第3話 慣れない味
この異世界に来てから、どの程度の時間が経ったのだろうか。少なくとも、二十回か三十回は日が昇り、そして同じくらい日が沈んでいるだろう。トーニと、ノアさんと、そして私……あの、全てが変わった日に出会った二人と暮らす奇妙な生活。
決して、慣れているわけではない寝室。未だに、見知った私の部屋で目覚めることを夢見る夜がある。だけれども、目を覚まして目にする光景はいつだって同じ。あの日に見た光景と同じ、何一つとして変わることはなかった。
私は、未だにこの世界のお茶の味になれない。覚えることさえ出来ないほどに、聞き馴染みのない名前。毎日のように体に流し込んでいるけれど、美味しいと思える日はまだやって来ていない。
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
「心配しないでいいよぉ、ぬいぐるみ君。どうせまたどうでもいいこと考えてるんでしょ?」
私の顔を心配そうに覗き込むトーニと、一切興味がないとでも言わんばかりにこちらに視線さえ向けずに言葉を発するノアさん。
「大丈夫よ、心配しないで。少しだけ、昔のことを思い出していただけよ」
「そっかぁ……ならいいんだけど。無理しないでね? トーニにできることだったらなんでも言っていいんだよ?」
「ありがとうね」
にこりと、少しだけ笑って見せる。するとトーニは安心したように、自分の席に座って用意されていたお茶を啜った……そういえば以前、ぬいぐるみだけどお腹も空くし喉も乾く。そう言っていたのをふと思い出した。
その時はその行為に対して疑問を抱いていたけれど、今となっては些細な問題に過ぎない。きっと、本人がそう言うのであればそう言うものなのだろう。
「はぁ〜あ、それにしても今日もお客さんは来ないねぇ」
「来てないのは毎日じゃない? ねぇ、ここって本当にお店なの?」
ため息をつくノアさんに追い打ちをかけるように、私は言葉を彼に突き刺した。すると、前髪越しに見える彼の瞳が……少し鋭くなったような気がする。
「仕方ないんだよねぇ。だって、骨董品なんてもうこのご時世あまり需要がないんだよぉ。もう少し中心部に行けばお金だけを持て余した人たちが買ってくれるんだろうけど、この辺にはいないから」
「需要がないのがわかってんならなんでこんな場所に、骨董品店なんて開いたのよ……」
心からの愚痴をあえてノアさんに視線を合わせて溢す。すると、あえてノアさんは視線を合わせて……。
「大人には色々とあるのさ〜。お子ちゃまの君にはわからないかもしれないけどね」
「はぁっ⁉︎ 誰がお子ちゃまですって? ……と言うより、ノアさんって一体何歳なの? 見た目はあまり私と変わらないようだけれど」
身長は、私よりも少し高いくらい。私は155cm、つまるところ女性平均程度だ。と言うことは、別のノアさんの身長は高すぎるわけでも低すぎるわけでもないのである。
顔立ちだって大人とも、また子供とも言えない中途半端な感じだ。それこそ、私と同じくらいの。
「僕は大人だよ。多分、君の倍くらいは生きているともうけどねぇ」
絶対嘘だろうとは思ったが、これ以上反論しようものなら水掛け論になってしまいそうなので私の方が諦めてやることにした。とりあえず、話を逸らしてみる。
「ああ、そう。んで、そういえばトーニはどうなの? この中で一番長生きしている確率が高いのはトーニじゃない?」
「トーニは……トーニはいつ生まれたのか、わからないや。覚えていることが少ないから」
肩をしょんぼりと落としてしまったトーニ。その姿を見て、すぐさま謝った。
「ごめん、ごめんねトーニ。あんまり気にしないでいいから」
「うっわっ、リンったらさいってーだぁ。こんなにかわいいぬいぐるみくんをいじめるだなんて」
だがしかし、そこにすかさず追撃を入れてきたノアさん。さっきの発言に対して根を持っているのだろうか。少しだけ言葉尻がキツくなっているような気がした。
「そんなことないよ、お兄ちゃん……でもね、トーニ全部忘れているってわけじゃないよっ‼︎ 例えば、公園の記憶とか。お姉ちゃんとお兄ちゃんと暮らすようになって、最近思い出したんだ」
「公園の記憶?」
「そうそう、公園で。トーニ、ずっと一人だったの。誰かを待っていたんだ。その誰かは僕のことをすっごい大切にしてくれて、い〜っぱいかわいいって言ってくれたの。だから、僕を見つけてくれるんじゃないかって……」
見つけてくれるんじゃないか、その言葉にはトーニの願いが隠されているような気がした。だってそう口にした時のトーニの目は、いつもとは何かが違うものがあったから。期待するような、熱望するような、そんなものが。
「でも見つけてはくれなかった、と。あぁ、非常に可哀想なぬいぐるみ君だ。ずっと君は待っていただけ。それなのに、こんなところに来てしまうだなんてねぇ。運がない、ああ運が無い」
「……何その胡散臭い言い方」
「胡散臭いだなんて失礼だなぁ、せっかくいい提案をしてあげようとしたんだけど。知りたくないの?」
「別に、私は……」
どうせまた碌でもないことになるだろう。絶対的に聞かないほうがいい。私はそう思っていたのだけれど、どうやらトーニはそうではないらしい。
「トーニは気になる‼︎ お兄ちゃん、教えて?」
「だってさ、リン。君はどうするんだい? 僕は君の了承を得られるまで教える気はないよ」
「お姉ちゃん、お願い」
キラキラと瞳を輝かせて、こちらに微笑むトーニ。もはやわざとやっているのではないかと感じるほどに、とてもあざとく可愛らしい。
「……トーニがそうならじゃあ私も知りたい、かも」
「そっかそっかぁ……ま、提案って言ってもただただ外に出ないかって言うだけなんだけどねぇ。この辺りは結構自然が多いから、公園ほどに整備はされていないけれど何か思い出せるかもしれないし?」
「行きたい行きたいっ‼︎」
どうだっ、とでも言わんばかりのドヤ顔を披露するノアさん。提案の内容にあまり面白味はないけれど、奇抜なものではなくてよかった。
「案外まともな提案でびっくりしたわ」
「僕はいつだってまともだよぉ……それで、どうするの?」
「トーニには悪いことをしてしまったし……別に、いいわ。行っても」
「やったぁっ‼︎ お姉ちゃん、ありがとう」
と言うことで、ノアさんの提案で外に出ることになった。トーニの記憶が少しでも思い出せればいいなぁ、と思いつつカップの底に残っていたお茶を啜った。やはりまだ、美味しいと思うことはできない。
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