第7話「B型近接戦闘装備」

 鈍い音と共に吹き飛ぶアヤメを慌てて追いかける。スポットの近くには、腹を空かせた魔獣が待ち構えているというのは常識だ。そんなところで無防備に立っていたら、襲われて当然だ。

 ブラックハウンドは目立った能力を持たない普通の獣と侮られることもある。それでも魔獣と呼ばれているのは、およそ同じ体格の狼では敵わないほどの純粋な力を持っているからだ。ブラックハウンドの突進をもろに受ければ良くて骨折、悪ければ首が折れて即死もあり得る。


「――問題ありません」

「えっ?」


 けれど、焦って飛び出した僕が見たのは、ブラックハウンドに押し倒されながらも平然とするアヤメの姿だった。


「問題ないって、問題しかないじゃないか!」

「この実験体の力では、機体を損壊させることはできません」


 慌てて剣を引き抜く僕に対して、アヤメは冷静だ。自分の腕に深々と牙が突き立てられているというのに、一切取り乱していない。そんな彼女を見て、僕もようやく違和感を抱き始めた。


「腕が、折れてない……」


 ブラックハウンドの顎の力はとても強い。人間の腕どころか、その何倍もあるような太い木の丸太だって砂糖細工のように噛み砕いてしまう。けれど、アヤメの腕はどれだけ噛みつかれても全く傷ついていなかった。


「私の機体装甲は高耐久人工皮膚と多層カーボンナノチューブ繊維、およびマギウリウス多次元格納集合構造体によって構成されており、フレームは高強度合成金属製です。そのため、この程度の外力では損傷し得ないと判断していただいて結構です」

「は……?」


 アヤメが淡々と話している間にも、ブラックハウンドは力強く噛み続ける。けれど、どれほど咀嚼を繰り返しても、彼女のきめ細やかな皮膚すら食い破ることができないでいた。


「――戦闘行動に最低限度のマギウリウス粒子を充填しました。現時刻より、敵対存在の排除を実行します」


 そして、狼は諦めるのが遅かった。

 アヤメはまるで、その獣の存在を無視するかのように軽やかに立ち上がり、腕を振る。それだけで、ブラックハウンドは子犬のような悲鳴と共に床へ転がった。

 よろよろと立ち上がるブラックハウンドの瞳には、明確な怯えの色がある。自分が最大の武器としていた牙が、全く通らなかった。そんな未知の存在に恐れを抱いていた。


「――ッ!」


 決着は迅速に、静かに下された。

 床を強く蹴ったアヤメは一瞬で距離を詰め、その勢いのまま膝でブラックハウンドの顎を砕く。悲鳴すら上げる間もなく、魔獣は頭蓋骨を砕かれ、即死した。


「任務完了。お怪我はありませんか、マスター?」

「あ、え。うん……。ありがとう」


 変わらない無表情をこちらに向け、アヤメは僕のことを労ってくれる。そんな彼女にも全く傷はなく、ただメイド服の袖だけが噛みちぎられていた。


「偵察の結果、施設内は老朽化が著しく、長年に渡り管理者が不在であると推測します。そのため、実験体の多くが無制限に解き放たれ、ヤック様単独での活動は危険であると判断しました。より効率的かつ効果的な護衛のため、まずはB型近接戦闘装備の回収を行いたいのですが、よろしいでしょうか?」

「び、B型……?」

「ハウスキーパー用の戦闘装備の中でも、施設外活動のために揃えられた装備キットです。B型近接戦闘装備が入手できれば、施設外での活動も行えるようになります」

「よく分からないけど、アヤメにはそれが必要なんだよね。だったら、取りに行こう」


 どうせ、僕ひとりではこの迷宮から脱出することもままならない。それなら、アヤメが求めるものを手に入れて、彼女に守ってもらいながら進むしかない。急がば回れ、というやつだ。

 僕が頷くとアヤメは早速歩き出す。彼女の側にぴったりと張り付くようにして、薄暗いダンジョンの中を進む。向かう先はスポットの奥にあった未踏破区域だ。


「アヤメは迷宮の構造を覚えてるの?」

「イエス、またはノーです。第404閉鎖型特殊環境実験施設の全体構造は完全に把握していますが、現在の状況とは大きな差異が確認されます。著しい経年劣化による構造崩壊と、自動修復システムによる再構築によって、細部が異なっているようです」

「なるほど」


 相変わらずアヤメの言葉はほとんど分からない。けれど、彼女は迷う様子もなく複雑な迷宮の道を歩き続けている。


「アヤメ、オークだ!」

「対処します」


 道中、やはりたくさんの魔獣に遭遇する。けれど、僕が怯えて足を竦ませている間に、アヤメが鉄パイプで殴り殺していた。返り血で頬を汚す彼女は、無表情なのも相まって頼もしいけど少し怖い。

 現れる魔獣を淡々と撲殺しながら順調に進んでいたアヤメは、やがて通路の真ん中にある壁の前で立ち止まった。


「アヤメ?」

「目的地に到着しました。ヤック様、ブレードキーをこちらへかざしてください」

「ブレードキーって、これのことか」


 これ以外にそれらしいものはない。僕はベルトに差していた青い短剣を取り出し、アヤメの指し示した壁の近づける。

 すると、突然短剣の半透明な刀身が輝き、それに応じるように壁も青い光を浮かべた。同時に壁が揺れ、何もないところに線が走り、横へずれる。取手もない扉が開き、薄暗い部屋が現れた。


「うわぁ……。未踏破区域の中に未踏破区域がある」


 当然と言えばそうなんだけど。

 まさか、迷宮にこんな部屋があったなんて。アヤメがブレードキーと呼ぶこの短剣はいったい何なんだろう。なぜ、迷宮の真ん中に落ちていたんだろう。

 疑問は尽きないけれど、それを考えている暇はない。アヤメはコツコツと靴音を響かせながら部屋の中に入っていく。置いていかれないように慌てて後を追いかけ、部屋の中を見渡す。


「トランク……?」


 そんなに広い部屋ではない。天井まで届く背の高い棚が一面を覆っていて、そこには同じ形をしたトランクがいくつも並んでいる。

 アヤメはその中から一つを手に取り、床に置く。慣れた動きで鍵を外し、開くとそこにはギッチリと謎の道具が入っていた。


「もしかしてこれ、全部財宝?」

「ハウスキーパー用の装備保管庫です。ここにあるものは全て機体認証式装備なので、ヤック様は使用できません」

「それでも、売ればいい値段が付きそうだね」


 ここはアヤメが使える武器を納めた倉庫らしい。トランクの中に詰まっている武器や道具はアヤメにしか使えないと言われたけれど、見た目だけでもかっこいい。迷宮遺物であることには間違いないわけだし、地上で売ればそれだけでひと財産築けそうだ。

 アヤメの武器ということは、僕の生命線でもあるわけだから、もちろん売るつもりはないけれど。迷宮遺物を見たら金額を換算してしまうのは、探索者の癖だ。


「多少の劣化は見られますが、許容範囲内です。ヤック様、お手数おかけしました。これより、施設外へと向かいましょう」


 トランクの中身はアヤメのお眼鏡に適ったらしい。彼女は再び鍵を掛け、持ち上げる。

 メイド服に大きなトランク。やっぱり、彼女が生身でブラックハウンドを圧倒できるほどの強さを持つとは思えない見た目だ。けれど、彼女の実力を間近で見た僕にとっては頼もしい。


「うん。行こう、外に」


 彼女に守られながら、というのも情けないけれど。僕はフェイドたちに無事を知らせなければならない。そのために、彼女に助けてもらおう。

 装備を整えて武器庫の外に出る。音もなくドアが閉まり、また何の変哲もない壁に戻った。

 アヤメは迷いなく歩き出し、僕もその後について行く。次々と襲いかかってくる魔獣を鉄パイプで殴り倒しながら、順調に進む。

 それから1時間も経たずに、僕たちは“老鬼の牙城”の入り口へと辿り着いた。

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