第3話 カリナの不安
カリナと初めて顔を合わせてから半年、立冬を過ぎ、朝ごとに冷気が加わるこの頃、僕は1歳の誕生日を迎えた。
離乳食を食べる機会も徐々に増えて、固形物も食べれるようになっていた。
心配していた嚥下もしっかりできて一安心だ。
それに食卓につく回数も増えたため、カリナと顔を合わせる機会も多くなっていた。
しかし、カリナは未だに僕が着いた食卓で会話をすることはなかった。
そうそう、それから最近は簡単な単語を発することができるようになっていた。
「ママ」や「パパ」という同音の続く本当に簡単な単語だけれど。
ハイハイ、つかまり立ちもできるようになり、歩く練習も最近はしている。
部屋には空気を温める魔道具があるため、この季節でも割と快適だ。
魔道具には自分の魔力を流すか、魔力を蓄積した魔石をセットすることで、魔力が切れるまで起動する。
快適な部屋で過ごしていると、アイナが僕を抱き上げこう告げる。
「今日はあなたの初めての誕生日ね。しっかりお祝いしないとね」
よしよしと嬉しそうに体を上下させて誕生祝いの旨を伝えると、アイナは僕を床に降ろしてキッチンの方に向かっていく。
アイナを追いかけるように、部屋を出てリビングへ向かう。
まだ七転び八起きといった足取りだが、我ながら悪くない成長速度だと感じ入る。
リビングでは薪をくべて暖炉として用いているため、視覚からも暖かさを感じることができる。
日がな1日、赤ちゃんやってると、ぼーっと揺れる火を眺めることが楽しみだったりする。
「シシッ」
……今、火の中から妙な笑い声が聞こえた。
「リアム? もうここまで歩いてきたの? えらいえらい」
リビングにいる僕に気づいて、頭を撫でてくれるアイナの手は、いつも通り温かかった。
「ただいま……」
玄関の扉が開いて閉じる音。
カリナが帰ってきたようだ。
「おかえりなさい。ちょうどよかった。母さん今から今日の夕食の買い出しに行こうと思っていたの。だからリアムとお留守番をしていてくれる?」
アイナからのお留守番のお願いに、実刑判決でも受けたように、カリナの顔からサァーっと血の気が引く。
「えっ、でも」
「じゃあ、よろしくね。いってきまーす」
戸惑いの中、なんとか言い訳を考えるように右往左往、しかし、アイナは僅かな甘えさえも言わせないような早業でカゴを抱え玄関の方に向かうと買い物へと出かけっていった。
パキッと薪の折れる音が澄み渡る。
気まずい雰囲気がリビングを包む。
カリナの俯いた視界を避けるように、暖炉と少し離して敷かれている絨毯の上にちょこんと座り、再び暖炉の火を眺める。
また、パチパキッ──と。
アイナが買い物に出て5分ほど時が流れただろうか。
『綺麗な火だなー』
現実逃避を交えつつ、オレンジに揺らめく火を僕はまだじっと見つめていた。
しかし参った。
このまま火を見続けると失明するかもしれない。
目がチカチカしてきた。
あれからカリナはリビングと廊下を繋ぐ扉の間に立ったまま一歩も動いていない。
『やっぱり気まずい。逃げるか?』
この状況を脱しようと頭の中で試行錯誤する。
「ン……」
すると、カリナの方が先に動きを見せる。
『しまった!先に動かれてしまった!』などと先手を取られあたふたしている内に、カリナは僕の隣に腰を落とし、膝を抱えて座った。
驚いた。
今までカリナから近づいてくることはなかった。
それどころかいつも避けられていて、ショックを受けていたくらいだった。
再び静寂が場を包み込む。
そして、気まずさagain。
「その……」
こちらの内心を察してか、口籠もり、溢れる言葉は曖昧なものだった。
だが、ようやく決心がついたのか、カリナは深めに息を吸い込んで口を開く。
「こ、こんにちは」
面食らった。
いきなり挨拶をされたこともそうだが、カリナが僕に話かけるなんて。
「……いきなり話しかけられても困るよね。赤ちゃんだからそんなに喋れないし、わかんないだろうし」
碌に話しかけられたこともないし、アイナが出かけてから少しの間一緒にいたのにいきなり挨拶されたらそれはビックリする。
黙りこくる以外に、どんな反応をしたらいいかもわからない。
「……でも、私の話を聞いてくれると嬉しい」
均衡を、カリナがまた崩した。
いけない、と思い、吊られて暖炉の炎から目を離した。
カリナの方に頭を傾けただけだったが、カリナは少し驚いたように目を開いて一瞥する。
しかし、視線はすぐに暖炉の火の方に戻った。
「あ……ありがと」
一呼吸を置き、話を続け始める。
「その……ね、突然だけど、私……あなたのお姉ちゃんじゃないの」
薪の水気が跳ねた音にビクつくように、体が固まった。
「あなたはお父さんとお母さんの子供だけど、わたしは……私の本当のパパとママは、いなくなっちゃった」
出会ってから一年近くが経つけど、なんと声をかければいいのだろう。
「3年前にパパとママが亡くなった時、お母さんの妹だったあなたのお母さんがわたしを引き取ってくれた」
アイナの姉の子供、ということは厳密に言えば一応血の繋がりはあって、家系図上は
「今のお父さんとお母さんは好きよ。パパとママの代わりに面倒を見てくれて、私と一緒で、パパとママが好きだったんだってわかる」
内容が重い。
まだ7歳の少女が赤ん坊に独白するような話ではない。
……話し相手が赤ん坊だからこそ、自分の心境を語ってくれているのかもしれない。
「でも、あなたが生まれた。……お父さんとお母さんの本当の子供のあなたが」
話が見えてきた。
新しくできた家族とまた離れなくてはいけないとなると、カリナに恐ろしさが付き纏うのも同然だ。
今までの行動にも納得がいく。
故意に避けたり話さなかったり、カリナの態度を両親が許していたことも、気遣ってのことだろう。
「お父さんとお母さんもあなたの方が可愛いと思ってる。わたしを愛してるって口では言ってくれるけど、わたしはいらない子だって思っているかもしれない」
カリナのまぶたに涙が溜まるのが見て取れる。
私は今日、事故に合わない。
そのくらい、一方的な言葉に保証はない。
「あなたを見るたびに不安が押し寄せてきて、パパとママに会いたい寂しさを感じる……」
溜めていた涙が大粒となってぽろぽろと落ち始めた。
「だから……だからッ!わたし……どうしていいのか分からない……わからない゛の゛!」
カリナはウィルとアイナにも言えなかった。
彼女が求める"愛してる"を言ってくれる人に、言えるはずもなかった行き場のない悩みの決壊に溺れながらあてのない助けを求めて悲痛の叫びをあげている。
『僕が今、彼女にできることは……』
膝を抱え嗚咽するカリナに這い寄る。
這い寄ってきた僕に気づいたカリナは、クシャッっとした顔でこちらを見る。
歯を食いしばり涙を止めようとしている彼女へ、僕は今、発することのできる音の羅列で構成される言葉をかけた。
「ねぇねぇ」
精一杯に絞り出した言葉だった。
考えうる限り、これ以上にできることはなかった。
嘆くカリナに、"家族"としての精一杯の言葉はこれしかなかった。
「うぅっ……ひっぐ」
嗚咽の箍(タガ)が徐々に溶けていく。
「うわぁぁぁん」
箍の外れたカリナは、僕を抱きかかえながら声をあげて号泣した。
『よかった。とりあえずなんとかなった』
抱きしめてくるカリナの腕の力は、赤ん坊の僕にとってはちょっと強かったけど──。
『それだけ溜め込んでいて辛かったんだ』
彼女が泣き止むまで黙って抱きしめられることにした。
── その日の夜──
「「「リアム、お誕生日おめでとう!!!」」」
食卓の上にはいつもより豪華な食事が並んでいる。
香草の香り引き立つ大きな肉の丸焼きに、彩鮮やかな野菜のサラダ、高級品に分類される砂糖の使われた贅沢なフルーツケーキもある。
さて、当然だが、僕はこれらの豪華な料理は食べられない。
僕の食事はシチューだ。
他の3人のシチューとはちょっと味付けが薄くされており、体を気遣って作られた一品で味覚もちょうど程よい。
最近は手でスプーンを掴めるようになってきて、自分で食べれるようになってきた。
今日も自分でシチューを食べようとスプーンを手に取ろうとすると、横から手が伸びてきて先にスプーンを取られた。
「はい、ねぇねぇが食べさせてあげますからねー。あーん」
スプーン泥棒の犯人はカリナだった。
スプーンを盗るとすぐにシチューをスプーンに乗せ口の前に持ってくる。
ウィルは目を点にして、僕にシチューを食べさせようとするカリナに驚いている。
「何かあったのか?」
「それがね、夕方買い物から帰ったら、カリナがリアムにべったりだったの。なにがあったのかな?」
「へー、でもよかった。これで心配事が減ったよ」
「ウィル、フォークが止まってる。ほら、マレーネにお願いして分けてもらった香草を使ったお肉、自信作なんだから食べて食べて」
「ありがとう。カリナも、食べさせてばかりじゃなくて、自分の分もちゃんと食べるんだぞ」
「はーい」
ウィルとアイナは姉弟仲良く食事を楽しむ様子を嬉しそうに見守っている。
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