23.なんとなく

 店内の民謡BGMを聞きながら飲みやすい温度になったコーヒーに手を取るったところで、コンコンコンと目の前から窓ガラスを叩く音がした。


 コーヒーの水面から顔を上げると、その音の作曲者と目が合う。


 高校の制服姿でカバンを持ち、目を引く山吹色の髪がなびいていた。結季ちゃんだ。


 結季ちゃんは目が合うと微笑んで何やらこちらに話しかけている。


 けどこっちからでは何も聞こえない。


 図書室にあった読唇術の本読んだことがあるけど、口の動きを見ても全然わからん。知識を入れても全く役に立っていない。


 俺が首を傾げていると結季ちゃんも何やら考え込む格好をし、そのまま小走りで去っていく。


 その後ろ姿もなんだか目を惹かれる。彼女が通った道が綺麗な色で彩られていくようだった。


 チリンチリン、と入店を知らせる音。


 視線を向けるとやはりというか、結季ちゃんだった。


 彼女もこちらを一瞥すると胸の前で小さく手を振って、レジで注文済ませる。


 商品を受け取り、迷いのない足取りをこちらに向ける。


「お隣、いい?」


「うん」


 雰囲気に違わない優しい声音に頷く。


 一人の時間ではあったけど、暇だったので誰か来ることに拒否感はない。


 というかこの状況で違うとこ座られたらそっちの方が居心地悪い。知り合いに気づいたけど、あっちはこちらに気づいてない、微妙な居心地のやつ。


 とはいえ店の外で目が合っていても、隣にかける前にこうやって一言断るところが律儀というか。


 男同士だと「よう」「おっす」みたいな言葉じゃない意思疎通になるし。


 それがダメということもないけど、結季ちゃんが生真面目で、お育ちの良さがあるのだろう。


 結季ちゃんが隣の席に腰を下ろす。


 注文したコーヒーにフレッシュをまずは半分程度円を描くようにゆっくりと入れ、少し混ぜてから残りも同様に入れていく。


 所作に無駄がないし、飲み方にこだわりがあるんだろう。


 俺はフレッシュもガムシロも貰えば適当にぶっこむが、セルフで取っていくタイプなら面倒なのでそのままブラックで飲んでいる。


 味にこだわりがないので、その日の気分に任せて雑にやっているが、結季ちゃんを見るときっと個性が出るんだろうなと思ったりする。


 結季ちゃんはふーふーと息を吹きかけて冷ましながら一口つけ、うんうんと満足そうに舌鼓を打つ。上手にできたのかな。よかったね。


 そんな様子を横目で見ながら残り半分ほどとなった季節のサンドを口に運ぶ。


 視線だけで隣を覗くと、赤い瞳の視線と交差する。


「今日はこっちの方に用事?」


 もさもさした触感を感じながら咀嚼していると、結季ちゃんにそう投げかけられた。


「用事?」


「予備校とか」


「ははは」


 行っている訳がない。


 仮に何かの電波にやられて俺がお勉強に目覚めたとしても、現状の親の信頼度が0なので予備校へ行くお金を出してくれないだろう。


 生活費はともかく塾代くれと言っても、そのまま着服すると思われて拒否されるのが関の山だ。


「ご用事は特にないよ。なんとなく来ただけ」


「なんとなく」


「なんとなくなんとなく」


 普段の行動にそこまで計画立てて生きていない。


 今日ここにいるのだって本当に気分だけで行動しているだけだ。


 休日のパターンとしては映画館に行くこともあれば野球を見に球場まで足を運ぶこともある。


 あまり遠出しすぎるのは帰りが面倒くさくなるのでそこまで遠くには行かないことが多いけど。


 遅くなると高校生の身分では道中で声掛けされかねないので、そちらの面倒事を避ける意味合いが強い。


 まあ声をかけられても警察の人と適当にフレンドリーにお喋りしていると早く帰りなさいよ、くらいで終わるんだけど。


 それでもやはり警察から声をかけられるのは、悪いことをしていなくても少しだけ緊張感もある。


 避けられるのであればそうしたい。


 なので範囲的には高校や自宅から自転車で一時間以内で適当にチョイスしてフラフラしている。


「それが退屈だから、ってやつ?」


「そうそう」


 投げかけられた言葉に適当な相槌をうつ。


 別に隠しているわけでもないけど、退屈だとかそういう話は沙月との間で共有されているのだろうか。


 まあ俺みたいなやつは生徒会に入るような人間でもないのだから、理由くらいは説明しているか。


「そういや結季ちゃんは制服だけど学校帰り?」


「ううん、近くの予備校。残りは家でやろうと思って、帰りの寄り道」


「制服なのは?」


「勉強するときはこれかなって」


 服装によって気分をスイッチというのだろうか。


 この前ネットニュースで読んだけど家で仕事する際、誰にも会わなくてもパジャマより着替えた方がいいらしい。


 勉強も家では制服を着たら効率上がるのだろうか。ジュースこぼした時に大変なことになるから止めたほうが良さそうだが。


「休みの日も勉強なんてすごいね」


「そう?」


「俺なら泣いて頼まれても休みの日に勉強したくないもん」


「どういう状況だと泣いて勉強を懇願されるの?  というか休み明けは実力テストだけど大丈夫?」


「ぐぅ」


「現実逃避しないで勉強しようね」


 聞き流して残りのパンを口に含む俺を、苦笑していた。


 今日は現実逃避ではないけど、一ページだけでもやろうと、そんな小指の先ほどの気持ちもない。


 だからテストのことなんてすっかり放って遊びに出かけているのだ。


 俺のことはさておいて、平日は学校の授業を一日中やって、休日にもさらに予備校で授業を受けて勉強するのは真似したくはない。


 普段の授業すらまともに聞いていない俺にとってはもはや拷問に近い。授業を無理やり聞かされる拷問は流石にいくら時代を遡ってもなさそうだ。


 学校でも予備校でも勉強して、ボランティアみたいな生徒会も夕方までやる。本当に同じ人間なのか疑問なバイタリティだ。


 実は中身宇宙人だったりしないだろうか。宇宙人が受験勉強するのかな。もっと違う方法で大学入ればいいのに。


「俺のことはともかく、結季ちゃんはテスト勉強せずにここで喋ってていいの?」


「……お邪魔だった?」


「むしろ邪魔なのは俺じゃないかなあ」


 どっか行けみたいなニュアンスは込めていないし、勉強の邪魔をするなって怒られるのはたぶん俺の方だ。不良さんなので。


「今は休憩中。高尾さんと、」


「日郷でいいぜ」


「……日郷さんと、お話するのもいい息抜き。やっぱりまだ恥ずかしいね」


 少し顔を赤らめてはにかみながら結季ちゃんが答えてくれる。


 この反応が裏もなく、かわいらしいので新鮮。


 相手にかわいく見せようというのが感じられない天然ものだ。


 結季ちゃんのかわいさに免じて、息抜きの相手くらいには喜んでなってあげよう。


 俺なんか息抜きの時間の方が長いので、息入れのやり方がわからなくなってしまったからね。

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