24.お気楽サンバ

 結季ちゃんはコーヒーを一口運んで、小さく息を吐いた。


「日郷さんはこっちによく来るの?」


「たまにね。結季ちゃんは?」


「わたしもかな。すぐ近くの予備校だから気分転換で来たりするよ」


「へー。じゃあ今日は気分転換の日?」


「どうだろ……」


 結季ちゃんは言葉に悩んで一度ふむと考えてから、小さく微笑む。


「なんとなく、かな」


「おー」


「日郷さん風」


「いいんじゃない。なんとなく。大体のことはなんとなくだよ」


「それはどうかと思うけど……」


 困ったように笑う結季ちゃんにつられて口がほころぶ。


 人に合わせず、気の向くままになんとなくで過ごす時間というのは思ったよりも気楽なものだ。


 その気楽さに慣れてしまうと今度は誰かと合わせることがなくなってしまったので、今やずっとおひとりお気楽サンバだ。


 結季ちゃんは黒い水面を見つめたまま呟く。


「やっぱり噂は噂だね」


「んにゃ?」


「日郷さんは色々とその……有名人だったから。あまり良くないことが嫌でも耳に入ったの」


「前もそんなこと言ってたけど、俺って有名なの?」


 複数人からの証言が一致していることからどうも俺と周囲の俺の認識が違っているようだと最近自覚し始めた。とはいえ理由はてんで分からない。


 学校の有名人といえば沙月のように生徒会長だったり、とーかちゃんみたいな毎日会うような教師で目立つ人間だろう。


 あとは全校生徒が集まる場で表彰されたり、ネタに走ったりするやつくらいか。例えば体育祭の選手宣誓でおふざけして笑いを取る子とか。


 当然俺はそんな方面で表舞台に出たことなんてない。そういうとこでは大体爆睡しているか遅刻してそもそもいないことの方が多い気がする。


 あとは停学になったとか、それこそ犯罪行為でもすれば悪い方向で目立つことはできるか。こちらも俺には縁がない話だけど。


 結季ちゃんは口元に指をあて、そんな俺の疑問に答える。


「わたしが聞いた範囲だと、二年生の子はほとんど日郷さんのこと知ってると思う」


「ヤバいね」


「ヤバいんだよ」


 いや逆にすごい。何が逆なのかは知らんけど、そのレベルで名が知れ渡っているのだとしたらすごいじゃん。


 その割には普段話しかけてきてくれるのが葵や委員長ちゃんだけとうのは悲しいところだけど。


「学校ちょっと行かないだけで有名人かー」


「有名な理由の半分くらいそれだよ」


「マジで」


「マジ。残りはその髪、かな」


「カラーのこと? 沙月にも言われたなあ。え、カッコよくない?」


「似合ってるし、その……か、カッコイイよ。でも普通に校則違反」


「えー、やっぱ戻した方がいいのかなあ」


 これが原因でさらに悪目立ちしているのであればあまり本意ではない。


 そもそもすごく思い入れのある色とかでもないし。美容院でオススメされてそのままその色にしているだけだ。


 今すぐ黒に戻す気もないけど、次回からカラーなしでお願いするかあ。


「元の色合いでも雰囲気あるから良いと思う」


「むーん。考えとく」


「……話が逸れたけど、目立つ日郷さんが学校にも来なくて色んなところに出没するのは……君のことを知らない人からは良い話にはならないでしょ?」


 言いにくそうにカップを見つめている少女の姿をちらりと伺いながら、俺は視線を窓の外の人たちへ向ける。


「そうかもね」


 納得どころか理解もしていないけど、適当に合わせる。


 俺にしてみればその程度で、俺のことを周囲が認知していることが摩訶不思議だ。


 誰が学校に来ていなかろうと、誰がどんな髪の色をしていようと、そんなことは気にも留めない出来事じゃないのだろうか。


 だって、どうでもいいじゃん。


 葵に言わせれば『どうでもいいじゃん』というのが、俺の他人に執着していない部分らしいが。


 確かに俺は他人がどうということに固執はしていない。


 誰かと話していなければ寂しいだとか、誰かが一緒にいなければ生きていけないだとか、そんな感情をこれまで抱いたことがない。


 生きることがつまらないとかそういうことを抜きにすれば、俺は究極的には自分一人だけで生きていける人間なのだ。


 もちろん誰かとお喋りすることをくだらないものだとも思わない。


 そういうものも心に余裕を持たせるためには必要なことまで疑っているわけではない。


 実際中学に上がる前から高校入って半年までの俺はちゃんとそういう時間を過ごしてきた。


 誰かと一緒にお喋りして、遊んで、また出会いや別れを繰り返して生きていくことを、世間では普通の人生と言う。


 だから俺もそれが面白いことなのだと信じてやってきた。確かに良いこともたくさんあったし、そういう時間があっても楽しいことだと思う。


 だけどどうやらその世界で普通とされているものは、俺にとっては生きる指針にするほどのことではなかった。


 きっと優先度の低い娯楽のようなもので、なくなったとしてもあまり気にしないだろう。


 そんな俺にしてみれば、関わりに行くことも来ることもない相手にそこまでの関心を抱けるというのが不思議でしかない。


 でも、そういうのを面倒くさいと思わず、興味を持ち続けることが普通の人間なんだろう。


 俺は面倒くさいと思って切り捨ててしまうので、それはきっと他人からは淡泊に見えている。


 そんなことを考えていると、黙って視線を合わせない俺を気遣ったのか結季ちゃんがあわあわと補足に入る。


「で、でもそんな信憑性の高い話はあんまりないんだよ!」


「なんかそういうエピソードあるんだ」


「例えばね……先生たちに抗ってるとか、他校の不良学生と夜遊びをしているとか、学校に隠れてアルバイトをしてるとか、かな」


「ふふ。全部外れ」


「そうなんだ。やっぱり噂は噂ってことかな」


「うん。とーかちゃんとか他の先生とも仲いいよ。この前お弁当分けてもらったし」


「それはそれでどんな関係を築いてるのか疑問だけど……とーかちゃんってもしかして神海先生のこと?」


「他にいなくない?」


「……この件は深く突っ込むのをやめとくね」


「夜も一人でふらふらはしてたけど、他校の不良って誰だろ。中学のときの友達とかにもまだ会ってないもん」


「夜に出歩いてることに尾ひれがついたのかも。最後はバイトだけど」


「うん。ちゃんと許可取ってやってた」


「してたんだ。というか許可って取れたんだ」


「バイト禁止じゃないよ、うちの学校」


「そのこと自体初めて知った……」


「ここから学校までのちょうど中間の位置くらいのコンビニで半年くらいやってたかなあ。飽きてやめちゃったけど」


「へぇ……お金欲しかったの?」


「いんや。暇だし、面白いかなあって」


「社会勉強、みたいなものなのかな……」


 実際、普段使っているところの舞台裏みたいなのが知ることができてちょっと楽しかったのは嘘じゃない。勉強って感じではなかったけど。


 地域柄でそこまで治安の悪い感じのお客も来なかったので気軽に働けていた。


 まあだんだんと慣れてくると逆に面倒さの方が勝ってきたので結局辞めたんだけど。


 店長にはだいぶ引き留められたし、申し訳ない気持ちがないわけでもないけど、やっぱり面白くないものを続ける気力はなかったのだ。


「みんなもそこまで本気にしてないと思うけど、たまに目撃したところから話が大きくなったのかも」


 思案顔の結季ちゃんがそう言う。珍しいものと言われるほどレアキャラなのか。


「見られてたかー」


「友達から何回か目撃情報を提供されたことあるよ」


「そんなUMAみたいな扱い」


「わたしも発見したこともあるし」


 今度は楽しそうに結季ちゃんが笑う。


 そんな見ると幸せになれる鳥みたいな発見のされ方。というか学校のみんながよく見つけるものだ。


 なんだろうね。愛情というよりは総監視社会的なものを感じる。


 どこにいても誰かに監視されていそうで、もうホラーか社会派映画みたいな状況だ。学校をさぼっただけなのに。


 しかし、だからと言ってこの場所に近づかないとか引き篭もろうと思うほど気にしてもいない。


 ここも一番の中心街だけあって店もたくさんあり、映画館も近くにあるし、普通に来たい。


 だから。まあ、いいか。


 その内飽きられるだろうし、進学校だからその内みんな勉強に集中して俺のことなんて気にも留めなくなるだろう。


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