第31話
あの少女が、まさかこの椅子を投げたとでも言うのか。
扉の向こうから怒りの声を上げる少女を見て、目を丸くした。
「お、お怒りをお納めくださいミリア様」
フラジールが声を震わせながらも、アルフレッドの前に立ちその少女に頭を下げる。
「別に怒ってないもん。私は淑女なんだから。ただ私のしていることをくだらないなんて言う人間は嫌いだ」
「うぅ……」
僕は、頑張り屋なフラジールをそっぽを向いて頬を膨らませながら、嫌いだという奴が嫌いだ。
「お取り込み中申し訳ありません」
フラジールの横に立ち、一礼して断りを入れる。
「あなたは?」
「はい。本日ミリア様のお父様であらせられるブラームス様より、ミリア様の家庭教師を命じられました、リアムと申します」
「あなたが家庭教師?なんの冗談よ、ちび!」
僕に全部丸投げしたな……あの適当ズたちめ。
「それはさておきミリア様、一体何があったというのでしょうか? 扉が開いたかと思ったら、突然私の友人が飛んできたもので私、いまいち事態をつかめておりません」
そして不遜な態度をとるミリアに、これは深入りしてはならないと判断した僕は強引に話を切り替える。
「ふん、あなたもそいつの仲間なのね」
拗ねてプイッと顔をそらし鼻を鳴らす。
「いえ、僕はあくまで客観的な意見を心がけています」
「なっ!?」
「私は友人としてアルフレッド様に信頼を置いています。しかし、ミスを犯さないわけではない。彼は完璧ではありませんが、完璧であろうと努力を怠らない。だから、信頼している。こう言う場合に求められるのは客観的な視点ではないでしょうか。 私はミリア様の意見を聞いた上で、なぜこのような事態が起こってしまったのか把握したく存じます」
そんな、疑心に満ちた目をしてこっちをみても、ミリアの説得に助力するだけだぞアルフレッド。
ほら、そっぽをむくミリアの頭が少し、ピクリと動いた気がした。
「それに実を言うと私、アルフレッド様と出会った当初はそれはもう大変な迷惑を被りました。もしかすると、と考えると、友人であるからこそ彼の弁護を贔屓的に取ると言う選択肢はないのです、ミリア様」
どうやら怒りの矛先であるアルフレッドをダシにして彼女の興味を引く。
アルフレッド、ごめん。
後ろに組んでいた手を動かし魔力線を使ってアルフレッドに『任せて』と描いたから、事なきは得たはずだ。
「へぇ、あなたは話がわかりそう……いいわよ。私は優しいからあなたは部屋に入れてあげる。でもそっちの二人はダメ!」
ブラームスの言っていた先輩とはこの2人のことなのだろう。
早くも計画も何もなくなってしまった。
「ありがとうございます。しかし、できればフラジールさん、もしくはメイドの方を供につけていただけると後々余計な噂を立てなくて済むと存じます」
「……わかった。あなた、一緒に来なさい」
「は……はい!」
「じゃあ行くわよ」
なんとかフラジールを巻き込んだ。
アルフレッドの愚痴大会になりそうだったし、客観的な判断は下せない。
それに、部屋で二人きり、何してたんざましょ、なんて噂好きのメイドとかに噂されて、もしあの父親に知られたら、僕の身が危ない。
「あの、アルフレッド様をお願いします」
「お任せください」
「アルフレッド。僕もあとで話したいことがある。よければ時間、いいかな?」
「……ああ」
僕を案内してくれたメイドさんに、消沈のアルフレッドが託される。
さて、ここからが本番だ。
部屋の内装はいたって西洋的。
ソファーや机があって薪のくべられていない暖炉やタンスの上に置かれた可愛らしいぬいぐるみたち。
西洋の部屋を女の子らしい装飾で飾ったような部屋だった。
部屋にはベッドなどは見当たらず、部屋の両壁に扉があったため、そのどちらかが寝室となっているのだろう。
「……あの、ミリア様。なぜ隣に座られるのですか?」
部屋へ通されると、勧められるままにソファに座った。
「私の椅子はさっき吹っ飛ばしてあなたが傷つけちゃったし、そっちに座るとその子の顔がちらつくもの。その子のことは別に嫌いじゃないけど、さっきのあいつと一緒に来た子だから嫌な奴のことを思い出すし、対面に座るのは嫌ぁ〜」
これだとフラジールを供につけてもらった意味がない。
「それに私、前から弟が欲しかったんだよね〜。あなた私より小さいし、私のことをお姉ちゃんッ!って呼んでもいいわよ?」
僕の頭をポムポムしながら、言ってくれる。
カリナを召喚したいとラナ相手以外で思ったのは、初めてだ。
「しかし私はミリア様の勉学を支えるために遣わされました。ミリア様の願いを叶えて差し上げたいですが、立場上、そのような呼称で呼び合うのは控えさせてください」
「わかった。でもせめてその言葉遣いと様付けはやめて」
「了解しました。でしたらフランクな場の時だけ、こんな言葉遣いで話すけどいいかな、ミリア?」
「そ、そう。それでいいのよ!」
「じゃあ早速、ミリアに訊くね。どうしてさっきはアルフレッドがこの部屋から飛び出してきたの?」
「そうだった!! てっきり忘れてた!」
忘れてたなら、訊かなくてもよかったかも。
「あいつ急に私の部屋にやって来たかと思ったら、くだらないことは止めて今直ぐ僕たちと将来のために勉強しようなんて言ってきて。私のしてることも知らないでいきなりそんなこと言うなんて、あのアホフレッド!!」
プンスカと、腕を組んで怒っている。
わからなくもない。
辺境伯の家に生まれ、領地を治める父親や、後を継ぐ兄を補佐するために日々励んでいるアルフレッドならではの誘い方だったのだろう。
しかし、わからなくもない。
アウトだ、僕でもわかる。
「フラジール、一応確認だけどミリアの言ってることは本当?」
「間違い無いです……」
後ろに控えているフラジールにも確認を取るが、どうやら間違いないらしい。
アルフレッド、無念だったな。
「それはミリアは悪く無いね。アルフレッドが無神経すぎだ」
「リアムだったけ。あなた、気に入ったから家来にしてあげる! 弟はダメだそうだから!!」
ミリアは顔を輝かせて、僕の頭を更にポムポムする。
「ありがとう。じゃあとりあえず仮で」
それにしても、なんて弾むソファだろう。
「では、これまでの経緯をある程度を把握したところで、次の話に移ろう」
ポムポムもほどほどに、新しく話を切り替える。
それはもう事務的に……政治家か保険屋にでもなった気分だ。
「僕は公爵様から 1.ミリアが勉強をしなくなったこと 2.その理由が行商から買った楽器に打ち込んでいるため 3. ミリアに自制してもらいながら、勉強もするようになってほしいから力を貸して、と頼まれた。でも、ミリアを取り巻く実情もわからないし、それほどまでにミリアがなぜその楽器に打ち込んでいるのか、勉強を拒否するのか、いろいろと聞かせてほしいかな」
不思議なくらいに自然と口が動いていく。
この後アルフレッドとの大事な話に向けて浮き足立つ気持ちからなのか、はたまた、家庭教師を断るともう心に決めているからなのか。
「まあ、リアムは私の家来だし。特別に見せてあげる」
100対0で、就職はしないよ。
「まずはこれを見て」
ミリアは、横長な何かが入った皮袋を隣の部屋から取ってきた。
「バイオリン」
「あれ、知ってたの? リアムは家名を言わなかったから平民だと思ったのに、貴族だったの?」
「僕は平民だよ。ただバイオリンのことは話で先生に聞いたことがあったし、形を見てなんとなくね」
口八丁、嘘を並べる。
しかし全てが嘘というわけではない。
アルフレッドから、バイオリンの他にも複数の僕の知る楽器と類似するものがこの世界にもあることを聞いていた……残念ながらそのラインナップに、ピアノはなかった。
「へぇ〜。ねえ、もしかしてリアムってこれに興味あったりする?」
「もちろん!……あるよ」
危なッ、勢いで泥沼に飛び込むとこだった。
100歩が1歩になるとか、とんでもない。
「だったらッ!」
突然立ち上がったミリアが、僕の手を引く。
「こっちこっち!」
機嫌を損ねないように、力を緩めてなされるがままである。
「特別も特別! 本当は適当なこと言って誤魔化そうとしたけど、でも知らない人に気安く私のお気に入りを見せたくなくて── ッ」
ミリアは先ほどバイオリンを取ってきた部屋の扉の前に来ると、中へと誘う。
「これが私のお気に入り。勇者が設計した遺産のレプリカ」
真っさらな大理石の床に、楽器に合わせた部分のみに引かれた絨毯がよく目立つ。
部屋にはその絨毯とカーテン以外の布といった布はなく、シンプルな部屋にポツンと、しかし力強い存在感を感じさせるその楽器に僕は言葉を失い、絶句する。
「綺麗で立派な楽器でしょ?」
黒く塗られた外装に、独特な流線の即板。
大きな本体を支える三つの脚柱に一つだけのペダル。
「そしてこの楽器の名前が ──ッ!」
「── ピアノだ」
僕はその楽器の名を誰よりも早く口にする。
ところどころ違った部分も見受けられるが、間違いなく前世の僕を虜にした楽器、ピアノがあった。
久しぶりに再会したピアノは、音と生きているどこか懐かしくも鮮明な記憶を呼び起こす。
「へっ?なんで知ってるの」
「あっ……えっと、なんとなーくそんな感じがしたというかインスピレーションで口からこぼれたといいますか……」
「この大きな形のどこにピの要素が」
……痛い。
痛いところをついてくるじゃないか、面白くない。
「実は公爵様から楽器のことを聞いていたというか〜」
遅い。
その言い訳を使うなら最初だろ!
「えっと……僕には知の書っていうエクストラスキルがあって、そのおかげで知っていただけというか……」
「知の書? ねえ、それって最初から持ってたの? それとも後から?」
「最初から。だけどこのことはみんなには内緒にしてね」
「それじゃあもしかしてリアムはアリスの司書? すごい!初めてあった!!」
かなり苦しい言い訳だった筈が、ちゃんと役に立った。
ミリア大興奮、ありがとうケイト先生。
この間、超大量の魔力を使えば空中に魔法陣を描けるのかという実験をさせられたこと、アラン先生に半濁りくらいに濁して、伝えておきますね。
「私も知の書スキルは持ってるけど、それは後から、王都でね!」
「そうらしいね。だから僕のにはまだレベルが付いてないんだ」
先天的にスキルを所有していた僕の知の書にはレベルがつけられていない。
王都に四つあるオブジェクトダンジョンの一つを訪ねることで、誰でも手に入れることができる知の書には、レベルがついているらしい。
昔、王立学院に通っていたらしいウィルとアイナもどうやら知の書を所有しており、そのレベルは ”Ⅰ”であった。
〜〜〜♪
ミリアが順番に鍵盤を叩き、部屋に音階が響く。
突き抜けるような魔が響く音とともに僕の体を走り抜ける。
……弾きたい。
「昔王都で開かれた社交界の片隅で背景音楽(バックミュージック)を演奏していた奏者たちに魅せられて、それからは父様と母様にお願いしてできる限り多くの楽器を集めてもらった。勉強の代わりに楽器を買ってもらってはまた勉強して。それまでは弾き方を教えてくれる先生もいたし、両立もしてたんだけど……」
指先で鍵盤を撫でながら語る姿は、結構、様になっている。
どこか、神秘的だ……やっぱりピアノってすごい。
「この楽器はあまりにも他の楽器とは違ったから……」
ミリアの気持ちもわかる。
バイオリンなんかは綺麗に弾けても2音の和音、それ以上は難しいし独奏してもメロディーが主体。
複数の音を同時に駆使してバラエティ豊かな曲を表現するのは難しい。
「だってこの楽器は一人でも多くの曲を奏でられる! 同時に色んな音を出して、複数人でしか弾けなかった曲も再現できる可能性があるんだもん!」
最初のミリアの印象は無邪気な子供。
だが、行動に自分なりの考えを反映させている。
「もしかして、この楽器……弾けちゃったりする? 」
目を輝かせて、かなり都合の良いことを言ってくれる。
「多分、弾けるかな」
もしかしたらこれは指導方針を決めるいい材料になるかもしれない。
そう思ったから、ミリアの疑問に応えることにした。
……決して、弾きたかったからではない。
「ほんと!? じゃあ触るの許してあげるから弾いて!!」
そミリアは嬉しそうに飛び跳ねる。
「じゃあ、失礼して」
ミリアに許可を得て、閉じていた屋根を開く。
屋根を開いたときに中を拝見したが、細いピアノ線も張ってあったし、ハンマーとダンパーにもフェルトが使われているようだった。
しかし少し気になったのが、ところどころに魔法陣が描かれていたこと。
パッと見、そのほとんどが闇力子を発生させるもののようだ。
性質は軽くと重くだった。
椅子に座ってこの白黒の鍵盤を眺めていると、久しぶりなせいか少し酔いそうだった。
前世と同じような配置で並んでいる鍵盤。
僕はその中から基本の音、C4のドの音を鳴らす。
部屋中に響き渡る少し重さを感じさせるドの音。
まさにそれはピアノの音で、音感的にも違いはなかった。
同じだ……。
鍵盤を押した時の感覚、響いた音の伸びに手を離した時のレスポンス。
久しぶりの感覚に打ち震える。
……唯一、違ったのは自分の指の長さ。
ド〜ラ、頑張ってシ、これだとオクターブを届かせることは難しい。
でも、別に絶望したりはしない。
指はそのうち体が成長すれば伸びるもの。
成長後の長さや太さといった懸念もあるが、そんなことを気にしていては何も弾けない。
それに、この曲は弾ける。
左手はト長調基本のⅤ度の和音、右手は薬指をD5のレの音におく。
〜〜〜♪
右手で軽やかにメロディーを弾きあげては左手を合わせ伴奏を奏でていく。
あの日、鈴華と奏でた思い出の一曲、『メヌエット』である。
演奏はやはり色々と勝手が違った。
久々の演奏、長さの違う指、柔軟性の不足などその理由は様々であるが、前世と違う感覚に戸惑いながらもミスタッチに気をつけて弾いていく。
「タラタッタッタ〜♪」
最後には、心が高揚してしまい、音を口で追ってしまっていた。
だが、ミスタッチもなく、無事に弾き終えた。
「へ〜……」
「わぁ〜……」
「今のはバッハって人が作曲したメヌエットの三番。こんな感じでいくつかのピアノの曲が記憶にあって、もしミリアが勉強を再開してブラームス様の許しが出たら、時々一緒に弾かせてくれると嬉しいかな」
こそばゆさを隠しながら、辻褄を合わせていく。
本来の目的であるミリアの勉強再開を匂わせつつ、一緒にピアノを弾こうと誘う……というか僕が弾きたい。
「うっ……それは……」
考えが変わったからといって、誰も悪くない。
強いて挙げるとすれば、アルフレッド、あるいは、フラジール、今日ここに連れてきたルキウスとダリウス、招待したブラームス、なんだったら昨日ロガリエに行ったエリシアとラナとウォルターも、朝、歓迎してくれたレイアか……つまり、誰も悪くない。
「……わかった」
っしゃ!
「約束だからね!!」
「うん」
年甲斐もなく子供のように頷いた。
差し出された小指に指を絡める。
──ブラームスの執務室──
「随分とミリアに気に入られたようだな……」
「ミリア様の説得は終わりましたので、あとは親子で揃って今後のお話でもと」
「ミリア!!!」
服裾を掴むミリアが、隣で自分の呼称について抗議の声を上げると、ブラームスの執務の手が止まる。
指に挟まれた万年筆が軋みを上げた。
今にもポキッと逝きそうだ。
「思っていましたが、このあとに用事があったのを思い出しましたので、とにかく失礼します!!」
「あッ!リアムッ!!」
眉をピクつかせて爆発寸前のブラームスを尻目に、ミリアを置いて、早々に退室(てったい)した。
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