4.灰色の世界

 放課後。


 太陽が沈み始めて、空は赤みを帯びてくる時間。


 学校近くの公園で夕暮れの空気を浴びて、疲れた体から熱を取る。


 授業というものは座っているだけでなんだか疲労を感じる。


 春休み明け久しぶりの授業というのもあるんだろう。教師からの呪文のような言葉に何度か意識を失っていても疲れるものは疲れる。体力よりも気力が持って行かれてる気がする。


 その気晴らしに街へ出るつもりだったのだけど、お金がない。財布には300円。市バスを使ったら残りは90円で、今度は家に帰れなくなる。


 そんなわけで外出はなし。家に帰ってもやることもないし、外にいた方が幾ばくか気分転換にもなるのでこうしてベンチで一人ぼんやり時間が過ぎるのを待つ。


 この公園は住宅街の真ん中に位置している。


 規模はそこそこ大きく、遊具だけでなく少年野球用のグラウンドやテニスコート、さらにかなり大きなユリの花壇が公園内にあり、隣には大学病院もあるため地域の人たちが集まる場所だ。


 高校から15分ほど歩けば着くのでお金がない日はよく来る。家に帰りたくないわけでもないのだけど、室内でじっとしているよりは外にいる分だけ少しだけ何かをしている気持ちになれる。


 遠くの方では小学生くらいの子たちの元気な声が響く


 緑が目立ち始めた桜をちょっと遅めのお花見気分で眺めて、自販機で買った水を一口飲む。


 残り170円。


 もう少し早い時期であれば綺麗な桜景色、初夏であれば公園内のユリが咲き誇る公園だけど、シーズン外れは子供たちと散歩のお年寄りばかりだ。


 この辺は近くに他の学校もあり学生はそれなりの数いるはずだけど、みんな駅の方か近くのショッピングモールに行ってしまう。


 俺も普段はそちらによく行くけれど、今日はどうやら隣でやっているプロ野球の試合で人が多く、ゆったりできないのでこっちに来てみた。


 まあでも、やることないなあ。


 子供たちと一緒に泥だらけになって遊ぶほど幼くもなく、公園のジョギングコースを歩いて健康に気を遣うほど老いてもいない。びみょうなお年頃なのだ。


 お花見気分に洒落込むにはこの天然水だけじゃ物足りない。こういうときはやっぱりお酒だよね。飲んだことないけど。未成年だし。


 まだまだお水がおいしいお年頃でもあるのだ。


 数羽のカラスが地面を突いている様子を横目にペットボトルに口をつける。


「にゃー」


「お。どした」


 足元から小さな黒い生き物に呼びかけられる。


 器用にベンチにジャンプするとそのまま膝の上に乗って寝転がる。猫だけに。

 

 随分人懐っこい黒猫だ。


 残念ながら分け与えるような食べ物は持ち合わせていないので撫でるだけ。


 ゴロゴロと気持ちよさそうな声を聞きながら撫でていると赤い首輪を発見する。人に近いのはそういうこと。


 ちょっと太っちょだし、お家でのご飯だけでなくこの辺でも色んな人にこうして良い顔してご飯を貰っているのだろう。


「人たらしだね、おまえ」


「んにゃ?」


「猫の世界は厳しいのかな、ご飯とか」


「にゃ」


「でもおまえはちょっとダイエットしなきゃ。モテないよ」


「にゃあ」


「猫だって弱肉強食だぞー」


「にゃー?」


 猫と向き合うように持ち上げる。おー、伸びる伸びる。


 飼い猫にしても警戒心が薄い。


 そんなんじゃ野生じゃ生きていけないんじゃないだろうか。


 飼い猫だしいいのかな。


 隣のベンチに下ろしてあげると、自分の顔をごしごししている。呑気なやつだ。


 そのまま一人と一匹、公園で時の流れを感じる。


 心地よい風がそよそよと吹き、空は赤と黒のグラデーションに変わってきた。


 隣の友達と一緒にぐーっと伸びをする。




 ひまだー。




 心の中でそう呟きながら背もたれに体重を乗せて空を、見上げる。


 街の中の空だけど綺麗だと思う。だけどそれを見ているだけで満たされることはない。


 空を舞っている桜の花びらも、公園で楽しそうに遊ぶ子供たちの姿も、地面で力強く咲いている花たちも、色はない。


 俺の世界はいつからかずっと灰色だ。


 視覚の話でなく、心の持ちようとして。


 五体満足に生まれ、親の愛情も多分に受けて、友人も少なからずいて、勉強や運動で特に躓くこともなくここまで生きてきて、こんな感じでこれからもなるように生きていくのかなと思っていたら、体よりも先に中身の方が死んでしまった。


 高校の一年間。


 中学の三年間。


 小学校の六年間。


 幼稚園、はもうあまり覚えていないけれど。


 得られたものは何もなく。


 思い出せることも何もなく。


 振り返れることも何もなく。


 面白いことは、何もなかった。


 俺の人生はなんてつまらないものだったのだろうと改めて感じる。


 中学に上がる頃には世界の色を見い出せないことをぼんやりと自覚していて、それでも高校に入れば何か変わるかと淡い期待を抱いてもみたけど、やっぱり退屈なものだった。


 きっとこの先も、なんとなく高校生活を過ごして、なんとなく入れる大学に進学したりなんとなく就職したりしてて、なんとなく仕事をして、なんとなく生きて、なんとなく死ぬ。


 劇的でもなく、淡々とした変化のない日常の連続。


 つまんねえー。


 つまんねえーって自覚したら先のこと全てがさらにどうでもよくなった。


 色々なことが面倒くさくなった。


 世界から色が消えた。


 もうモノクロの世界の方が長い。


 目標も、夢もなく、何かをするでもなく、ただ時間を消費しているだけ。


 これを生きているというのか。


 呼吸をしていれば、人間は生きているのだろうか。


「生きるってなんだろうね」


「にゃあ?」


 隣の猫ちゃんに意味はなくともそう問いかけてみる。


 答えが欲しいわけでも慰めてほしいわけでもないのだから、意味なんてなくていいのだ。


 そうやって意味のないことを繰り返して、時間だけがなくなっていく。


 もう一度空を見上げて、一つしかない星を見つける。


 それを焦がれるように手を伸ばす。


 隣からパタパタと尻尾がぶつかる音だけがした。


 伸ばしていた腕を下ろし、毛づくろいしている黒い生物の頭を撫でる。


 少しだけ迷惑そうな顔をするが、小さく尾を揺らすとまるで歌うように鳴き出す。


「良い歌だね」


 その小さな姿に思わず笑みを浮かべてしまう。


 つられるように俺も一緒に口づさんで、一人と一匹のコンサートを開く。


 ギターもピアノもなにもない、ただ音を重ねていくだけ。


 この子が歌っているように見えるなんて、ただの人間側の解釈だろう。


 そうだとしても、歌っている間は何も考えずにいられる。過去の後悔も未来の不安も、全部込めて吐き出す。

 

 歌詞もメロディも即興で作り出しているめちゃくちゃな曲とも言えないもの。


 それでも歌い終わった頃には先程よりは少しだけスッキリした心持ちになっていた。


「ありがとう」


 頭を撫でると今度は気持ちよさそうに目を細めている。


 周囲は暗くなり始め、公園の外灯に光が灯り始め、近くの世界もパっと白みを帯び出す。


 その光を合図に隣の生き物は動きを止め、真っすぐと獣の視線を遠くへ向ける。


 しばらく静止画のようにしていりと、すっと立ち上がり素早くどこかへ消え去っていった。


 街灯に驚いたのか、それともお家に帰る時間なのだろうか。


 それを見届けてもう一度大きく伸びをする。


 そろそろ良い時間だし、お腹も空いてきた。


 心が死んでいても、体が生きている以上はお腹も空くものだ。


 俺もそろそろ帰るか。


 そんなことを思っていると、こちらに一人分の足音が近づいて来る。

 

 さっきの猫ちゃんとは違う、人間の足音。


 風が一瞬強くなり、傍のカラスたちが黒みを帯びた空をバックに一斉に飛び立ち、花びらも残り少ない木から桜吹雪が舞う。


 その中心に、一つの影。


 そのとき、俺の世界に一瞬色がついた気がした。





「こんなところで何をしているの、問題児さん」

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