
こんな迷宮の真ん中でなんてことをしているのか。後ろから聞こえてくるよく分からない金属音を聞きながら悶々とする。布の擦れる音も聞こえてくるのを意識の外へ追い出しながら、彼女について考える。
迷宮の奥、未踏破区域にあった謎の棺。そこに眠っていた彼女は、目覚めた直後にオークを蹴散らすほどの強さを見せた。メイド服の下に見えた体からも、彼女が人間ではないことは分かる。おそらくは、とても高度な技術によって造られた魔動力機械人形なのではないか。となれば、彼女そのものが迷宮の財宝だ。
「あの、アヤメ、さん」
「私のことはアヤメとお呼びください。権限レベルはヤック様の方が上位にあります」
「いや、あの」
「不正確な呼称は部隊行動において支障をきたす可能性があります」
「アヤメ……」
「なんでしょうか、ヤック様」
どうやら彼女は少し強情なところがあるらしい。慣れない呼び捨てに戸惑いながら、壁を見つめたまま疑問を投げる。
「アヤメは、いったい何者なの?」
「私の機体番号および所属に関しては先述のとおりです。繰り返しますか?」
「そうじゃなくて……。それもよく分からないけど、アヤメの役割が知りたいんだ」
ここは小さな町のそばにある“老鬼の牙城”という小さな迷宮だ。少なくとも僕の認識としてはそれに間違いはない。けれど、アヤメはここを違う名前で語った。
「私はハウスキーパー。第404閉鎖型特殊環境実験施設の保安業務を遂行する任務を負っています」
「第404……?」
「現在、私たちが存在している施設の名称です。マギウリウス粒子の完全循環環境下における生態系の人工的形成および生命体の特異形質拡張技術の発展のために――」
アヤメの言っていることの半分以上が理解できない。よく分からないけれど、なんとか一つだけ、彼女がかつてここで働いていたという事実は理解できた。
「アヤメは、迷宮で働いてたんだ」
「迷宮……。現時点での施設の一般的呼称という理解でよろしいですか?」
彼女は僕の知らない知識を有しているけれど、同時に僕の知っている常識を持ち合わせていない。いったい、どれほど長い時を眠り続けてきたのだろう。
「アヤメはどうして眠っていたの?」
再び問いを投げかける。けれど、すぐには答えは返ってこなかった。不安に思って振り返ると、彼女は床の上に膝を揃えて座って、上裸でメイド服を縫っていた。
「うわっ!? ご、ごめんなさい!」
「?」
慌てて後ろへ戻るけれど、アヤメは取り乱す様子もない。やっぱり、よく分からないな。一瞬だけ見えた彼女の体は、すでに綺麗に修復されて傷跡もなかったようだった。人間なら出血で死んでもおかしくないくらいの大怪我だったろうに。
しばらく、無言が続く。彼女に質問が届いていないのかと思ったけれど、どうやら何か考えている様子だった。服を着る音がして振り返ると、アヤメは完璧に修繕されたメイド服を纏って立っていた。
「――私は、第404閉鎖型特殊環境実験施設の危機的状況を鑑みて――」
それまで滑らかだったアヤメの口が初めてたどたどしいものになる。何かを探りながら言葉を紡いでいるようで、その表情に薄く苦悶の色が見て取れる。そのうちに、徐々に顔が赤みを帯びていく。
急に熱でも出したのだろうか。寝起きに激しく動き回ったから、体調を崩したのかもしれない。
「私は……なぜ……」
アヤメは浅く俯いて、推し黙る。身動ぎひとつせず硬直する様子は異様な空気を纏っていた。
考えることが彼女の負担になっているのだろうか。不安になって、手を伸ばす。僕の指先が触れる寸前、アヤメが顔を上げた。
「記憶領域に著しい欠落があります。修復を実施します。――修復ができません」
虚空を見つめて、うわごとのように呟く。彼女は明らかに混乱した様子で、何度も修復を試みる。
アヤメは記憶を失っているのだろうか。長い眠りのなかで、欠片を落としてしまったのだろうか。
「――私は」
心配しながらも何もできない僕に、アヤメがようやく目を合わせてきた。
「私は、僚機を犠牲にして、私だけが、ここに……」
言葉を区切りながら語る彼女の空色の瞳が、大きく揺れている。何か辛い出来事を呼び起こそうとしてできないような、もどかしさを感じる。彼女の苦しげな顔を見て、首を振る。
「大丈夫だから。無理して思い出さなくても」
彼女の手を取り、話しかける。心の傷を抉ってまで問いただそうとは思わない。そもそも、今はとにかくこの迷宮から脱出するのが先だ。この小部屋もいつまで安全か分かったものではないのだから。
「アヤメ!」
不安に思った矢先、来てほしくない現実が迫ってくる。硬直したアヤメの背後から現れた赤黒い巨体。遅れてやってきた四体目のオークが、僕らに向かって棍棒を振り下ろしてくる。
「排除します」
完璧に不意を狙った急襲だった。しかしアヤメは数秒前の狼狽が嘘かのように冷たい表情となり、身を翻す。オークの棍棒が届くよりも僅かに速く彼女はその懐へと潜り込み、奴の逞しい胸板へと手刀を突き込んだ。
豚鬼とも呼ばれるオークだが、そのずんぐりとした体に詰まっているのは脂肪ではなく筋肉だ。特に分厚い胸板は硬く、生半可な刃は通さない。当然、手刀などが通用するはずがない。オークもそれを確信していたはずだ。だからこそ、避けることなくそのまま攻撃を続行した。
『ガアッ!?』
けれど、彼女の指先は肉を貫いた。
オークの表情に驚愕の色が浮かぶ。
「――任務完了。しかし、現在地の危険を排除できてはいません。安全な場所への退避を提案します」
崩れ落ちるオークを背後に、無表情のアヤメが振り返る。驚きも混乱もなく、ただ冷静に事態へ対処して。
端正な顔付きのメイドのようでいて、やはり彼女は人ならざるものだった。
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