22.休日の昼

 新学期に入って初めての休日に人で溢れている街に着いた。


 視界には歩を進めている人の様子が絶え間なく続く光景がある。


 学生。社会人。子供。大人。おじさん。おばさん。おじいちゃん。おばあちゃん。スポーツ青年。勉強が得意そうな眼鏡君。カップル。リュックサック。大きなキャリーケース。


 それぞれが、それぞれの目的地へ向かっていく。


 そんな様子を喫茶店の中からぼんやり眺める。


 名古屋おなじみのコーヒー一杯でパンと卵がつくような店ではなく、普通の全国チェーン店だ。


 そこで特に何かをするわけでもなくただ時間を進めている。


 この店は一人席がガラス張りで外を見ていられるので割とお気に入り。


 立地も中心街の反対方向なので、それなりに人はいても意外とゆったりもできる。お値段もお手軽なのもグッド。


 回転率の高い店なら長居は居心地が悪くなるけど、後ろのテーブルで勉強している大学生らしき人もいるし、しばらくゆっくりできそうだ。


 厳しい財布事情を考えるとあまり店を転々とはできない。駅中のモールのレストランなどに行くほどでもないし。


 まあどちらかというと社会人向けのお店も多いし、一人で足を運ぶことはほとんどないだろうが。

 

 ブレンドコーヒーと季節のおすすめなんとかサンドを頂きながら視線を外へ向ける。


 ひまだー。


 ここに来たのには本当に理由なんてない。なんとなく家にいるよりは外出るか、くらいのモチベーション。


 朝、というか昼前に起きて、がらんとした家にいるくらいなら街の方までと思って来てみたけど、やはり手持ち無沙汰になっていた。


 週明けには実力テストが控えているが、暇だから勉強をする優等生ではない。


 というか昨日の結季ちゃんとの会話や帰宅後に妹からテストについて強く念を押された会話もすっかり忘れて、今更になって思い出す始末だ。


 まあだからといって今から帰る気も全くないし、例え出発前に覚えていたとしても同じことだろう。


 きっと教科書たちも俺の部屋ですやすやお眠りしている。


 そもそも教室の机の中だから初めから詰んでいた。


 ちなみにその妹は柔道の道場? に行っており、両親は二人で買い物に出かけている。


 寝坊助の俺をほっといて三人とも知らないうちに外出していたことを、それぞれの出かけ先が残されたLINEを見て知った。


 誘われても一緒に行かないけどね。

 

 そんなわけでお昼をあの使う機会のないラーメンフォークが付いてくる甘味処のラーメンを食べて、おやつ時にカフェでゆったりしている。


 ちなみに今日のお金はテーブルに置いてあったのでありがたく拝借した。


 これで自炊するとまるまる手元に残るのだけど、家族から「キッチン立ち入り禁止」を通告されている。


 昔ちょっと焼きマシュマロやろうとして火災報知器を鳴らしただけなのに。

 

 外をぼんやり眺めながらカップを口に運ぶ。熱い。猫舌にはまだ厳しい。


 こうやってガラス張りのカウンター席でオシャレなものを嗜んでいると、ちょっと大人な感じもする。


 カタカタ鳴らしながらノートパソコンに向き合っていたら意識高い感じで雰囲気でも出そうだ。残念ながらそれらは手元に何もないんだけど。


 そんな感じで、特にやることなくここでぼんやりと頬杖をつきながら、窓の外を見る。


 景色を見ていると、自然とこの三日間のことが頭に浮かんできた。


 沙月と出会って、生徒会に入って、結季ちゃんとも出会って。

 

 久しぶりにイベント事が連なったけど、俺の方からアクションを起こしたことが結局何もない。受け身の姿勢だ。

 

 生徒会に入ったと言えばビックイベントのようにだけど、突然何かが劇的に変化するようなことはお伽話の中だけだ。


 人間関係だって繋がりの薄い友達が増えたくらいの認識でしかない。

 

 それでも沙月にそれなりの興味を惹かれているのは、まあ、ある。


 自分でも理由はわからないけど、なんだかもう少し傍で見ていたい気持ちは嘘じゃない。

 

 でもきっと、これは男女のそういうのじゃない。


 彼女のどんな気持ちが俺を生き返らせたいのだろうかとか、あの真っすぐな目はどこへ向けられているものなのかだとか。


 樽見沙月という少女の生き方に関心があるのだろう。


 はっきりとしているわけでもないけど、他の誰とも重ならない彼女のその生き方を近くで見てみたい。


 そうしたら俺の生き方もわかるような気がしている。


 俺が沙月に向けるこの感情は、愛情でも友愛でもない。


 ではなにか、と質問されても、うーんって感じ。まだそこまで自分の気持ちや思考と折り合いがついていない。


 これが恋だとか愛だとか、そういうわかりやすいものだったら俺もすっきりしたんだろうけどやっぱり少し違う気がする。難しい。


 難しいことは考え続けてもすぐに答えが出るわけでもない。今すぐ答えが必要なんじゃないのだし、これからゆっくり見つけていけばいいか。


 差し当たっては今感じている暇をどうするべきか。このままでは暇死してしまう。


 甘い苦い飲み物をゆっくりすすって、退屈しのぎにガラスの外の人を見る。


 趣味が人間観察なんてことはないが、こうやってなんとなしに眺めているのは好きだ。


 個々人としてではなく、全体の中の流れの一人として、世界を構成する一存在として流動していく様を観測する。


 人の流れを見ている方が近い表現だろうか。


 人間にとっては何をしているのかわからないアリの行列だって、見ているとなんとなく面白いみたいなものだ。


 何かに一生懸命になることが自分には縁のない話のようなので、他の人たちがどうしてこうも生きる活力に溢れているのか観察している。


 それがわかればもしかしたら俺も同じようにキラキラ生きていけるのだろうか。


 俺があまり熱心でないのくらいは自覚したのはいつだったのか。


 ドラマチックな過去があるわけでもなく、生来の性格的な側面なのかもしれない。


 この十六年間、常に現在ほど無気力だったのかというとそれも少し違う。


 学校という閉じた空間で生きている以上、周りと歩調を合わせるために一生懸命やっているつもりはあった。


 だけど心の底から頑張ったことは一度もない。


 そう言うと俺が手を抜いているやつみたいだけどそういうことでもなく、なんというか、周りの一生懸命さと俺のそれとは何かが違うと感じてしまう。


 中学までやっていたサッカーだって、俺なりに頑張っていたはずだ。


 小学生のときに入った近所のサッカークラブでは県で良いところまでいったし、中学は部活で一年のときから試合に出してもらった。


 少なくとも手を抜いていたことはない。


 だけど味方や相手の選手の試合で見せるものと、俺が感じているものが、同じだとは言えなかった。


 勝つ喜びも負ける悔しさも、俺は感じていなかった。


 周囲の空気に合わせて同じようにしていただけ。


 学校行事でも文化祭や林間学校でみんなと一緒に過ごしていたのだけど、それだって俺がやりたかったのではない。


 流れに任せ、その時良いと思ったことをさせられていた感覚だ。


 周囲と溶け込むことを、作業のように俺はこなしていた。


 俺は自分の人生をどこか他人事のように過ごしていた。それは今もかもしれない。


 例えるなら俺というキャラクターを神様視点で操作している。自分のことだけど、ただ正しいと思われている選択肢を外の世界から選び続けている。


 今は周囲と関わりもあんまりないし、こんなゆるーい感じで適当にやるようになったのでその感覚はだいぶ薄めてはいる。


 去年の秋くらいから誰かに歩調を合わせることをやめ、自由気ままにゆるゆるやるようになってからは楽というか、気楽にはなった。


 それが良いのか悪いのかは、わからないけど。


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