第3話「未踏破領域」
「ヤック、てめえ」
「わ、分かってる。けどでも、今はダメだよ」
射殺すような鋭い眼に睨まれながらも、必死にフェイドを留める。
彼が今すぐ未踏破領域の探索に乗り出したい気持ちも分かる。スポットの壁という誰にでも分かりやすい場所に通路が現れた以上、ここが他人に見つかるのは時間の問題だ。迷宮内の宝は早い者勝ちが基本だから、出遅れるとそれだけで可能性が消えていく。
それでも、僕は彼らを止めないわけにはいかない。
未踏破領域には財宝が眠っている可能性が高い。手付かずの遺跡には、まだ見ぬ宝があるはずだ。けれど、そこに待ち受けているのはそれだけじゃない。強力で獰猛な魔獣や、作動していない罠が残っていることも考えられる。
第三階層到達という偉業を成し遂げて、かなりの稼ぎも得られた。それに僕らはみんな疲労困憊だ。物資もかなり消耗している。とても万全の状態とは言えない。こんな状況で、予測できない危険に溢れる未踏破領域に入るべきじゃない。
「少なくとも、体勢を立て直して……」
「そんな悠長なことしてる暇があるか!」
けれど、僕の説明にフェイドは聞く耳を貸してくれなかった。唾を飛ばして怒鳴る声に僕は萎縮してしまう。
フェイドは一刻も早く一流の探索者になることを目標にしている。そのために、一年もかからず“老鬼の牙城”の第三階層到達も成し遂げた。一攫千金の夢がある探索者となって、その夢を叶えるのが彼の原動力だ。
「ルーシー。薬を出せ」
「えっ」
「早くしろ!」
声を荒げるフェイドに急かされて、ルーシーが懐から小瓶を取り出す。彼はひったくるようにしてそれを手に取ると、勢いよく一息に飲み干す。顔色が急激に悪くなり、ギュルギュルと凄まじい音が腹から響く。
「フェイド、大丈夫?」
「大丈夫だ」
おろおろする僕にそう言って、フェイドは背筋を伸ばす。味はともかく、ルーシーの薬の効果は確かだ。彼の表情には活力が漲り、疲労が吹き飛んでいた。
「ルーシー、あたしにも」
「俺もだ」
「う、うん。どうぞ」
フェイドの様子を見て、メテルとホルガも同じ薬を飲み干す。そして少しの間悶絶した後、湧き上がる力と共に立ち上がった。
「ちょ、ちょっとみんな。本当に――」
「ごちゃごちゃうるせえな。そんなに怖いなら帰ってろ」
眼に妖しい光を宿らせてフェイドが言う。もはや、説得は無意味だと悟った。
「――分かった」
僕は踵を返し、彼から離れる。
そうして、ずっしりと重いリュックサックを背負って、戻る。
「僕もついていく。水はまだ、少しあるから」
僕だって“大牙”のメンバーだ。それに、駆け出しだろうとへなちょこだろうと、探索者なんだ。
「ヤック。どうぞ」
ルーシーから小瓶が渡される。覚悟を決めて、腹を括って、決意が揺らがないうちにそれを受け取る。呼吸を止めて目を閉じて、一気に飲み干す。できるだけ舌に触れないように。
「うっぐぅっ」
煮えたぎるような刺激と熱と複雑で風味豊かなエグ味、苦味、甘味。情報量の多い味が一気に流れ込み、胃の腑に落ちてもまだ熱を感じる。拍動が加速して、目が大きく開く。眩しいくらいの光を感じながら、全身に力が湧いてくる。
「メテル、第三階層以上に用心しろ。ホルガはいつでもメテルを守れるように」
「了解」
「承知」
「ルーシーも魔力は流しておけ。治癒の魔法の用意を」
「分かったわ」
真剣な表情でフェイドが指示を飛ばす。仲間たちもそれを聞いて、万全の準備を整える。
「ヤック」
「うん」
最後にフェイドは僕の方を一瞥して言う。
「ここから先はお前を守れない。死ぬなら自己責任だ」
「……分かってる」
もとより覚悟の上だ。
探索者は自分の命を賭けて、リスクを承知で死地に飛び込むものなのだから。
リュックサックを背負い直して頷く。そんな僕を見て、フェイドは鼻を鳴らした。
「行くぞ」
その一言で、僕たちは歩き出す。
「――大丈夫」
先を進むのは身軽な斥候のメテルだ。彼女が地面、壁、天井、前方を注意深く確認しながら、慎重に安全を確認していく。迷宮は構造が入り組んでいて曲がり角のすぐそこに魔獣がいることも多い。また、たまに
危険な役割を果たすメテルのピンと張った尻尾を追いかけながら、慎重に進む。
「ッ! 止まれ」
先行していたメテルが尻尾を立てる。制止の合図。
三角の耳がぴくりと揺れて、周囲の音を探る。獣人族の彼女は聴覚や嗅覚に敏感で、わずかな魔獣の気配もしっかりと捉える。おかげで僕らが奇襲を受けたことはあまりない。
優秀な斥候を務める彼女が、何か危険を察知した。即座にホルガが盾を構え、フェイドが鞘から剣を引き抜く。
「……」
静まり返った迷宮の中に、緊迫した空気が流れる。スポットを一歩出ただけで、周囲には濃密な魔力が満ちていた。その息苦しい圧迫感に耐えながら、動かないようにして息を殺す。
メテルが注視しているのは、通路の奥にある十字路。ひと気がなく薄暗いそこに何かの気配を感じている。
「近づいてきた」
直後、僕たちの耳にもそれが聞こえた。地面を力強く踏む足音だ。それだけで重量のある巨体であることが察せられる。フェイドの剣の柄を握る力が強くなる。
緊張が走るなか、足音は着実に近づいてくる。そして全員が即座に動けるよう臨戦体勢を整えたその時。
「オーク!」
「うぉおおおおおおっ!」
横道からぬらりと巨大な影が現れる。張り詰めた赤黒い皮に浮き上がる太い血管。おおよそ人のような体をしながらも、頭部は豚に似た醜悪な姿をしている魔獣だ。その力は凄まじく、まともに受ければ熟れたトマトのように潰れてしまう。
メテルが勢いよく飛び下がると共にフェイドが飛び出す。狙うは首元の一点だ。分厚い胸板を貫くのは難しく、首を刎ねることはまずできない。ならば喉を貫き、剣を手放し、窒息死させる。それが彼の基本戦法だった。
『ゴォッ!』
僕らの存在に気がついたオークも動き出す。こちらへ体を向け、隠れていた右腕を持ち上げる。それを見たホルガが、フェイドを突き飛ばして前に出た。
「ぬぉおおっ!」
ガシャン、と激しい音がする。
オーク自らの巨体に隠れて気づかなかった。奴は右手に棍棒のような武器を持っていた。ホルガは間一髪で自身の身を捩じ込み、フェイドがその直撃を受けるのを防いだのだ。
「ホルガ!」
「腕が折れた!」
「――巡る血潮、活性する魂、湧き上がる活力。彼の者の傷を癒やせ!」
即座にルーシーは杖を構え、宿した魔力を解放する。ホルガの太い腕がボキボキと音を立てて元に戻っていく。肉を抉られるような激しい痛みに耐えながら、ホルガは彼女の治療を受ける。
「やってくれたなぁ!」
その間にも戦闘は止まらない。
ホルガに窮地を救われたフェイドが再び飛び出し、迫り掛かる。オークが棍棒を振り回すが、彼は機敏な動きでそれを掻い潜る。
「伏せて!」
「ふっ」
避けきれない攻撃が飛んできたその時、オークの肩に鋭い鉄の刃が突き刺さる。
『ブファッ!』
前触れのない激痛にオークが仰反る。その眼前には、数本のナイフを持ったメテルが立っていた。
自身に傷を負わせた彼女にオークは憤慨する。鼻を鳴らし、牙を剥く。轟く雄叫びを上げて、彼女の元へ駆け出そうとする。しかし、その首に勢いよく切先が突き立てられた。
「お前の相手は、俺だ!」
深く肉に食い込んだ剣を、強引に振り払う。
『ゴボァッ!?』
抑えきれない傷から、鮮血が吹き出す。ボコボコと泡立つそれは、オークの呼吸も阻害する。黄濁した瞳が恨みがましくフェイドを見下ろす。
例え魔獣であろうと、勝敗は一瞬で着く。ゆっくりと崩れ落ちる豚鬼から十分に距離を取り、フィイドは完全に事切れるのを待った。
「解体は?」
「しなくていい。それよりも二階層にオークが出てきたってのが厄介だ。他の奴らが寄ってくる前に進むぞ」
オークの骸もひと財産だが、フェイドは一瞥もくれない。赤黒い小山を踏み越えて、更に先へと進む。魔獣は血の匂いに敏感だ。倒れた奴は、例え同族であろうと食らうほど貪欲なものも多い。
だが、剣に塗れた血も拭わずに歩き出すフェイドは、明らかに気が急いていた。
「フェイド、少し冷静に――」
「さっさと行くぞ!」
僕が声をかけても、逆効果だ。彼はメテルすら取り残して先へ歩き出す。慌てて彼を追い掛けて走り出した僕は、偶然それに気がついた。
「フェイド!」
「あ?」
彼が振り返る。その背後から、赤黒い巨体が現れた。
オークじゃない。似ているが、ひとまわり大きい。筋骨隆々で、骨太な体をしている。その手には鋭利に研がれた大鉈のような武器がある。
「は?」
彼が発したのは、あまりにも間の抜けた声だった。
ぎょろりと大きな眼が彼を見下ろす。豚鼻が荒い息を吹き出す。
「フェイド!」
彼の腕を掴み、力を込めて引く。
次の瞬間、彼が立っていた場所に大鉈が落ちてきた。
「ひぇあっ」
オークよりも更に凶悪な風貌の魔獣。その背丈は天井に迫り、途方もない威圧感を発している。
「ハイオーク……」
信じられない、とメテルが声を震わせる。
それはオークの上位に君臨する魔獣。第三階層どころか、最下層である第六階層においてもごく稀にしか目撃報告がなく、討伐報告に至っては皆無の強者。
それがなぜ、こんな浅いところに。そんな疑問にはすぐに答えが出てくる。
ここが未踏破領域だからだ。
「逃げろ!」
フェイドが叫んだ。ホルガとメテルが弾かれたように身を翻して走り出す。
「や、ヤックが――」
「構うな、逃げろ!」
狼狽えるルーシーの手をフェイドが掴み、引き摺るようにして逃げていく。
「あ、あ――」
僕は重たいリュックサックを背負ったまま、震えて小さな声を漏らすことしかできない。仲間の足音が遠のいていく。
ハイオークは泰然として彼らの背中を見送った後、こちらへ目を向ける。圧倒的な強者故の、余裕だった。
「うわぁ――っ!」
僕はここにきてようやくリュックサックを捨てるという発想に至った。手間取りながらベルトから腕を抜いて、無様に転げながら逃げ出す。けれど――。
『グヒヒィッ!』
僕の小さな歩幅では、奴からは逃げきれない。奴は結末の決まった狩りを楽しむように、わざと力を抜いて追い掛けてきた。その口から漏れ出る喜びの声に足がすくみそうになりながらも、僕はがむしゃらに腕を振るしかできない。
「ぐわっ!?」
足元に気を配る余裕もなく、僕は何かに蹴躓いて派手に転がる。ハイオークはまっすぐにこちらへ歩み寄ってくる。
全身を巡る恐怖に耐えながら、足元に目を向ける。そこにあったのは、小さなナイフだった。箱に入っていたのを蹴ったようで、近くに蓋の開いたケースも転がっている。なぜこんなところに、と考える余裕はない。けれど、そのナイフは青く透き通った薄い刃をしていて、とても綺麗に思えた。
差し迫る死の気配に、脳が現実逃避しているようだった。
僕はそのナイフに手を伸ばし、細い柄を握る。吸い付くような握り心地で、冷たい感触が伝わってくる。
ハイオークの力強い足音が迫る。
せめて、一矢報いるべきか。青刃のナイフを握り締め、振り返る。
『グブゥ』
そして、奇妙な現象が起きた。
ハイオークが一瞬動きを止めたのだ。その目玉が、僕の手元に向かう。明らかに、このナイフを見ている。
死の間際に瀕して、妙に冷静だった。
このナイフになにか、ハイオークさえも恐れさせるような何かがあるのだろうか。よくよく考えれば、なぜ未踏破領域にナイフが落ちているのか。しかも、見たこともないほど美しい青刃のナイフが。
「これは、古代遺産……?」
迷宮に眠る本物の宝。迷宮を作り上げた古代文明の残滓。人智を超越し、ドワーフの技術でも追いつけず、エルフの魔法でも再現できない、未知なる力を秘めた神秘の具現。
キラリと青刃が応えるように輝いた。それを見た瞬間、絶望していたなかに一縷の希望が差し込んだ。
「まだ――」
腕に、足に力を込める。力がみなぎる。
「まだ、死にたくない!」
僕は渾身の力を振り絞り、飛び上がる。そして、一目散に逃げ出した。
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