第2話 喋るぬいぐるみだなんて聞いてない
「それで……ノアさん、このぬいぐるみは一体どういうこと? なんで急に私に取りに行かせたの?」
「僕はトーニだよっ!! トーニって呼んでね」
私は喋るぬいぐるみ……もといトーニと名乗ったくまを無造作に持ち上げてノアさんの前に突き出した。その青髪と無駄に小綺麗な服を掴んでやりたい気持ちを抑えながら。
「ん〜? 深い理由はないさ。ただただ、なんとなーく君にこのぬいぐるみを渡したら面白いことが起こりそうだって
傑作映画を見たときのように、表情を歪ませて笑うノアさん。何も気にしていないかのように、陽気な踊りを踊っているトーニ。そして、それをすべて白い目で見る私。
「なんでこんなおかしなものばっかりここにはあるのよっ!!」
「だってここは骨董品店だからねぇ。色々とあって当たり前だよ」
少し息を落ち着かせたノアさんが呟いた。そして畳み掛けるようにトーニも弾んだ声で言う。
「お姉ちゃんだって十分におかしいから安心していいよっ。だって僕の声、お姉ちゃんが来るまでこのお兄ちゃんに聞こえなかったし。ずぅっと、お願いしてたのに」
「……お願い?」
前半のおかしい、という言及は聞かなかったことにするとして、お願いとは何なのだろうか。
「そうそう、お願いがあったの。忘れちゃったけど……でも、しなきゃいけないこと。それをやらなきゃ、トーニはずっとこのままなんだ」
「とりあえず具体的に何をするかはまだいいとして……それをしたら一体君はどうなるんだい? もう少し詳しく教えてくれると助かるんだけどねぇ」
「えーっとねぇ、わかんないっ!! お姉ちゃんは知ってる〜?」
「私が知ってるわけないじゃない」
そうだよねぇ、と目に見えて肩を落とすトーニ。その姿があまりにも悲しそうなものだから、ほんの少しだけ可哀想になってしまった。
「……あー、ちょっと一緒に考えてみる? 三人寄れば文殊の知恵って言うしさ、何かわかるかもしれないよ?」
「いいの?」
うるんだ瞳でこちらを見つめるトーニ。その姿はクマと言うよりは人懐っこい犬のような……
「まあ、別に考えるだけならいいよ」
「ありがとうおねーちゃん!!」
「あっれぇ? もしかしてリンってかなりチョロかったりする〜?」
数秒間目を瞑る。冷静に、青野郎に対して湧いた怒りを沈めて……反応せず、放っておくことにした。
「……とりあえず、トーニ。なにか思い出せることとかないの?」
「んーっとねぇ……」
「ひっどぉい、無視〜? ま、いいけどぉ……」
悩みこむトーニ、そして相変わらずムカつく言葉を落としていくノアさん。次は何をするのかと視線の端で彼を観察していたら、今度は徐に立ち上がるノアさん。
「え? ちょっと待ってどこ行こうとしてるの?」
「ん〜。情報を聞き出すのは君に任せて大丈夫そうだから、僕はお茶でも取ってこよっかな〜って」
「自由人すぎやしないかしら……まあ、いいや。行ってらっしゃい」
心の中でいない方が早く話が進みそうだしね、とだけ付け足してノアさんを見送る。相変わらずトーニは頭を抱えて考えているみたいだ。その様子はどこか愛らしい。
「断片的なものでも、いいの。とりあえず何でもいいから思い出せるものはない?」
「んーっとねぇ、わかんない。だからお姉ちゃん、何かそれっぽいこと言ってみて? もしかしたら、それで何かわかるかもしれないし」
「えぇ、あ、えーっと……もしかして、あれ? 未練をなくした幽霊が成仏していく〜、とか。まさかそんなファンタジックなものではないでしょうし」
急に無茶振りをされたのだから、どこかで読んだような設定しか出てこなかった。流石にこんなお粗末な設定の過去ではないだろう、と内心笑いつつトーニの方をちらりと見た。すると……
「それだぁっ!! トーニはずっと呼ばれてたのっ。でもねぇ、何かをしないとそこにいけないよ〜って言われちゃって……」
まさか当たっていたとは思わず、言った自分自身が一番びっくりしていた。えぇ、と喉から驚きの声が漏れてしまった。
そしてそんな私とは対照的に、全身で喜びそぶりを表現するトーニ。黒くて丸い目をキラキラと輝かせている。そんな可愛らしい姿を見て、思わずくすりと笑ってしまう。
「なんでお姉ちゃん笑うの〜?」
「ううん、何でもない」
今度はほっぺたを膨らませてこちらを睨んでいる。睨んでいると言っても、小動物の威嚇のような可愛らしいものだ。とても表情が豊かで可愛らしいな、と思った。
「台所まで声が丸聞こえですよぉ〜。そしてはい、淹れたてのお茶が通りま〜すっ」
「うわっ‼︎ って……早くない⁉︎」
「あ、お兄ちゃんだっ‼︎ おかえり〜」
急にどんっと机の上に置かれる食器達。立ち上る湯気と奇妙な匂い……少なくとも、今までは嗅いだ事のないものだ。
「早いって何が?」
何かおかしなことでもしてしまったのか、と言わんばかりの声で私に問いを投げ返すノアさん。
「だって湯気が上がっているってことは暖かいお茶でしょう? まだ3分も経っていないはずなのにどうして……」
「ん〜? 君の住んでいる世界ではお茶を入れるのにも時間がかかるのかい? 本当に不便な世界だなぁ。まあとりあえず、召し上がれ」
頭の中でありえない、と思いかけたけれど……そういえばここは不思議な場所であることを再度思い出す。多分、私が知っている物理法則などは通用しないのだ。
そんなことを考えながら、ノアさんの持ってきたお茶を口に一口含んだ。口の中に広がるのは、ほのかな苦味と独特な味。美味しいとは言えないけれど、決してまずいとは言えない。でも、もう一度飲みたいかと尋ねられたら飲みたい、と答えてしまうような……
「あのねあのね、お兄ちゃん、お姉ちゃん……一個だけお願いしてもいいかな?」
トーニの声を聞いて、はっと意識を元に戻した。
「えっ、あ、うん……なぁに?」
「トーニ、お姉ちゃんたちとしばらく一緒にいてもいい? そうしたら、何かを思い出せる気がするんだ〜」
上目遣いで私の方を見つめるトーニ。まるで、僕は可愛いから許してくれるでしょ、と言わんばかりの笑顔とともに。
「私は構わない……っていうか、私自身には多分決める権利はないわよ。ノアさん次第ね」
そうだ。私はまだここに来たばかりで、正直ここに私がいる理由も、何もかもわかっていないのだ。
「えぇ、僕〜? 僕は全然いいよぉ。一日に二人も同居人が増えるだなんて、なかなか面白い話じゃあないか。それに、ぬいぐるみの君に至ってはずっと今までも店にいただろ? 今更何も変わりはしないさ」
「わ〜いっ‼︎ ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん。トーニね、一生懸命に思い出せるように頑張るから、それまではここにいさせてねっ‼︎」
と言うことで、私とトーニとノアさんと……三人、もしくは二人と一匹の奇妙な生活はこうして幕を上げたのであった。
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