第28話……押してくれた一歩
──2週間後──
ここ数日、鈴華の様子が少し可笑しい。
心ここにあらず、時々ボーッとしてることが増え、話をしていると生返事することが時折あった。
こちらの自意識過剰だったらと一歩退くことも考えたが、 いつもと違う彼女を放っておける程、鈴華の事に無関心ではいられなかった。
「新田さん、姫野さんってご存知ですか?」
いつもの血圧・体温を測る時間、僕はよく自分を担当してくれる新田さんに相談する。
新田さんは数少ない、僕が心を許せる人だ。
「ええ、もちろん知ってます。どうして?」
「訊きたい事がありまして……あの、なにか?」
話を切り出すと、新田さんはニヤニヤして僕の顔を見ていた。
「直人くん、なんか最近、昔みたいな笑顔が増えたなって」
「そうですか?」
「別にそれが悪いとは言ってないの。良い事だし、私も嬉しい」
新田さんが感慨深そうに微笑むと、普段より強めに絞められた体温計が悲鳴を上げて、話は切り上げられた。
「こーんにーちは!」
次の日の朝、朝食を食べ終え、ベットの上で食休めをしていると、病室のドアがノックされた。
「どうも初めまして〜、姫野でーす」
明るくニコニコしていた。
「一条 直人くんの病室で間違い無いありませんよね?」
「姫野さん……ですか?」
「直人くんが話したいことがあるって新田先輩に聞いてね」
すると僕の驚きと疑問に答えるように、事情を説明する姫野。
「すみません、見ず知らずの僕が突然、呼び出すようなことをして」
「あーあー気にしないで! 別に私、君のこと全然知らなかったわけじゃないし」
「それは看護師さんの仕事で?」
「いや、よく鈴華ちゃんとデートしてるから」
事情を飲み込んだ僕は、次のコミュニケーションを飲み込もうとして喉を詰まらせて咽せた。
不意に吸い込んだ空気とともに、気管に余計なものまで入ってしまったようだ。
「あらあら、ごめんなさい」
姫野に背中をさすってもらい、呼吸を落ちつける。
「それとも私に一目惚れでそれで……」
「違います」
「そんなにはっきり否定しなくても」
残念そうに落ち込んでいるが、あざとい。
「それで、何か話したいことがあるらしいね」
「はい」
それから僕は、近頃の鈴華の様子を話した。
「確かに、よく鈴華ちゃんのこと見てるね。でもね、私からあなたに何か教えることはできない」
話を聞き、感心する様に頷くも、彼女は一変、特に話せることはないと態度を変えた。
「どうして……」
答えを求めたが、初めから分かりきった愚問であった。
だが、末(す)べてわかっているような、賢い風な奴を装うことはできなかった。
「だって私、看護師ですから。 無闇に患者さんのプライベートを私が勝手に誰かに話すことはできない。患者さんの
後に付け加えられたその一文、どこか強調された二つの単語。
彼女は態とらしく人差し指を口の前へと持っていく。
「あ、あの、呼び出し来てもらっているところ申し訳ないんですが急に用事を思い出して」
「大丈夫ですよ、いってらっしゃい」
姫野に暇をもらい、直に行動に移った。
「ご足労いただいてありがとうございました! 失礼します!」
姫野には改めてお礼を言い、上履きを履き替えてそのまま自室を後にする。
「鈴華ちゃんはいつもこの時間は中庭よ〜」
「はーい」
僕は振り向くこともなく、返事だけをして、飛び出した。
「頑張れ、男の子」
姫野が遠ざかっていく直人の背中に合わせ、拳を前に突き出す。
小さく、やがて角を曲がり見えなくなった背中を見送ると、姫野は一人、自分の仕事へと戻っていった。
──中庭──
病院の中庭、そこには芝を通る遊歩道に所々花壇があり、花壇には今の季節、ひまわりが咲いている。
3本の木が植えられていて、それぞれ傍にはベンチやテーブルが設けられ、読書やお茶をするにはとても良い環境だ。
鈴華は、そんな中庭の一つのベンチに座ってそこから見えるひまわりを眺めていた。
「どうしたの直人? そんなに息を切らして」
「いや……その……体力をつけようと久しぶりに走ってみたらこのザマで……ごめん」
「いいよ、気にしなくて」
本当は彼女に会うために途中から走ってきたのに。
情けない姿を見せたくなかったのか、さっきまでの勢いを忘れて僕は取り繕った。
優しく微笑みかけてくれた鈴華に誘われて、隣に座る。
「……あのさ、そういえば話は変わるけど鈴華さ……最近何かあった?」
吹き抜けるそよ風に合わせるように治ってきた呼吸を整え、単刀直入に彼女に尋ねる。
風情もへったくれもない。
鈴華も神妙な面持ちで黙り込んでしまった。
「変なこと言ったかな。何も無いならいいんだ」
「ううん……変に気を使って貰うより、よっぽど嬉しいもん」
彼女は少し口元を緩めて、僕の愚行を許してくれた。
「あーあ、直人にもちゃんと話そうと思ってたのに……先を越されちゃった」
顔を上げ、足を揺らしながら鈴華が呟く。
彼女の横顔は、寂しげで、しかしとても美しかった。
それから、僕は彼女がここ最近様子のおかしかった理由を聞いた。
病気の悪化、必要な手術、五分五分の成功確率──。
彼女は根掘り葉掘り何も隠すことなく、全てを打ち明けてくれた。
「デリカシーもなく、僕は勝手なんだなぁ……」
「気づいていてくれて、私は嬉しかった」
鈴華から全てを聞き、あろうことか消沈してしまう。
そんな僕を慰める様に、鈴華は僕の手を握った。
これじゃあ立場が逆だ。
「それに私は今まで怖かった」
いつも太陽の方を向いている向日葵のような彼女の顔に、影が差す。
「せっかく直人と仲良くなって、とても楽しい時間を作ることもできる様になったのに。また一人、ぼっちになっちゃうんじゃないかって。もう……誰も届かないところに逝ってしまうかもしれないって」
震えに崩れ逝く言葉の連立。
「もし、もう家族や直人に会えなくなったら……って」
涙が頬を伝った。
「僕もやっぱり、手術は怖いよ」
小さい頃から病弱な僕は、過去に2回ほど手術も受けたことがある。
「その時は不安ばっかりだったし、麻酔をかけられる時は体が震えてたかも」
やはりそれはとても逸脱した恐怖で、子供ながらに謎の自尊心と戦っていた。
「でも目が覚めてみるとあっという間で、呆気なくて」
その後の苦痛といえば、麻酔や鎮痛剤が切れた後の傷口の痛みだった。
「その時、思ったんだ。僕たちは、運命とは違う渦の中にいるって」
「……それって?」
抽象的な表現だ。
迷走しかけているのは、わかっている。
だが、彼女のことを思うと、口が止まらない……僕が、苦しくなる。
「それまで僕は運命という理不尽で自在が毀損されることを呪っていた。裕福な家に生まれる者もいれば、貧しい家に生まれる者もいるし、健康な体を持って生まれるものもいれば、虚弱でひ弱な僕みたいに生まれてくる人もいるからね」
自傷ぎみに、僕は嘲ってみせる。
「でもふと目を覚ました時、僕はそこで ”死”という運命のルートを先へ蹴り飛ばした。運命は所詮、限りなく限定的に捉えれば結果そのものなのだと」
それは、見えない力にすがる自力無い者の悪あがきなのかもしれない。
「だから会えたっていう結果さえ信じていればきっと、運命や輪廻の輪を超えてでもまた、出会えるよ」
結局は、そこに帰結してしまう。
神様論や運命論、哲学における二元論の様に、解決ではなく気休めへ。
「もしこの体で会えなくても、もう一度、いつかどこかで再会できるよ。そう、信じていれば」
絶対成功するなんて中途半端なことは言えなかった。
この世は事実で成り立たち、後から過程が付いてくる。
この時の僕は、後ろ向きだった。
でも、頑張ってよかったって、今でも思っている。
「も、もちろん。手術が成功することを祈った上で、だけど」
ははッ、僕は何を偉そうに言ってるのだろうか。
……どうしても、僕は彼女と少し先の未来の話をしたかった。
それとも、もっともっと先の話をすれば、結果は変わったのだろうか。
例えば、若くして死んでしまったが、異世界に転生した話だとか。
「直人は、私とまた会えるってずっと信じていてくれる?」
震えなく、しかしどこか不安げな声で鈴鹿は僕に問うた。
「僕はそれを信じることしかできないと思う」
気の利いた世辞も言えない。
「……約束……再会の、約束を」
垂る雫みたいに溢れ落ちる小さな呟きと共に、頬を真っ赤に染めた鈴華の右手の小指に誘われる。
「うん、約束」
僕は彼女の細い指に、自分の小指を絡ませる。
「これはまた、約束の後に」
頬に感じる柔らかい感触。
するりと解けた小指で彼女は僕の唇に触れる。
僕は何が起きたのか理解できず、放心していた。
そして、彼女の小指が僕の小指にもう一度絡ませられた時に、理解が追いついた。
一気に顔が熱くなる。
全身で感じるほど鼓動が激しくなるのに、胸はキュッと締め付けられて痛い。
「それじゃあいつもの場所に行こう! 私、バイオリン取ってくる!」
三度(みたび)、こちらに微笑みかける鈴華の表情には少しの曇りもなく、後ろで咲き誇るひまわりを霞ませるほど、澄み切って綺麗だった。
それから1週間後、鈴華は手術を受けた。
僕はその日彼女の病室に行き、手術前最後の会話をした。
その後、病室には話に聞いていたバイオリン奏者だという彼女のお姉さんや親御さんがやってきて、僕は軽く紹介された後、病室を退出した。
あれから先は、家族の時間だった。
……手術は失敗、彼女はその後再会することなく逝ってしまった。
僅か一ヶ月の夏の月、僕に友情を教えてくれた彼女。
再び静かな生活が訪れ、社会という常識からかけ離れていく日々。
だけど彼女とのあの約束だけは、後悔していなかった。
家族との会話が少しずつ増えていった。
色あせていた夢に灯火が宿り希望が帰ってきた。
おかげで最後には、僅かながらに小さな幸せを噛み締める事ができた。
もし輪廻があるのなら、彼女は生まれ変われているのだろうか。
他人より優れた能力を持ったことでどこか有頂天だった。
驕っていた。
迂闊だった。
精神も体に合わせ、どこか責任を手放していた節もある。
それがベストだと思った。
しかし僕もようやく、最低限の自活できる知識は得た。
幸いこの世界にはダンジョンもある。
僕がスクールに特別入学したいと言ったあの日、精霊を得られなかったショックと魔法という夢の力への渇望で暴走してしまった。
今でも時々それを思い出しては少し赤面する。
そして一方で、それからは周りに流される様に持ち上げられてみたりもした。
僕は今、自由に走り、自由に使える新たな力を手に入れた。
力を得るために動くことを恥だと思うな。
拒否し自分の意思を示すこともしていこう。
あのとき鈴華を想って動いた自分を思い出せ。
自覚しろ。
自分にはあの時と違って、走り続けることができるのだと。
そして、人を頼ろう。
情けない姿を見せない努力も最大限にして。
物語を進めることを躊躇うな。
力を得なければならない。
もう一歩、積極的になってみよう。
……自分を守るために。
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