8.vs.宇宙人

 目の前で熱心に描いているのは木知原葵。このお絵描きは趣味ではなく、将来の夢として研鑽中だと聞いている。


 俺も詳しくは知らないけど家が代々絵描きの家系のようだ。


 本人が言うには、この年でお金をもらって絵を描くこともあるらしい。最近はネットを使えば簡単な依頼もあるようだ。


 本人は謙遜しているが、自分が生み出すものに価値を付けてもらえているのはすごいことだと思う。


 俺も放課後の暇つぶしにコンビニバイトをしたことがあるが、ただ受け身で言われたことだけ適当にこなしているだけの対価としてのお金しか貰っていない。


 それにあまりに退屈だったし、得られるお金も微々たるものだったのですぐやめてしまった。


 だから人に言われるのではなく、自分の手で対価を生み出すことができるというのは、なんというか……すごく、すごい。


 そんなわけで葵はもうプロみたいなものだと勝手に認識している。本人的には違うらしいけど。


 この高校に美術系の専攻はないが、学校側も葵の境遇は把握しているのか結構寛容だ。そのあたり葵は中等部からの内部組だから今更学校側も色々言わないだけかもしれない。


 まあ俺にも最初だけやいのやいの言われていたけど最近はそうでもないので、この学校がだいぶおおらかかもしれない。


 葵がなぜ絵の学校に行かずにここに来ているのかを一度聞いたことがあるけど、普通の学校のほうがインスピレーションが浮かんでくるらしい。


 その質問をした時にかなり微妙な表情をしていたので本当の理由は別にあるのだろうけど、敢えて踏み込む気もないので聞かずにいる。

 

 葵との仲もまだ半年ほどだしね。


 去年の秋頃に授業をサボっていた俺と、同じくサボっていた葵と会って、その頃から話をするようになった。


 俺も孤独主義でもないのでこうして気ままに接してくれる葵との関係はそこそこ気に入っている。


 葵とは同じクラスでもないし、会えば話すけど会いに行くほどでもない。それでも誘われれば休みに一緒に遊ぶこともある。そんな関係だ。


 なんというか、サボり仲間? そんな感じ。


 葵の方は俺のことを随分と気に入ってくれているようでお家に呼んでくれたこともある。めっちゃ広かった。


 俺のどこを気に入っているのかはよくわからない。ただよく褒められるのは俺の容姿だけど、隙あらばポーズを取らせて脱がせようとするので俺としては褒め言葉は警戒対象だ。


 少し強めの風が吹き、隣のスカートも小さく揺れる。見えないようにしているが結構際どいラインまでスカートの中が見え隠れしている。


 でも葵は男子なので凝視するほど感情もわいてこない。いや女子なら出るのかと言われれば否定はしたいけど。


 葵は女子の制服に身を包んでいるけれど、心と体の性別も男子だ。


 可愛らしいものが好きで、着たいものを着ているだけだと昔言っていた。


 細い身体でショートボブの髪型にリボンをつけて、そして何より顔立ちが女子にしか見えない。


 元々顔立ちは中性的なのだろうけど、メイクと組み合わせているので見た目は女子だ。


 声色も高めなので喋らせても知らない人には女子として通用するだろう。


 まあ男だとか女だとか、本人が気にしないでいてほしいのなら深く考える必要もないのだろう。


 てきとーで、ほどほどで。


 無駄に深入りしないでいるのがお互いに穏やかだ。


 友達ではあるけど、それを呪いの言葉にしてしまうと生きづらくなる。


 無理に既存の言葉で関係性を固めてしまうよりも、ふんわりとした関係でいる方が自由だ。


 この猫くらい、自由にいたいものだ。


 この子も膝の上でゴロゴロ自由気ままにしている。昨日公園で会ったときのように。


 そして昨日は公園で猫ちゃん以外にもう一人出会ったことをふと思い出す。


「そういえばさ。昨日、生徒会長と会ったよ」


「生徒会長って……あの樽見さんに? なんで?」


「さあ?」


 とぼけるでもなく、こればかりは普通に理解していない。昨日はなんだったのか。


「まあ……二人は有名人だし、ある意味違和感のないツーショットではあるけどね。すごく映えそうだ。なんだか見たかったかもなー……あ良い構図浮かんできたかも! 今度二人でいるとこ描かせてよ!」


「急にハイテンション」


「いやーこういうの突然降ってくるからね。大体美男美女の組み合わせに心躍らなければ嘘でしょ!」


「面食いだね」


「目の保養だしねー」


「まー、綺麗な子だったよね……というかさ。毎回聞くけど、俺にも心躍るの?」


「いやいやいや……そのつよつよな顔で謙遜などするもんじゃないよ。マジで」


 なんだか真面目なトーンで怒られてしまった。


 つよつよな顔ってなんだろ。


 何を倒せるんだろうか。


 とりあえず聞いてもよくわからなさそうだし、無視して話を戻す。


「俺、生徒会長のことよく知らないけど、どんな感じなの?」


「それは構わないけど……珍しいね。君が他人のことを気に掛けるなんて」


「えー。そんな薄情者に見える?」


「いや薄情というか。あんまり人や物に執着するようなタイプには見えない、って感じかな」


 そんなこともない、と思う。どうなんだろ。


 最近は流されるまま適当に生きているのはその通りだ。


 何かにしがみつかなければ生きていけないことはないとも思っている。


 だけどそれを否定してしまうのも、心がちくりと痛む気がする。


 自分から執着心を取り除いておいてそう感じてしまうのも自己矛盾している。まあ自分の心の内というのは、自分でもよくわからない。


 少し考え込んでしまった俺の姿を見て、葵も苦笑いで応える。


「まあそんなに他意もないよ。それよりも日郷君の質問だよね。ボクの知っていることは教えるよ。といっても彼女と接点のある子ってあんまりいないから噂話程度になっちゃうけど」


「葵でも接点ないの?」


「ボクもそれなりに交友関係あるけど、浅い関係が多いからね。だからそこまで深い内容はないよ」


「いいよ。聞かせて」


「……なんだろうね。そうして微笑まれながら言われるとうっかり惚れそうになる」


「お望みなら常に白目剥いて話すよ」


「望むわけがないし。どんな欲求」


「残念」


「やりたかったの? こほん。話を戻して」


「会長さんね」


「彼女は分かりやすく言うと、成績優秀・容姿端麗・スポーツ万能なまさに才色兼備なクール系生徒会長」


「漫画じゃん。属性てんこ盛り」


「いや本当にね。学園一の美少女、なんてラブコメのラブコメの設定が事実なんだもん。今は落ち着いたけど、中学入学してからしばらくは聞どこへ行っても彼女の話で持ち切りだったよ」


「へー」


 全然知らない……わけでもなく、そういえばなんか聞いたことある気がしてきた。


 俺は高校からだからその当時ほどではないんだろうけど、それでも教室の誰かが喋っているのが聞こえてきた。


 部活もやらず教室でもあまり馴染めていなかったので、なんかそんな人がいるで止まってしまっているけど。


 一人でいるとそういう世間の話題からどんどん取り残されていく。


 流行りの曲とかドラマとか、毎日顔を突き合わす相手がいてこそ流行るものなんだと、世界はそういうふうにできているのだと、そんなことを思う。


「特にあの容姿。日郷君も綺麗な子って言ったけど、あれは反則級だよね。言葉で上手く説明はできないけど」


 ボクは絵描きだからキャンバスにしか表現できないのだ、とか言って俺の膝上の猫におやつを渡す。


 確かに今まで会ったことのある誰よりも華やかな子だったと思う。


 決して華美に装っているわけでもないのに、なんというかオーラがあった。


 一本一本が手入れの整った絹のように透き通る綺麗で長い黒髪。


 そして整った顔立ち。


 人形のような作り物みたいな美しさで、年相応の可愛さ。


 服の端から見えた肌も白く綺麗で、腕や脚は細すぎない絶妙なバランスが取れている。


「同級生とかじゃなくて、なんか……すごかったね」


「日郷君が言うと適当感あるけど、分かるよ。あの美術品と人間の美しさの良いとこ取りみたいな子なのに、特別な手入れはしてないって言うんだよね。そんなの反則だよ!」


 何に対してかはわからないけど、なんか憤慨している。すぐキレる若者だ。


「だいじょーぶ。葵も可愛いよ」


「キュン……って突然口説かないでくれ! でもありがとう!」


「どういたしまして」


「というか張り合う気もないよ。土俵が違うし」


「そんなんだ」


「この猫と可愛さで勝負するようなものだよ。ジャンルが違う。戦場が違う。同じ人間だと思わない方がいいくらい」


「バーサス宇宙人だね」


「B級映画みたいなタイトル。もうちょっと感想があるでしょ」


「他も宇宙人なの?」


「どんな質問……? 言いたいことは理解したけど」


 葵は少しだけ逡巡して、また教えてくれる。


「勉強面だと全ての教科で校内一位だったとか、全国模試で一桁だったとか、かな。あとは運動をさせたら何やらせても経験者級とか。まあこの高校の運動部は別に大して強くないけどね」


 まるで画面の向こうの芸能人のことを語るかのように教えてくれる。


 それくらい同じ空間にいるはずなのに現実感がないということなのだろう。


 確かに昨日ああして話してはいたけれど、近くにいるだけで彼女からオーラのようなものを感じた。


 よく国民的俳優なんかに会った芸能人のオーラがすごい、なんて評しているのは彼女に会ったときのようなことを言うのだろうか。


「って言っても日郷君も大して変わらないか。運動も勉強も」


「いやふつーに落ちこぼれだよ?」


「それは真面目にやらないからでしょ。まあそれはいいか」


「他に漫画っぽい設定ないの?」


「他は……家柄も良い、なんて昭和みたいだけど、まあ大きな家に住んでいるらしいよ。何をしている家なのかまでは知らないけど、要は良いところのお嬢さんなのかな」


「ぽいぽい。でも、それ葵もじゃん。良いとこ」


「まあねー。親の七光り、存分に活用させてもらってるよ」


 葵の家は、なんというか大きなお屋敷だ。かくれんぼができそうなくらい。広すぎて逆に落ち着かない家。


 だから葵もいいとこの子だ。


 そういう環境に育ったからかは知らないけど、葵は結構羽振りが良い。ご飯とか一緒に食べるとよく奢ってくれる。良い人。


 以前「ヒモに貢いでいる気分になってきた」と言われた気もするが、よくわからないのでスルーしておいた。


 葵は体を軽く伸ばしながら顔だけこちらに向ける。


「まさに天は人に二物どころか三物も四物も与えてちゃったんだろうねー。で、そんな彼女と何かあったのか?」


「なにか。あー、どうだろ」


「こうやって君の方から振ってくれたんだから会長さんと何かあったのかなって勘ぐってみたけど……まあいいや。話したくなったたら言ってよ」


 いや話すつもりはあるけど、話すような内容がないんだよね。昨日のあれをどう説明するのか。


「でも機会があるなら二人並んだショットで描かせて!」


「そこ食いつくね。俺はいいよ。あとはあっち次第」


「ありがとー! 」


 そんなやりとりをしていると、頭上からチャイムの音が響いてきた。どうやら三時間目の授業も終わったらしい。


 さて、と言うと気配を感じ取ったのか猫ちゃんはとてとて俺と葵から離れていく。


 名残惜しくは思うけど、いつまでもここにいるのももったいない。


 せっかくだからお昼前最後の授業の出席くらいは貰いに行こう。


「出てくる。授業」


「ボクはもうしばらくここにいるつもり」


「そっか。じゃあね」


「うん。あ、そうだ。例のアレ、次は連休前でどう?」


 例のアレ、というのは俺と葵がこっそり開催しているやつのことだろう。


 去年の暮れに始めて次が五回目くらいだ。


 今月の予定を思い出そうとしてみるが、常に真っ白なので特に思い出すほどでもなかった。


「うん、いいんじゃない」


「そっか。じゃあ準備しておくね」


「おっけー。じゃー今度こそ、ばいばい」


「またねー!」


 元気の良い見送りに後押しされ、その場を立ち去った。

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