21.合計120点
結季ちゃんのクラスがなんかすごい、というのはこの学校が地元では知名度の高い県内有数の進学校というのに関係している。
進学率もほぼ一〇〇%、難関大合格実績、有名企業の最前線で働いているOBたち……そういったことが高校のパンフやホームページに書いてある。
俺は進学先どころか出席日数の問題で卒業できるのかなのであまり気にしたことがないが、みんなそういう将来のため、勉強に励んでいる。
「……貴方も当然聞いているはずだと思うのだけれど、一応説明しておくとこの高校は二年生からクラス分けが志望学部によって行われるのよ」
「聞いた聞いた。で、Aが東京の大学とか医学部だっけ?」
「厳密には少し違うけどね。でも大体合ってる」
A組は特進理系クラスで難関大進学希望の子が在籍する。その在籍数も通常クラスより少し絞って少数精鋭、カリキュラムさえ他のクラスよりも違うらしい。
というようなことを改めて説明される。俺も聞いたことあるのは、たぶんとーかちゃんと雑談してるときにそんな話をしたからだ。
沙月が所属するB組は特進の文系クラス。こちらは文系学部への難関大志望を目指す学生が集まるクラス。
こちらも文系版ということでAと同じくらい厳しいらしい。
俺が所属するD組など他のクラスは文理で分けてはいるが、理科や社会の科目は自分の受験に必要なものを選択して他のクラスの子と合同で受ける。
英語みたいに共通のもの以外は同じクラスでも受ける授業が違うこともあるので、案外時間割が当てにならなかったりする。
そしてA組とB組は前年度の成績上位者が所属するらしい。
一年の時から成績上位に居続けた希望者で構成され、二年生の成績で三年進級時に同じように振り分ける。
他のクラスの希望者よりも試験結果が悪ければ、来年度はC組以降の子と入れ替えがされるサバイバル環境らしい。
さっきから「らしい」ばかり言っているのは、沙月と結季ちゃんの言っていることをそのまま垂れ流しているからだ。
クラス分けの方法に大して興味もないし。成績的にも自分と全然関係ない話を聞いている感覚だ。
説明が一段落ついたところで、ふと疑問に思ったことを言う。
「二人とも勉強忙しいのに生徒会もって大変じゃない?」
俺が見た訳ではないのだけど、葵がその昔喋っていたことを思い出す。
いわく、A・B組では日夜精神をすり減らす勢いで勉学に励んでおり、廊下のゴミ箱にはエナジードリンクの空き缶で溢れているという。
その結果、試験の平均点を出せば他のクラスより高いそうだ。まさにお受験戦争。
結季ちゃんはそんな俺の疑問に苦笑をもって返す。
「よく言われる。でも大丈夫だよ。一度生活の一部に組み込んじゃうと普通にやれちゃうし、ここも静かな自習室代わりにも使ってるから」
「カッコイイ。確かにここ、静かでいいよね」
「うん。それに部活動やってるA組の子も結構いるよ」
「へー」
「貴方もやる気を分けてもらってきたら?」
「元気玉だね」
「元気玉ではないと思う」
「そういえば、沙月はBってことは文系なんだね。全教科で一位とか聞いたけどなんとなく理系のイメージだった」
「先生から勧められはしたのだけれどね。辞退させてもらったわ」
「辞退とかあるんだ。クラス分けに」
「色々あるのよ。そもそも成績も全て一位ではないし」
「わたしが奪った!」
これぞドヤ顔といった表情を結季ちゃんが見せる。容姿のイメージよりも結構ノリが良くて親しみやすさがある子だ。
「自分のためもあるけど、樽見さんみたいなボスっぽいのと競い合うのは楽しい」
「確かにボスっぽいね」
「褒められている気がしない……でも私も貴方みたいな人と競えるのはやりがいがあるわ」
穏やかな口調で称え合いながらも若干ピリッとした空気感で、バチバチと女子陣二人が視線をぶつける。
その対抗心の中に楽しさの色をなんとなく感じる。きっと仲は良いんだろう。
良い意味で敵同士であり、互いを高め合う間柄。
サッカー部にいた頃にチームメイトが何回目かの対戦校のマッチアップの相手に燃えていたのを思い出す。
残念ながら俺には最後までわからない感覚だったけど。
それが二人に当てはまっているのか、そもそも女子同士の友情的なものを男の俺では真の意味で理解はできていない。
けど、少なくともこうやって胸の内をちゃんと話せる間柄であるのだから悪い関係ではないんだと思う。
とにかく熱意を持てるのは羨ましい限りだ。惰性で生きている俺なんかよりはよっぽど立派だろう。
俺が一人納得していると、沙月が俺の顔へ視線をこちらに向けと訝しんだ目になる。
「なにか面白いことでも?」
「ううん。二人合わせたら全部で一位だなあって」
「なるほど。盲点だった」
「……その理屈は採用していいものなのかしら。一位じゃない科目も別に全部二位というわけでもないのだけれど」
「そういえば日郷さんの勉強の方は?」
「そうね。下から何番目?」
「下から前提なんだ」
まあ下なのは事実なので、その数え方の方が早いのは確かなんだけどね。
聞き方に悪意を感じる。別にいいけど。
「前の学年末は……数学か物理のどっちかはそこそこだった、気がする。たぶん」
「すごい曖昧だ」
「そもそもテスト受けていたのね」
「テストは受けないと怒られるんだよね」
「テスト以外のことも普通は怒られるのよ」
ちなみに記憶が曖昧なのは学年末テストのあとは春休みだと思って、終わった次の日から学校もほとんど行かなかったのだからだ。
とーかちゃんから『まだ授業があるぞ~』って電話かかってきて、それで最後の一週間くらい行ったな。
そのときに別室に案内されてテスト結果の表とかを渡された、ような気がする。
その一回しか見ていないし、すぐに結果の用紙もどこかへいってしまったので確認すらできない。
沙月は呆れ顔で、結季ちゃんは苦笑しながら続ける。
「ちなみに他の教科はどうだったの?」
「やめておいた方がいいわ。総合順位でなく、特定のカテゴリーの成績を持ち出した時点で残りが悲惨なことくらい想像がたやすいのだから」
「なるほど……」
「すごいね。名探偵だ」
「安い名探偵ね……」
「……これはもう怖いもの見たさだけど、英語の点数とか聞いてもいい? 顧問の神海先生の担当ということで」
「英語? 十一点だったはず」
「じゅっ……!」
「たとえ一か月勉強しなくてもその点数は越えるわね……」
「まあまあ。十一点も取ったら野球なら打線爆発だよ」
「爆発しているのは貴方の成績よ」
「大炎上」
二人がこの世のものとは思えないものを見るような目でドン引いている。
この様子だと現代社会のテストが八点だったことは言わない方がよさそうだ。
一応言っておくと、真面目に授業は受けていないものの、テスト前くらいはちゃんと勉強している。
テスト一週間前くらいからだけど。
その時間で全科目を網羅するのは無理なので一部科目の勉強が間に合わず、科目ごとの差が出る。
英語が赤点ギリクリア取れることもあるし、物理が赤点になることだってある。
それでも相性の問題なのか理数系は必要部分をサッと覚えたら結構いけて、見られなくはない点数にはなることが多い。
文系科目の暗記だけは一度で入らない部分は面倒くさくてそのまま投げ捨てている。つまらなくて途中で飽きている。
それでもやらないと一桁が迫ってくるので、とーかちゃんに詰められた時はそれなりに頑張る。頑張っていないと前回みたいになる。
そういう事情もあって別に興味があるわけでもないけど、進級時は理系選択にしている。
まあテストが悲惨なことになっていてもそのあとの補習のプリントをやれば単位はくれるのだ。
この学校で赤点を繰り返して単位の危機になるような学生はほとんどいないようで、教師陣も補習は結構適当だ。
衝撃から復帰した沙月が恐れを抱いた表情で口を開く。
「貴方の勉強ができていたらアイデンティティを失うとはいえ、あまりにレベルが違いすぎたわね」
「流石にそこにアイデンティティはないと思うなあ」
逆に今度は俺が苦笑いする番だ。
酷いことを言われているような気もするけど、妹に成績のこと言われるよりはまだ可愛いものなのでまあいいかという気持ち。
ちなみに高校に入ってからの俺の成績を見た妹はまるで親のようにお叱りの言葉を届けてくる。
去年は妹自身の受験勉強で忙しくなった頃に俺の成績も落ちこぼれていったので、受験後に発覚して随分詰められたものだ。
兄と妹の立場が逆転しているけどまあ今更だ。こういうの、面倒見が良い妹とか優しい妹、なんだろうか。世間的には。
身内としてはありがたいという気持ちよりも、相手にするのが面倒くさい気持ちの方が強い。
するとようやく復帰した結季ちゃんがこほんと一つ咳ばらいをして、真面目な顔になる。
「でも理系科目だけでもできてるなら、努力を積めば結果は現れる思う」
「マジ?」
「マジ。この高校に入る能力は持ってるから、日ごろから自分を律して、綿密なスケジュールを立てて努力すれば、努力した分返ってくるはず」
「おー」
なんだか先生みたいなことを言っていた。とーかちゃんは緩いからこんなこと言わなさそうだけど。
彼女の言っていることは世の中的には当たり前のことで、理想的なことだと思う。
それこそ小さな子供相手に頑張る理由を諭すときに使うような真っすぐな主張だろう。
だけど、それを無邪気に受け入れる程子供でもなくなってしまった。
結季ちゃんの言っていることは誰しもがそうできたらと一度は思うだろう。
だけど頭でわかっていたとしてもいざ実行するのは難しく、次はそれが習慣付けられる人はどれだけいるのだろうか。
これから毎日日記を付けるんだと言って、三日坊主で飽きるように。
毎日ランニングすると意気込んで、雨だからなどと理由をつけてサボってしまったり。
言うは易く、行うは難し。
そんな当たり前のような正しさすら継続できないのだ。人間というのは。
理想を抱えて生きるというのは難しい。
望む生き方と、過ごす生き方を一致させることはとても難しい。
そうでなければ、俺はこんなにも生きることに退屈さを感じていないのだから。
しかし、他人が信じるものを無理だと言って切って捨ててしまうのは良くないことだ。
彼女に対して俺が口を出すべきじゃないし、誰も口を出すべきじゃない。
続きのご高説を流れるように述べている結季ちゃんが、せめてこれからの人生で俺のように道を見失わないように陰ながら祈ろう。
「──ということ。どう?」
「あー、ごめん。全然聞いてなかったわ」
「この対面の状況で!? もうわたしのこと嫌いレベルの無視!」
「そんなことないない。結季ちゃんしっかりしてるし」
「日郷さんにそう評されることは良いことなのかな……」
「きっと良いことだよ。だいじょーぶ」
「水鳥さん。神海先生からのアドバイス。要点は抑えてくれるからなるべく簡潔に、だそうよ」
「同級生への対応じゃないと思うけど……うん」
んんっと咳ばらいして、やけに自身に満ち溢れた声を上げる。
「来週は実力テストがあるし、まずはこの土日にやれるだけ頑張ろう!」
「おー」
「…………」
拳を突き上げている結季ちゃんにつられてとりあえず声を上げて同じポーズをする。
ちらりと沙月の方を見るが、「私はやらないわよ」と断っていた。
二人が空しく宙で拳を彷徨わせていると、下校のチャイムが校舎に鳴り響く。
それに合わせるように結季ちゃんの表情がなんだか赤く染まっていき、手がしなしなと落ちていく。
「…………なんだろう。この虚無感。そして無性にめちゃくちゃ恥ずかしい。普段はこんな悪ノリはしないのに……」
「意識しないと彼のアホアホフィールドに飲まれるわ……私も昨日は随分と高い勉強料を支払ったのだから」
「言葉のチョイスがもう既に汚染されてるね。うぅ……もう少し早く忠告してほしかった」
「結季ちゃん。やっぱおもしろいよね」
「今日一番ショックな言葉! そしてやっぱり恥ずかしい!」
そう叫ぶとカバンを素早く持って生徒会室を出ていく。
遠くで帰りの挨拶の言葉だけがうっすらと聞こえてくる。
なんだか見た目とのギャップがあって楽しい子だ。賑やかなのは別に嫌いじゃないので、少しだけこれからが楽しみになってきた。
あちらはどう思っているかはわからないけどね。ちょっと最後涙目だったし。
何がショックだったのかは伺い知れないが、覚えていたら次の機会にでも謝っておくか。きっと何度も会うことになるのだろうし。
生徒会室に夕日が差し込み、部屋が赤く染まっていく。
赤をバックに立つ沙月はそれだけに絵になる。
そんな彼女に、声をかける。
「お腹も空いてきたし、帰っていい?」
「貴方、やっぱり大物なのかしらね……」
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