第4話「青い光の導き」
「はぁっ、はぁっ!」
息を切らしながら、それでも足は止められない。走る速度を緩められない。
背後からはドスドスと大きな地響きが迫ってくる。その音はいつの間にか数え切れないほどに増えている。
もはや背後を振り返る余裕もないけれど、他の魔獣も巻き込んでいるのは確かだった。
「こっち!」
絶体絶命の危機に瀕して、僕が縋ることができたのは偶然拾った不思議なナイフ。
奇妙なことに、このナイフは追手の手が届きそうになった瞬間に青い刀身が少しだけ輝く。そのタイミングで、なぜか都合よく分かれ道が現れるのだ。そこに飛び込めば、少しだけ余裕が生まれる。寿命がわずかに伸びて、首の皮一枚繋がる。
まるで細い蜘蛛の糸の上を渡るような極限のなかで、僕は青刃のナイフの導きを受けて辛くも逃げ続けることができていた。
「こっちだ!」
迷っている暇はなかった。ただ直感だけを信じて、ナイフのサインを見逃さないように気をつけて走るしかなかった。もはや、自分がどこをどう走ってきたのかも分からない。僕は迷宮に正しく迷い込んでいた。
「かはぁっ!」
唾が絡み、呼吸が乱れる。それでも走りを緩めることはできない。無理やり空気を飲み込んで、揺れる体を壁に擦り付けて体勢を保つ。絡まりそうになる足を叱咤しながら、少しでも距離を稼ぐ。
フェイドたちは逃げ切っただろうか。もし耐えきれば、助けが来るだろうか。
望み薄の期待はむしろ邪魔だった。頭を振り払い、目の前の現実に集中する。
「こっち!」
次々と角を曲がり、通路を進む。もはや敵の足音など数える暇はない。ただ明確な死の気配が迫ることだけは分かっていた。
足の感覚が薄く、いつ転んでもおかしくない。妙に頭だけが冷静で、冷たい現実を受け入れつつある。
そんな時、突然ナイフの刃が一際強く輝いた。
「なにっ――」
次の瞬間、目の前に部屋が現れた。まるで元からそこにあったかのように、暗い部屋が口を開けている。驚きながらも、逡巡している時間はない。僕は勢いよくその中へと飛び込んだ。
「ここは?」
僕が中に入った瞬間、出入り口が消える。再び無機質な壁が現れ、その向こうから力強く殴打する音がくぐもって聞こえる。ハイオークたちは、僕を諦めていない。
なにやらよく分からないけれど、このナイフは迷宮の壁を消す能力でもあるのだろうか。そんな迷宮遺物、聞いたこともないけれど……。
だが、当面の危機は去った。わずかに息をつく余裕ができて、僕は床にへたり込む。もはや足が動かない。ここが安全なのかも分からない。
今の所、室内に敵の気配はないけれど、またいつ壁が開いてハイオークたちが雪崩れ込んでくるとも限らない。その前に、少しでも周囲の把握をしておかなければならなかった。
「よいっしょ……!」
なまくらのような体に鞭打ってよろよろと立ち上がる。ルーシーの薬の効果がまだ残っているのか、少し休んだだけで思ったよりも体力が回復していた。
暗い室内に目を凝らし、周囲を観察する。謎めいた装置らしきものが無秩序に並び、積み重なっている。埃が積もり、僕が飛び込んできた衝撃で舞い上がっていた。
ゆっくりと足音を忍ばせて歩く。周囲に動くものの気配はないけれど、巧妙に隠れている可能性も捨て切れない。何が襲ってくるとも限らない。
「これは――?」
そして、僕は箱を見つけた。
部屋の中央に置かれた、ちょうど人ひとりが収まるサイズの棺のような鉄の箱だ。触ると氷のように冷たく、とても硬い。表面に埃が厚く積み重なっていた。
それを腕で払い、その下にあるものを見て、思わず声を上げる。
「うわぁっ!?」
積もった埃の下にあったのは、透き通った透明なガラスの板。箱の中身が見通せる。
その中に収まっていたのは、瞼を閉じた黒髪の女性だった。
驚いた拍子に足がもつれ、後ろに倒れ込む。青刃のナイフが手から離れ、棺の上に載った。
「い、生きてるの……?」
恐る恐る箱に近づき、覗き込む。見れば見るほど、それが現実であることが補強されていく。
箱の中に収まる女性は、長い黒髪に白磁のような肌をしていた。死んでいるのか、少なくとも呼吸はしていない。なのに、まるで生きているかのように瑞々しい。上質な透明のガラス越しに見える姿は、とても綺麗だ。
外見状の年齢は、二十代半ばといったところか。おそらくは人間族。頭に白い飾りを着けている。
新手の魔獣、未知の罠。そんな可能性が頭を過ぎる。僕たちは探索者だが、迷宮について知っていることは驚くほど少ない。より詳しく調べるため、僕は棺の埃を全て払い落とす。
「……メイド服?」
ガラスは上蓋の全面にわたっていた。おかげで中で眠る女性の全身が見える。
彼女はいわゆるメイド服と呼ばれる、丈の長い黒いドレスと白いフリルの付いたエプロンを装っていた。迷宮の奥地で見つけるには、あまりにも場違いな服装だ。
なぜこんなところにメイドが埋葬されているのか、理解ができない。
僕が呆気に取られていると、不意に手元で音がした。
『――システム接続完了。スリープ解除シーケンス実行』
「うひゃああっ!?」
驚いて飛び上がる。魔獣が襲いかかって来たのかと思って、急いでナイフを探す。けれど、僕が見つけたのは天板の上で青く輝きを増すナイフだった。
その光は棺の表面へと流れ出し、無数の筋となって駆け巡る。慌ててナイフを手に取り、棺から飛び退く。
次の瞬間、棺の蓋がわずかに浮いた。
『凍結保存解除シーケンス完了。機装兵復帰シーケンスへ移行』
どこからか響く声に狼狽えている間にも、状況は目まぐるしく変わる。小さな爆発音がしたかと思うと、勢いよく棺の蓋が吹き飛んでいく。
「うわぁっ!?」
もはや立ち上がることもできず、這うようにして逃げ惑う。僕の背後で、何かが立ち上がる気配がした。
「覚醒を確認。周囲を探索。マスター不在。――緊急措置として、至近の知性体に仮認証を試みます」
玲瓏な声が響く。振り向かずとも、それが誰のものなのかは分かった。
「ひっ!?」
「HK-01F404L01より申請。仮マスター契約の締結を求めます」
白く滑らかな手が差し伸べられる。
死んだように眠っていた女性が、瞼に隠されていた空色の瞳がじっとこちらを見つめていた。
「了承いただける場合は、お手を取って下さい」
再び、抑揚のない声がする。揺れる唇は薄く柔らかく、生気を帯びていた。
「あ、ああ……」
差し出された手をゆっくりと握る。氷のように冷たくて、少し硬い指だ。彼女は僕の手を握り返し、離さない。
「マギウリウス粒子放射パターン認証を実行。対象を仮マスターとして承認。機装兵行動制限規則の解除を確認。HK-01F404L01、復帰シーケンスを完了しました」
彼女に引き上げられるようにして立ち上がる。僕よりも背の高い彼女は、肩に手を回して周囲に視線を巡らせる。
「実験体の暴走を察知しました。問題対処に当たります」
「えっ、えっ?」
もはや理解の追いつかない僕を置いて、彼女は動き出す。メイド服の裾を揺らして、壁の前に立つ。そこは、オーク達が今も力強く拳を打ちつけているところだ。
危ない、と叫ぼうとしたその時、彼女はおもむろに拳を握、軽やかに突き出す。
「実験体の敵対行動を確認。安全確保を目標に設定。敵性存在の排除を試みます」
轟音と共に迷宮の頑丈な壁があっけなく破壊される。その向こうで武器を叩き付けていたハイオークたちも纏めて吹き飛ばし、暗い通路の奥へと追いやる。
唖然とする僕に彼女は振り返り、平然としてぎゅっと拳を握りしめた。
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