第4話 Tangent point


 カリナとの軋轢もなくなり、更に5年が経った。

 6歳の誕生日を迎えてから初めて迎える春、今日は洗礼式の日だ。

 カリナも今では立派な弟想いな良い姉に……なった。 


「ほら! 手伝ってあげるから逃げないでおとなしくしていなさい!」

「やめてよお姉ちゃん!自分で着替えられる!」


 目尻を下げ、ニヤニヤし緩みきっただらしのない顔で追いかけてくる。

 カリナから逃げるため、アイナから渡されていた白い祭服を持って自分の部屋に立てこもった。


 祭服には魔糸を織り込んであり、魔力属性によって染色が変わる。

 洗礼式では、自分が契約したい精霊の属性の色と同じ色の魔糸が織り込まれた祭服を着ることで、目的の属性の精霊を呼びやすくなる。

 ただし、この話には実証がなく、願掛けのようなものらしい。


「せっかくの祭服なんだからお姉ちゃんがきちんと着付けしてあげる! だからこのドアを開けなさい!」

「大丈夫! 僕だって成長してるんだから、お姉ちゃんの手伝いがなくても自分でできるの!」


 着付けの手伝いに立候補したカリナを全力で拒む。

 扉の向こうからは「はぁ、強がるリアムも可愛いわ」なんて声が聞こえてくる。

 ここまでくると野暮さを通り越して呆れてくる。

 このままカリナとドアノブのせめぎ合いを続けていると時間に間に合わなくなってしまうので「恥ずかしがらなくて良いからお姉ちゃんに全部任せなさい!」なんてドアを叩く音とともに聞こえてくる声を無視して、黙々と祭服に着替える。


「よく似合ってる」


 祭服姿を褒めながら、アイナが最終チェックをしてくれる。

 後ろでは、着付けをさせてもらえなかったとカリナがむくれている。


「そろそろ行こうぜー!」

「じゃあ、行こっか」

「はーい」


 外は晴天で春の風が通り抜ける。

 暖かな光が降り注いでいるため、草原に出かければのんびり昼寝をしたくなるような陽気だ。

 精霊教の慣習で執り行われる洗礼式は、子供が6歳になって初めて迎える春か秋に、この異世界の星に生まれ落ちた子供たちを祝福し、10柱の精霊王達に祈りを捧げて中位、下位精霊と契約を交わす儀式である。


 精霊については、アイナを質問攻めにして予習してきたからバッチリだ。


ーーーー

 精霊王:司る属性全ての精霊の王


 高位精霊:人とも完璧な意思疎通が可能な高位の精霊


 中位精霊:鳴き声や仕草で感情表現可能な形を得た精霊


 下位精霊:形は簡単に言って光の塊。大きくなったり点滅したりして感情表現をする


ーーーー


 洗礼式で契約をした精霊とは、生涯を相棒パートナーとして共に過ごす。

 偶に、初めから中位精霊と契約できる人もいるようだが、殆どの子供たちは、洗礼式で下位の精霊と契約を行い、長い時間を共有して過ごしているうちに下位精霊から中位精霊に位があがるのが一般的とされる。 

 一方で、高位精霊ともなると契約者が得られる恩恵は中位精霊のソレより遥かに大きくなる。

 中位精霊の中でも限られた精霊が久しい時を経て高位精霊に位を上げる中、人種の生涯において契約した中位精霊が高位精霊に位を上げることを望むのは現実的ではない。

 そのため、高位の精霊と契約を果たすことを志すのであれば、精霊に気に入られて直接契約を結ぶ必要がある。

 直接契約は1代限りで終わるものもあれば、代々契約した者の一族に引き継ぐ世襲タイプがある。

 アウストラリアの王族と一部貴族は高位精霊と代々の契約を結んでいて、契約の親として主契約を結ぶものを家の当主として添える形式をとる。

 主契約者以外の一族は契約の”子”として血の繋がりを通じた恩恵を受けて、眷属魔法というこれまた特殊な精霊魔法を操るらしい。

 であるから、高位の精霊と契約をしている一族とそうでない人々との間には一線が引かれ、幼い頃から強い精霊魔法を操ることのできる彼らは、総じて通常魔法の扱いにも長けていると聞く。


相棒あいぼうか〜。良い響きだな〜』


 高位だ中位下位だ属性だ世襲だなどと、実のところそんなことはどうだっていい。

 僕は、契約精霊は”相棒”という言葉の響きに心惹かれていた。

 僕の祭服には無属性の白い魔糸が織り込んである。

 無属性は純粋な魔力に近く、どの属性にも特化しない。

 一蓮托生の相棒を得られるということは限りなく魅力的なことで、どんな属性の精霊でも契約してくれるだけで正直満足だ。


「……」


 これから始まる相棒との出会いの儀式にウキウキしているのに、まだむくれ不貞腐れているカリナの視線が後ろから背中に突き刺さる。


「お姉ちゃんの精霊さん、また見たいな〜」

 

 カリナの表情がパァッと明るくなる。

 満更でもない。


「そこまでいうならしょうがない。おいで、フェアーリル」


 右腕を前に差し出し精霊を呼ぶ。


 カリナの差し出した右手の人差し指には一匹の青く美しい蝶が止まっていた。

 現れた蝶はカリナの瞳の色と同じ色の綺麗な青い羽をゆっくり上下させて指の上で大人しくしている。


「フェアーリルは本当に綺麗だな〜」

「そうでしょそうでしょ」


 精霊を褒めると、カリナも自分が褒められたみたいに上機嫌になっていく。

 本当に綺麗な青の羽だ。

 だから、魅了される様に吸い込まれてフェアーリルに近づいてしまった。


「あっ……」 


 指の上に止まっていたフェアーリルが飛び立ち、逃げるようにカリナの影に隠れてしまった。

 ウィルが「あちゃー」と、カリナとアイナも心配するように僕の方を見ていた。

 それからフェアーリルは契約者のカリナの指示も聞かず、美しい青い羽を僕に披露してはくれない。


「どうして僕が近づくとみんな逃げちゃうんだろう……ハァ……」


 こうなることはわかっていたはずで、自業自得なのだがやはり落ち込んでしまう。

 精霊に近づこうとすると精霊が逃げて行ってしまうのだ。

 これはフェアーリルだけに限られた話ではなく、ウィルとアイナの契約する精霊も同様で、全員逃げてしまって僕に近づこうとはしない。

 ちなみに、ウィルの契約精霊はモグラのような土の中位精霊のモグリ、アイナの契約精霊はフェアリータイプの火の中位精霊バルサだ。


「だ、大丈夫、リアム。今日はあなたと一緒にいてくれる精霊と必ず契約できる!」

「そう、大丈夫よ。あなたは私たちの子供でカリナの弟でもあるんだから。ね、ウィル」

「ああ、大丈夫だ。ほら、胸は張っていてなんぼのもんだ。そんなんじゃお前の相棒になる精霊に笑われるぞ」


 そうだよ。

 僕もやっと精霊と契約して一緒に過ごせるんだ。

 これから苦楽を共にする精霊に、最初からこんな姿を見せていたらダメだ……大丈夫……。


「みんなの洗礼式の時はどんな色の祭服だったの?」

「あぁー、俺は茶色で……」

「私は教会で借りた祭服だったから真っ白」

「私は青。パパが氷属性が得意で、ママも水属性の魔法が使えたから」


 それから教会までの道中は、みんなが洗礼式を受けたときの話をして楽しく過ごした。




──正光教教会、精霊教洗礼式会場──


 教会は、カトリック式にも似た様式の建物だった。

 ウィルとアイナは、門の前の受付で洗礼式の出席確認をしている。

 僕とカリナはというと、これから行われる洗礼式について会話を続けていた。


「精霊契約の時の感覚ってどんななの?」

「だからそれは内緒だって。精霊と魔力が繋がる感覚はその人にとって大切な思い出となるもの。だからリアムも自分で体験して知らないとね」

「チェー」

「不貞腐れるリアムも可愛い!」


 緊張を解そうと洗礼式について一度はもう訊いたような質問だと分かっていながらも、もう一度投げかけるが、望んだ答えが返ってこず、チョッチ不貞腐れる。

 なんでもかんでもこちらを肯定するような反応を見せるカリナの対応にも最近慣れつつある……慣れていいのだろうか?


「出席確認が終わったぞ。それにもうすぐ集合のようだから、この首飾りをかけてリアムは門のところに行こうな」

「私たちは洗礼式の間、門から内側には入れないから、リアムはみんなと仲良く良い子で頑張るのよ」

「うん!」


 洗礼式に出席する証の首飾りを受け取り首にかけると、ウィルとアイナが一世一代の大勝負に向かう息子を応援するため気合を入れて送り出してくれる。


「こんにちは」

「こんにちは」


 家族に送り出されて、集合場所でその時を何気に緊張して待っていた僕に、見知らぬ女の子が話しかけてきた。


「あなた、リアム?」

「うん、そうだけど……」

「私はレイア。よろしく」


 話しかけてきたのは白百合のように可愛い女の子だった。

 ふわっとした白く長い髪に、くりっとした緑色の碧眼の女の子。


『こんな女の子にあったことあったかな? それに僕の名前を知ってるのはどうしてだ?』


 突然話しかけられた上に、僕の名前を知っているレイアに正直困惑していた。


「あっち……」


 レイアはこちらの心情を察するように、指差しでそちらを見るよう促す。


「今はリアムの家族に隠れてチラッとしか見えないけど、私のパパとママとおばあちゃんがリアムのパパとママと知り合いなの」


 レイアの指差した方向にいたのは僕の家族だった。

 ウィルたちの影に隠れて姿ははっきりとは確認できないが、言葉の通り、知らない誰かと話込んでいるようだった。


「それにうちは薬屋さんをしててね、リアムのパパがよくうちに魔薬液(ポーション)を買いに来るの。その時にね、おじさんからあなたのことを何度か聞いて知ってたの」


 ウィルはダンジョンに行って冒険者を生業としているから、なるほど、ポーションは必要だ。


「私も初めてだから……大丈夫」


 少し離れたところにいるウィルをジッと見る僕の手に、レイアが触れる。


「おっ?」


 こちらの視線に気づいたウィルが「うまくやれよ!」とでも言うようにサムズアップした。

 僕とレイアはそんなウィルを見て苦笑いする。


「……えっ?」


 苦い笑いも束の間、ウィルたちの影から出てきた赤い髪の女の人とそれからカリナにウィルが連行されていった。

 そして、路地裏へと連行されて再び共に2人と一緒に帰ってきたウィルは、ボロ雑巾のように、それはもう服のあちこちを引き裂かれてボロボロになって戻ってきた。

 目も当てられないウィルから互いに顔をそらすと、僕とレイアの目と目がを合う。


「ッフフ……」


 レイアが少し息を漏らしすようにして笑いを堪える。


「ッフフフ……」


 僕もつられて笑いを堪える。


「あはははッ ──!」


 遂に我慢していた二人の笑いが決壊する。

 お腹を抱えるように笑う僕とレイアは、その後、教会の係員に静かにするように言われて笑いを抑える。

 何とか笑いを抑えた。

 しかし、こちらも何とか笑いを抑えたレイアと再び目が合ってしまい、フフッともう一度2人で係員に気づかれない程度に軽く笑い合った。


「全員確認……欠員なし」


 係員に点呼を取られ、順番に整列してレイアと別れた。

 改めて、いよいよ始まる洗礼式に胸を膨らませている。


「すーごい!」

「うん、静かそうでいい……」


 扉が開くと、周りの声につられて言葉を発したはずが、明らかに一人だけズレた感想を口走ってしまう。

 教会の内装は質素ながらも整然とした装飾が施されており、教壇の後ろには恐らく正光教が崇める主神、善神と呼ばれるヴェリタスを象ったモノであろう像があった。

 中央の窓には彩が豊なステンドグラスがはめ込まれていて、差し込む太陽の光が室内の神聖さをより醸し出している。

 質実剛健といった感じだ。


「静粛に……」


 扉が閉められ子供たち全員が教会の中に入り整列すると、部屋の端に並んでいた聖職者らしき人物等の一人が一歩前に出て、椅子や壁に染みいる淡々とした声質で子供たちを鎮める。

 また、正面の教壇の側には、教会の司祭らしき人が教典を持って控えていた。


「これから司祭であるアストル様が洗礼式を行われます。あなた達は静かにアストル様のお話に耳を傾けるようよろしくお願いします」


 静粛聖職者が、一歩後ろに退き元の位置に戻る。


 教典を抱えるアストルと呼ばれた司祭様は、ゆったりと時間を使い、滑らかに精錬された動きで教壇に立ち、話し始めた。


「星に生まれ落ちた我らが愛しき幼子達よ。其方らも神々の恵みを受け、精霊のご加護を賜る時が来た。其方たちはまだ幼い。これから力の種を授かる其方らは、力をどのように使い、どのように成長させていくかを人生を通して学ばなければならない。そして、驕ってはいけない。頼りきってはいけない。精霊達は其方らの分身。時には頼り、時には助け合える良き隣人でなければならない ──」


 前置きが続く。

 6歳の子供がこのあたりの話を理解しているかは疑問だ。

 事実、周りの子供達は眠そうだったりウズウズしたりしている。


 しかし長い話にも終わりはある。

 この後には人生で数回あるかないか程の貴重で素晴らしい機会が待っている。


「精霊が自分の手元にきたら魔力を流してくれるので、その魔力を受け入れるように。魔力を受け入れると精霊とつながった感覚を得ることができます。それで契約は完了です」


 ご褒美の精霊契約を心待ちにしていると、精霊契約における注意喚起も終わりを迎えようとしていた。

 アストルが、下檀の僕たちを見渡して祝詞を唱え始めるための最終確認を終える。


「では── どうか主神ヴェリタスの加護とこの土地の神ケレステール、そして精霊王達による導きがそなたらと共にあらんことを。幾久しく、精霊のご加護が悠久の友として其方らを守るよう ──」


 祝詞が終わりに近づく。

 あとは呪文を唱えるだけだ。


精霊イスプリートとの契約コントラクト


 呪文が唱えられると、天井に大きな魔法陣が浮かび上がり、祝福の光と共に様々な色をした光の球が降り注ぐ。


「やった」

「こ、こんにちは……」

「んー……パクン、もぐもぐ……?──ハックチュン!」


 上から降り注ぐ光の球達はそれぞれがまるで昔から知っている旧友の元へ向かうように重複することなく契約者の元へと飛んでいく。

 精霊達は契約をすると、下位精霊の場合は光の球のままで、中位精霊の場合、契約した瞬間に姿を変える。




 ……ここで、事態は急変する。


「あれ?」


 上を見上げ今か今かと待ち続けていた。

 僕は異変に困惑する。

 優しく降り注ぐ光が僕の頭上より少し高い位置に来ると、その光がまるで傘でもあるかのように避けていくのだ。


「これって……」

「お魚さんだー!」

「いいなー!」


 新しい精霊と契約できた他の子供達は、嬉しさで僕に起こっている異変など気づきもしない。


「いったいどうしたというのでしょう……」


 皆を見渡せる位置にいたアストルは、どうやら檀下の異変に気づいたようだ。

 祝福の光が避け、精霊と契約できていない僕を目を丸くして見ていた。

 アストルの立ち位置から見ると、それはもう一目瞭然に僕の頭上だけ祝福の光が避けているのだからそれは驚くだろう。


「……終わり?」


 降り注ぐ祝福の光が消え、皆が精霊との契約を終えた。

 ……僕は、放心していた。

 絶対にできると太鼓判を押されていた精霊との契約ができなかった。


「そ、そんな馬鹿な!」


 アストルの大声にその場にいた誰もが驚いて注目する。

 注目を受けたアストルはそのまま僕の方に小走りで近づき、肩を掴み顔を覗き込む。


「君! 精霊との契約はできたのか!?」


 目の前で大声で問いかけるアストルの言葉に虚を突かれてビクッと肩を震わせた後、力なく首を横に振る。


「精霊と契約できなかったの?」

「なんでー?」


 周りがざわざわと騒がしくなり始めて、好奇の声が所々から新しい注目の的に向かって……無邪気さが傷心に刺さる。


「そ、そうか……すまない」


 得たかった回答を得たアストルは、周囲の好奇と疑惑の視線にようやく気付いたのか、申し訳ないことをしたと僕の肩から手を離した後に重い足取りで教壇に戻ると、咳払いをして再び自分に注目を集める。


「祝福を受けし我らが星の子供達よ。其方らが敬虔なる教徒として、正しき道を精霊達と共に歩まんことを願う。さて、これにより洗礼式は終了だ。扉の前で洗礼式を終えた証を配布しているので、出席の首飾りとそれを交換して受け取るように。証を受け取ったら、怪我のなきよう落ち着きを持ってご家族の元へと戻りなさい」


 最後の祝辞が述べられて、洗礼式は閉式する。

 さっきまでの出来事を忘れてしまったかのように、精霊達との契約が終わった子供達は次々に家族に契約できたことを報告するべく、教会の外へ駆けていく。

 洗礼式の前から一緒に話をしていたレイアも、周囲の目に晒された僕の方を心配そうに見ていたが、今は話しかけない方が良いと判断したのか彼女は後ろ髪引かれるようにその場を後にした。


「……どうして」


 リアム以外の子供達の姿がホールから消える。


「君、今までに高位の精霊と直接契約をしたことは?」


 そんな記憶はない。

 アストルの質問に再び首を横に振る。


「そうか……高位の精霊と契約をしていれば精霊契約ができないことにも納得がいくが……しかし精霊達の祝福の光までもが彼を避けたというのはどういうことだ?」


 アストルは頭を捻り、契約失敗の原因について考えてくれている。


「すまない。このようなことは初めてでな。おそらく前例がない」


 2、3分ほど自問自答しながらウンウン唸っていたが、それでも精霊契約できなかった原因について結論は出なかったようだ。


「一応、こちらでも調べてみるので何かわかったら知らせよう。今日は残念な結果になったが、お家の人も心配しているだろうから、もうお帰りなさい」


 アストルは僕の首からゆっくり首飾りをとると、代わりに洗礼式を終えた証を手渡してくれる。


「はい、ありがとうございます。失礼します」


 アストル司祭はいい人らしい。

 子供相手でも傲慢にならない。

 明らかに落ち込んでいる僕に優しく接し、今後の対応まで考えてくれている。

 僕はあまりのショックに視線を合わせようと屈んでくれたアストルに目を合わせることなく、返答をしてしまった。

 言葉通りの失礼をはたらいた僕に対し、よほどショックだったのだろうと帰結したアストルは教会の扉を開けてくれる。


「出てきた!」

「何かあったのかと……よかった……!」

「リアムー!」


 外に出ると、門の近くで僕のことを待ってくれている家族の姿が映る。

 ウィル、アイナ、カリナが皆、笑顔でこちらを見ている。

 その笑顔を見ると、とても口では言い表せない感情が押し寄せてきて泣いてしまいそうになった。

 笑顔で出迎えてくれる家族に泣き顔は見せまいと、一度下を見て目に溜まった涙を拭き取り笑顔を浮かべる。


「なにか……あったみたいだ」


 だが、袖で涙を拭ったことがわかってしまったのだろう。

 皆、今は表情を変えて心配そうに僕を見ている。

 そして、堪えるゆっくりとした足取りで家族の元へと辿り着くと、アイナがギュッと僕を抱きしめた。


「けいやく……できなかった!」

「そうなの……」


 日が落ちてもずっと離してもらえなさそうなほど、ギュッと抱きしめられると、中身の年甲斐もなく、外見の年相応に泣いてしまった。


「残念だったね……でも私たちがいる……大丈夫」


 抱きしめるアイナの温かさは僕の悲しみを優しく包み込み、頬をくすぐる春の風は、僕の涙を遠くへと運んでくれた。

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