5.公園エンカウント

 とても綺麗な黒髪を風になびかせた少女がそう語りかける。


 自信に満ちた、透き通った声が耳に残る。


 真っすぐ向けられた視線は、俺からの返答を待っているようだった。


「あー、なんだろ。お花見?」


「……もうほとんど散っているわよ」


「気持ちが大事じゃん、こういうのって」


 俺の返答にいまいち納得していないのか、少女は訝しげな視線を向けている。


 ウチの高校の制服に身を包み、膝元ほどの丈のスカートの前で通学用のカバンを持っているだけなのに、すごく絵になる女の子だ。


 同年代の女子で可愛いのではなく美人だと思うのはどうにも不思議な感覚だけど、綺麗な子だ。


 タイの色的に、二年生か。同い年とは思えないほど大人びて見える。


「で、誰だっけ?」


「知らずに返事していたのね……」


「え、うん。だって同じ高校じゃん」


「どういう理屈なのかしら……」


「ん-。でも最初は誰だって知らないじゃん。だから、そんな感じ」


「どの感じよ……」


 女の子は呆れ顔で首を振っている。


 まだ言うことがまとまっていない状態で言葉を紡いでいるだけではあるけど、とりあえず意味ありげにそれっぽい感じを出しておこう。


 まあ、何が言いたかったのは俺もよくわかってないんだけどね。急に話しかけられても元々回転していない頭が一層回ってない。


 相手側は俺のことを落ちこぼれとして認識しているっぽいけど、こちらは知らない人に話しかけられてびっくりしているのだ。芸能人が街で声かけれるとかこんな感覚なのかな。


 というかこの子、俺のこと問題児って呼んでたな。


 その呼び方の是非についてはともかく、面と向かって言われたのは初めてかもしれない。だからなんだという話だけど。


 少女はこほんと一つ間を取って仕切り直す。


「私は樽見沙月。顔ぐらい知っているでしょ?」


「……誰だっけ?」


「名乗ったのにどうして問いが変わらないのよ」


 その聞き方だと随分有名人なのだろうか。まあ知らない名前だ。


 とはいえ確かにどっかで聞き覚えがある名前の気もする、ような、感じが、しないでもない。でもそれがどこで聞いたかは思い出せない。


 去年のクラスメイトだったわけでもないだろうし、ましてや今年のでもない。流石に同じクラスならこんな綺麗な子は見覚えがあるはずだ。


 呆れ顔のまま少女は続ける。


「生徒会長よ。貴方と同じ二年生」


「あー、生徒会。なんか見たことある気がする」


「昨日の始業式でも壇上に上がったでしょ」


「出てないんだ、始業式」


「……これは一応聞いておくけれど、体調の問題?」


「ううん。ふつーに寝坊」


「はぁ……」


 生徒会長さんはため息をついて思案顔になる。


 始業式には間に合ってないけど、その後のHRは出席しているからセーフ。


 そのとき教室で委員長ちゃんと会話していたのだ。名前は未だに思い出せないけど。


「そもそも今朝も会っているのだけれど」


「学校で? 一万分の一の奇跡だね」


「無駄にロマンチックな言い回しをしない。というか私たちの高校に一万人も生徒はいないわよ」


「えー。一年経って知る衝撃の事実」


「一年通っていたらそんなに人がいないことくらい早く気づきなさい」


「で、どこで会ったっけ?」


「……貴方が話を戻すと私が脱線させたみたいじゃない」


 会長さんはなにやら不満そうに呟く。


 一つ咳払いをし、気を取り直して続ける。


「神海先生と遅刻してきた貴方が話していたでしょう。そこで傍にいたのが私」


「あー。いた気がする」


 とーかちゃんと喋ってた子か。


 言われて記憶を探ってみると、確かに後ろ姿の綺麗な黒髪なんかは今目の前にいるこの子と同じだ。


 少し遠めからしか見ていなかったが、近くで見ても見惚れてしまうほど美しい立ち姿だ。


 いやあれを会ったとカウントするのかな。


 というか会長さんくらい綺麗で目立つ子が印象に残っているのはともかく、なぜあちらが俺のことを知っているんだろうか。


「俺と会長さんってそれ以外で接点ないよね。それとも前にどこかで会った?」


「……貴方はとても目立つからわかりやすいわ」


「まじ? 注目されるようなことしてないのに」


 生徒会長さんは言葉を止め、俺の顔に指を差す。


「その髪色。目立つに決まっているじゃない」


 静かに俺の後頭部、襟足部分を指差される。


 去年の秋ごろから派手すぎないグリーンのインナカラーにしている。


 入れた色も理由も馴染みの美容室でオススメされたから言われるがままやっただけなので、大したこだわりはない。


 だけど髪色に変化を入れただけで爽やかな気分になれたので結構気に入っている。


「え、良くない?これ」


「良くないわ」


「えー。結構評判いいのになー。次はカラー変えるかあ」


「いえ、似合っているとか以前に校則違反よ」


「たしかに」


 去年休み明けに染めていったときは職員室に呼ばれて、校長先生とか偉そうな先生たちとお茶してた。


 高そうなソファに座って昔の学校のこととか先生になったときのこととかお話してお饅頭食べて友達になったっけ。


「先生に確認したのだけれど、なぜか黙認状態というし……なんなのかしら」


「まー、不良らしいしね、俺」


「そうであったらむしろ強く指導されるものだと思うのだけれどね」


 呆れ顔で渋い目線を向けられる。


 この子、すごく整った顔立ちなのにさっきから険しい顔しかしてない。どうやら俺のせいみたいだけど。


「それで、会長さんは俺にご用事?」


「用事はないわ。だけど……」


 そこで一度言葉を区切って、ためらうように体の前で手を組んで俯いている。


 先ほどまで見せていた凛とした姿とは少し違う、年相応の少女のような姿で、迷いながらこちらに向き直る。


「とても上手な歌が聴こえてきて、気になって寄ってみたら貴方がいたのよ」


「まあさっきまで歌ったね」


「その姿が──寂しそうに見えたから」


「…………」


「公園の外で高尾君を見かけた時、いえ、きっと今朝遅刻してきた貴方を見た時からなぜだかそう感じたのでしょうね。理由はわからないけれど」


 少し困ったように、それでも真摯に向き合うように会長さんが続ける。


「違っているなら別にそれでいいの。もし悩みがあるのなら、力になりたいと思って」


「悩み、ねえ」


「もちろん好き勝手言いふらしたりしないわよ」


「そこは疑ってないけど。生徒会長って初めて会ったような人にまでこんなことしてるの?」


「いえ。これは生徒会長としてではなく、私の意志よ」


「よくわからん」


「別に難しいことは言っていないわ。困っている人がいたら手を差し伸べる。不思議なことではないでしょう?」


 そんなことを言う。


 十分不思議なことをしているとは思うけど。


 これが初対面で初めて会話をする相手で、困っていると言ったわけでもない人の手助けをしようと思うなんて、普通にわけがわからない。




 わからないのに、何故かあたたかさを感じた。



 これはただの好奇心かもしれない。


 わからないものを、わかりたい。


 知らないものを、知ってみたい。


 その感情も否定しない。


 だけど今胸の奥がほんの一瞬、ぬくもりを感じた気がした。


 それは何にも心が動かなくなってしまった俺にとっては、この子に興味を持つ理由になる。


「へんなの」


 どちらへ向けた言えない言葉が漏れ出る。


 こんなの猫の気まぐれみたいなものかもしれない。


 けど、それならそれで良い。


 この退屈さを紛らわすことができるのなら、猫にだって、虎にだってなる。


「いいよ。お喋りしよっか」


 その言葉を聞いて、会長さんは少しだけ微笑んだ。


 それをこうして真正面から受け止めると、一目惚れとはいかないが思わず見惚れてしまう魅力がある。


 とりあえず立ち話もなんなので、先ほどまで黒い友達がいた場所を勧める。


 一つ一つが洗練されていて思わず目で追ってしまうような所作で腰掛け、顔だけこちらに向けられる。


「それで、生徒会長さんは何をしてくれるの?」


「とりあえず今日は話だけ聞かせてもらおうかしら」


「じゃあこの前お出かけした時の話なんだけど」


「いえ、ラジオのオープニングトーク的なことではなく」


「聞きたくない? すべらない話」


「面白くなさそうだから特段聞きたくはないわね」


 普通に酷い。


「いきなりは難しいだろうけれど、もう少し胸の内を話してほしいわ」


「なるほど。生徒会長のお悩み相談室ね」


「またラジオのコーナーになっているわよ」


 ラジオ好きなの? と呆れ顔で言われる。


 今はネットラジオがいっぱいあるし、ただぼんやり聞き流す分にはテレビより俺に合っている。


 それを好きというのかは微妙なところだけど。


「貴方自身のことを聞きたいのよ」


「そんな。俺なんてどこにでもいる普通の高校二年生だよ」


「アニメの主人公?」


「ひょんなことから公園で生徒会長に目を付けられちゃって……これから私、どうなっちゃうの~?」


「本当にどうしたいのよ貴方……」


「そんな感じだけど、どう? なんかわかった?」


「今の会話から理解できることは貴方がバカだということだけよ」


「バカとアレは紙一重っていうしね」


「天才の方をボカす意味ある? バカの方を隠しなさいよ」


「ところでバカって言ったほうがバカってすごいセリフだよね。言った方も言われた方もバカってことになるじゃん。これ実は両者バカになるっていう自爆前提のカウンター技なんじゃないかと思うんだけど、どう思う?」


「何度もバカバカうるさいって思う」


「まさにバカバカしいと」


「この会話は一体なに?」


 会長さんが今度は本気で困惑した表情を見せる。


 まあ質問されても脊髄反射で会話しているので意味は各自で探してほしい。


 とーかちゃんなんかからは考えてから話せってよく言われる。でも今の俺だと考えながらだと話せないんだよな。


 正解の会話を導き出すのはお望みならするけど、それは俺がお望みじゃないんだよな。


 会話なんてそんな深く考えて喋るものじゃない、というのがとりあえず今の俺の落とし所だ。


 隣で大きく深呼吸をしている音が聞こえてくる。


「……切り替えて。貴方自身の話を聞きたいのよ」


「そっちの方がよっぽど面白くないと思うけど」


「さっきの会話も面白くないわよ……やけに面白さにこだわるように聞こえるのだけれど、気のせいかしら」


「大事じゃない? 生きていくなら」


「必要な要素だとは思うわ。ということ貴方には高校よりも面白いことがあるの?」


「どっちかというとなんか面白いことないかなーって探してる感じ」


「バカな若者みたいな理由ね」


「まあ若者だし」


 まだ高校生だ。バカなのは仕方ない。


 会長さんはふむ、と様になる考える仕草を取る。


「学校ではない場所に何かを見出したい、というのは思春期の動向として理解できるわね。その面白いと思うものも人それぞれで解決は難しいのが困りどころだけれど」


「そだねー」


「だけれど、学校の外に面白いものを見つけているわけではないのでしょう? なら月並みな言葉にはなるけれど、学校に通って、交友関係を築いて、部活や勉強で目標に向かって努力するというのも、ちゃんと面白いものだと思うわよ」


「あー。そういうのはいいや。もう全部試したし」


「試した……?」


「まーそんな感じ」


「要領は得ないけれど……つまり学校が退屈なところだから他の面白そうなもので遊んでいる、という認識でいいのかしらね」


「んー。なんていうんだろうねえ」


「違うと?」


 はてという顔をしている生徒会長さん。


 初対面の人に、俺の心の内を一から百まで大っぴらにすることもないと思う。


 でも知りたいと言っている子に隠すほどでもないのかな。


 まあいいか。


 悪の生徒会長とかでもないのなら俺のことを言い触らすような子でもないと思うし。悪の生徒会長ってなんだろ。


「退屈なのは、そういうんじゃないっていうか」


「いまいち要領を得ないけれど」


「つまんないんだよね、」


 一呼吸おいてちらりと隣の様子を伺ってから、続きを告げる。




「生きること」




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