7.猫と人影
また誰もいない道。
春の爽やかなそよ風を浴び、肩にかけたカバンを背負いなおす。
小鳥のさえずりが聞こえ、近くの大木を見上げる。
その小さな生き物たちは枝から雲一つない青空へと飛び立つ。
鳥たちが自由に飛んで青い海原へ消えていくのを見ていると、今日もバリバリ遅刻していることくらいちっぽけなことに思えてくる。
背負うカバンとは反対に目的地までの足取りは重くもなるが、それでも一歩ずつでも道を行く。
今日も妹に十分学校に間に合う時間に起こされて、ご飯食べて、制服着て、もうすぐ出発ってところでソファでうとうとしたのが最後、気づけば時が飛んでいた。
二桁の数字の時刻に意識を取り戻したが、普段は見れない朝のワイドショーを視聴できたのは怪我の功名というやつか。
夏休みにお昼の番組が見れた不思議な感覚と同じだ。
ここまで盛大に遅れているが、休みにせず諦めないで登校している姿勢だけは評価しても良いだろう。
もう午前中の授業はほぼ全滅なので今更急いだところで仕方ないのでマイペースでゆらゆら進む。
あれこれ言ったが、この時間に歩いているのも俺にとって珍しいことでもなく、慣れたものなので慌てる気持ちも特に起こらない。
校舎に入ったときの視線を思うとうげーとなるというだけだ。
新学年の三日目なら出席日数とかをまだ気にする必要がないので気楽だし。これを繰り返すと留年チキンレースが始まる。
一年生の三学期はあと何回この授業休んだらアウト、みたいなのを告げられたのはちょっとだけピンチだった。
その一瞬だけは真面目に登校していたのも遠い昔の話。
こういうのって本人よりも先生とか周りの人間の方が気にしてくれている。
去年の担任のとーかちゃんはすごく気にかけてくれたし、その人のおかげで無事進級できたといってもいい。
しかし喉元過ぎればなんとやら、またこうして懲りもせずに朝を捨てちゃっている。
痛みの伴わない教訓に意義がないが、痛みがあっても案外簡単にその意義を忘れていくものだ。
そんな感じで悠然と通学路を歩き、あと数分くらいで着くなあと思っていたら、前方に人影が見える。カゲカゲ。
大人が少しよじ登れば届くような高さの石の壁に座り込んでスケッチブックに描き込んでいる、女子制服の子。
その姿に声をかける。
「やっほー」
「ん? あ、日郷君だー! ご無沙汰だね」
元気の良い返事が返ってきた。
ちょっと芝居がかったというか、猫を被ったような口調はいつも通り。
最後に会ったのは……三学期の終わりくらいだったかな。
春休み丸々ぶりだ。
俺も壁をよじ登って、隣に腰掛ける。どうせ遅刻だしね。
筆と視線の先には黒猫がいた。
首には見覚えのある赤い首輪がちらりと見える。
向こうもこちらを見るととことこと寄ってきて、昨日のように膝の上に飛び乗ってくる。
「今度はおはよう、だね」
「にゃあ」
頭を撫でると小さく鳴く。これが猫なで声ってやつなのかな。
「あれ、知り合いだったの?」
「うん。昨日ね」
「ふーん。いやー、一日で随分と懐かれたね」
「そう。仲良し」
「割と警戒心の強い子なんだけどねー。これは日郷君の魅了が人だけじゃなくあらゆる生物にも効くってことなのかな」
「やば。敵キャラだ」
状態異常付与してくるタイプのやつ。先に処理しておきたい敵。
というか昔から動物は割とすぐ懐くけどそこまで言われるほどの感じはしない。効果あっても困るけど。
「ゲームの話はともかくとして、モテモテなのは気分がいいものなの? あ、これは嫌味じゃないからね」
「あんまり嬉しくなさそうじゃない?」
「なーんか他人事」
「実感ないしね」
「そう? まあ嫌われちゃうのは何ともならないけど、好かれる分には嫌なものでもない気もするなー、ボクは」
「嫌じゃない? 猫ちゃんならいいけど、虫にもモテても」
「ぷ。あはははは! なるほど、虫かー」
何やら面白いようで大爆笑だ。
よくわからないが合わせて笑みだけ浮かべておく。
山行って虫とか、海行ってクラゲとかに好かれたら嫌だと思う。でも釣りに行ったら大漁とかならいいのかも。
いやどうだろ。毎回爆釣でも楽しいのかな。ああいうのって釣れたり釣れなかったりだから味があるような気もするし。
「ボクは対人の話をしていたつもりだったんだけどね。実際、みんなに好かれるよりも好かれたい人に好かれた方が幸せかもね、人間は」
「ぐう」
「そんな小難しい話はしてないよ。まあいいか。というかウチの子にそんなにすぐ懐かれたなら大したものだと思うけど」
「あー。葵のとこの子だったんだ」
「うん! 元は野良だったんだけどねー。昼間は家よりも外で自由にさせていることが多いから、こうやってポージングしてもらったりしてるんだ」
そう言って何枚か猫のスケッチを見せてくる。
それが今日描いたものだとすればかなりの時間ここにいたのだろう。
そんなに同じ場所にいて猫の方は逃げないものだろうかと思ったけど、傍に猫缶やらが置いてある。
ご飯で釣ったのか。飼い主の方が懐かれていないのはどうなんだろうとも思うけど。
それで引き留めているからこの子も太っちょなのだろうか。
「ちょっと待っててー。この一枚がもうすぐ仕上がるんだ」
そう言ってまた手元のキャンバスに何やら書き込んでいく。
膝に乗っている肉球をぷにぷにしながらその真剣な姿を眺める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます