18.矢印の行方
なんやかんやあった、その翌朝。
今日も遅刻……でなく、同じ制服を着た生徒たちを視界に入れながらの登校だ。
生徒会に入ったので心を入れ替えた、なーんてことではない。
昨日の帰宅後に妹から「遅刻するな」とお叱りと関節技と、母親からのお小言をもらったという随分と渋々だ。
気乗りはしなくても、家族とバトルしてまで抗う気もない。こういうときは大人しく従っておくのが平穏に過ごすコツだ。
母親の方は最終的には「若い頃はやんちゃなくらいがイカしてる」と一応の注意くらいだ。
揉めるのは妹との方。一度怒るとしばらくはぷんすこするだろう。
まあ長引かせないコツというか、長きに渡る兄妹喧嘩を通して仲直りの仕方、ご機嫌取りの方法くらいは心得ている。
夕食後、コンビニでアイスを買ってくるだけで怒りが転じて逆に「愛してる!」とまで好感度を上げることができた。
120円で愛してもらえるとはなんとお手軽か。俺の残金が小銭だけになったけど。
俺としても積極的に不仲になりたわけでもない。 喧嘩と言ってもまだじゃれ合いの範囲内だ。
お互いに引くべきところを弁えて、形として態度を示すことで手打ちにしている。
いくら面倒に思ったとしても家族は家族なのだ。その辺りはこちらもある程度大人にならないといけない。
お兄ちゃんだからね。
そんな感じの一幕があったので、今日くらいは寝ぼけ眼をこすりながらこの時間に登校している。
大きなあくびをして、青色の信号を待つ。
昨夜は日付が変わるくらいに布団に入ってはいるのだけど、眠いものは眠いのだ。
普段も夜寝るのが遅いと言っても明け方まで起きていることは少ない。というか必要がなければそんなに起きていられない。
今日は俺にしては早寝をしたが、朝の七時前から叩き起こされて支度をさせられるのは、案外つらいものだ。
こういうのはいつ寝たかというより普段からその時間に起きているかの方が大事なんだろう。たぶん。
睡眠の専門家じゃないので適当だ。
要は眠いものは眠いのである。
このまま日中は授業をBGMにして微睡みの世界へ飛び立ってしまいたい。
と同じくらい、たまには真面目に授業を受けようかな、という気持ちもある。
この心境の移り変わりは、沙月と会ったからだろうか。
彼女が面白いものを提供してくれるのなら、それなりの態度を見せるくらいはしてもいいだろう。
口を開けていればご飯が貰える雛鳥では何も手に入らないくらいのことは、とーかちゃんに言われるまでもわかっている。
まあ今の心意気は嘘ではないけど、そこまで深く考えてない。
ただの気まぐれだ。
今日は金曜日だから明日は休みというただそれだけのモチベで動いている可能性もある。
しかし、生徒会ねえ。
ガラじゃないとは思う。自分でも今は真面目とはかけ離れていることくらいは理解している。
俺の方に後悔はないけど、随分と適当なノリで生徒会加入を認めてしまっている沙月の方が後悔することにならないか逆に心配だ。
生徒会って嫌になったからもう辞めますとか、やる気がないなら辞めろみたいなことを簡単にやっていい組織じゃないと思うし。
まあいいか。
なるようになる。
想像もつかない未来のことを考えて、心配していても面白いことなんか何もない。
これから私、どうなっちゃうの~? くらいに軽く構えるくらいが、ちょうどいい。
あの子たちもなんやかんやどうにかなってるし。
それに、不安だけを感じているわけでもない。
沙月と、とーかちゃん。三人で話していたときに、久しぶりに味わうこれからどうなるのかわからないドキドキ感があった。
今でも退屈さを感じているのは嘘じゃないけど、それを吹き飛ばすくらいのものを心のどこかでは期待したいのだ。
そんな気持ちを胸に、自分の教室へ辿り着く。
教室に入ると、一瞬だけクラスメイト達がこちらに視線を向ける。
けどすぐに自習やお喋りへと意識を戻していく。
ここにいるクラスメイトは俺と違って毎朝この時間から来ているのだからある種の尊敬すら覚えてしまう。
まあ俺も半年くらい前まではこの一員としてちゃんと来ていた気もするが。
「お、おはよう! 今日は間に合ったんだね!」
席に座ると、隣の委員長ちゃんが息を弾ませて挨拶する。
机の上には問題集が開かれている。この子も朝からお勉強をしていたようだ。
「おはよう。えらいね。勉強」
「普通だよ。わたし要領悪いから他の子よりもいっぱい努力しないといけないから……」
「そんなことないよ。ノート、めっちゃわかりやすいし」
「そ、そう? ありがとう……えへへ」
委員長ちゃんは嬉しそうに笑う。
……うん。委員長ちゃんと話していると、子犬とか子猫とか、そういうものを愛でている感覚。
葵の猫ちゃんにおやつをあげるのと近い感情が芽生える。
と、そこで思い出す。
「委員長ちゃん。これ、あげるよ」
「え、なに? ……ってお菓子?」
「うん。ノートのお礼」
「そ、そんなのいいのに。授業休んだ子にノート見せるのは委員長のお仕事で普通のことだから……」
「んー。でも、それにありがとうって思うのも普通のことじゃん? だから受け取ってよ」
「そっか……高尾君は優しいね」
「ありがと」
「なんのお菓子だろう……ってこれ、なに?」
委員長ちゃんが袋から取り出して、はてなを浮かべながら尋ねる。
「ねるねるねるね」
「ど、どうしてそのチョイスなの……?」
「久しぶりに見たらさ、食べたくなるじゃん」
「そうかもしれないけど、学校で食べるチョイスとしてどうなの……」
「あー。ゴミ、かさばるもんね」
「そういう問題じゃないような……」
「食べやすいチュッパチャップスもあるよ」
「う、うん……それもすごく久しぶりに食べる気もするけど、お行儀は悪いけど勉強しながらでも食べられるね」
「忙しい社会人みたいでカッコイイね」
「そ、そうかな。えへへ……ところで、味は全部ストロベリーなんだね……」
「いちご、嫌いだった?」
「ううん……ストロベリー味は好き。まさか十個全部同じ味だとは思わなかっただけで……ありがたくいただくよ……」
ちょっと味変したかったなあって思ったりしてないよ……とブツブツ言っている。
実は違う味もちゃんとあるのだけど、見ていて面白いからこのままにしておこう。
と、朝のHRのチャイムが鳴る。
委員長ちゃんははっと気が付くとお菓子をカバンにしまい、元気よく号令する。
そういえば、二年になってから朝のHRに出席するのは初めてだ。
だからかは知らないけど、なんかクラスのみんなからチラチラ奇異の視線を向けられるし、担任教師には「え、いる……?」と驚かれるほどだ。
これでも毎日遅刻してるわけじゃない。出席日数がやばくなった時なんかはちゃんと毎日来た。
まあいいか。
担任からの簡単な連絡事項の通達を終え、久しぶりに一時間目の授業から聞いてみることにする。
どうやら現代文の授業のようだ。
教科書は初日に全て机に突っ込みっぱなしにしてあるので、何が始まるか把握していなくても対応可能だ。
ギチギチの机の中から無理やり引っ張り出して教科書とノートを用意する。
授業自体はまず俺の出席に軽く驚かれることから始まり、その後はつつがなく進行していく。そんなレアキャラ扱いなんだ、俺。
それはさておき、配られた資料をなんとなしにペラペラと眺める。
クラスメイト達は全員が全員真剣に聞いているというわけでもないようだけど、それでも半数以上は教師の言葉をしっかり書き込んでいる。
俺もとりあえず解説をしっかり聞いてみる。
もしかすると、授業も案外面白いことを言っているかもしれないし。
……。
…………。
………………。
「……あれ?」
はっと気が付くと、授業が終わっていた。
寝てしまっていたようだ。
よくわからない話を長々と話されるとちょうどいい子守歌に聞こえてくるせいで睡魔に襲われ、あっさりと敗北してしまった。
せっかくノートを少しは取ったっていうのに、完全に中途半端な板書になってしまって、これはこれで気持ち悪さがある。
矢印が書いてあるのに、その矢印の先には何もなかったりするノートだ。
しかし続きを書こうにも黒板も日直にすっかり消されてしまっている。
仕方ない。委員長ちゃんに貸してもらおう。
「委員長ちゃん。さっきの現代文のノート見せて」
「え。さっきの授業は数Ⅱだけど……」
「あれ?」
「現代文は一時間目だよ……?」
そう言うと、無慈悲にも三時間目のチャイムが鳴り響いていた。
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