第22話 特殊訓練

「よーし、準備はいいか?」

 屋外訓練場にて、ヘンネが動きやすい服装で立っている。その正面には真詩義が準備をしており、周囲にはヴァリアント部隊の面々が集まっていた。そういった準備を手伝う役目であるエリゼの姿がなかった。

 本日は王宮にて戦争が起こることを想定しての会議が開かれることとなっており、為政者以外の視点からの意見も欲しいとのことで、ミカルナ王女と親密な関係にあるエリゼも参加することになったのである。


「あの、ヘンネさん」

「隊長と呼べ。んで、どうした?」

 準備を終えた真詩義は立ち上がると、自分のために用意された新品の訓練靴を脱いだ。

「靴って、履かなくてもいいですか?」

 屋外訓練場の下は、少し粗めの石で作られている。裸足で歩くのが憚られるような場所にも関わらず、真詩義は平然と靴を脱ぎ始めた。

「別に構わないが、足の裏がどうなっても知らねぇぞ?」

「大丈夫です。慣れてますから」

 真詩義は何度かその場でジャンプをして、地面に対して踵落としやストンピングをして見せる。それで表情一つ変えないならば、心配はないだろう。

「そんじゃ、まずは私の顔面に蹴りを入れてみな」

「え」

 組手でもするのかと思っていたが、行動を指示された。内容は難しいことではないが、いきなり年上の、しかも女性の顔面に蹴りを入れることに少しだけ抵抗を感じた。

「えっと、いいんですか?」

「腐っても隊長だ。その程度は防げる。それに今日の第一目的は訓練じゃねぇ。マシギの力を測るのが最優先事項だ」

 そう言うと、ヘンネは構えていない状態から5mほどの距離をたった二歩で詰め、真詩義の頭に軽くチョップを当てる。

「もし手を抜くようなら、飯も抜き………って飯抜きには慣れてるんだったな」

「あ、あはは……」

「とにかく始めるぞ」

 ヘンネは再び真詩義との距離を取り、今度は戦闘用の構えに入った。それを開始の合図と判断した真詩義は、まっすぐヘンネに突っ込んでいき、上段回し蹴りを放った。

「っ!?」

 予め行動を制限していたおかげで、なんとか真詩義の蹴りを止めることに成功したヘンネであるが、予想外の威力に足を広げて踏ん張った。

 幸い右腕、つまりは義手で受け止めたために対したことはなかったのだが、もし左側から来た場合、ヘンネの腕の骨が折れていたかもしれない。

 少しでも手を抜けば自分が怪我をしてしまう。そう思っていもう一撃を警戒したヘンネだが、予想に反して真詩義からの追撃はなかった。

「……? どうした?」

「え、何がですか?」

 疑問符を浮かべるヘンネに対し、さらに疑問符を浮かべる真詩義。そもそも顔面に蹴りを入れてみろと言われただけで連発しようとは思う人間の方が少ないだろう。その考えに至ったヘンネはすぐに冷静さを取り戻し、ゆっくりと真詩義の足を義手で払った。

「いや……なんでもない。じゃ、今度は私の攻撃をいなしてみろ」

「は、はい」

 指示を受けた真詩義は距離をとって構える。

「………」

 右腕だけを前に突き出す我流の構えであるが、どこからどう攻めても攻撃が通るビジョンが浮かばない。ヘンネも前線で何人もの強者と戦ってきたが、ここまで隙が見えない相手に対峙するのは初めてである。

「……っ!」

 今までにない緊張感を持って、拳を突き出す。目標は真詩義の顔面であるが、本命は拳を躱される前提で繰り出そうとしている脇腹への蹴り。

 そして、狙い通り真詩義は体を傾けることで拳を回避。片足が浮いてしまっていている状態では、次の蹴りを満足に躱すことはできないはず。そう思って全力の蹴りを放った。

「よっと」

 蹴りが当たる瞬間。真詩義はヘンネの足に手を置くと、バランスの崩れた状態で器用に飛び上がり、ヘンネの足を支点に手を置き、側転の要領で一回転。その見事な回避技を見て、思わず動きが止まった。

「……お前」

 いくら身体能力の優れた人間だとしても、意図的にあのような動きができるとは思えない。だが、反射的に体を動かしたというわけでもない。一体この皇真詩義という少年の体は、どれだけの機能が備わっているのか。先日の盗賊団撃退のことも考えると、一対一ではまず勝てない。

 ヘンネは戦意喪失したような表情で構えを解いた。

「え、やめるんですか?」

「なんだ? 痛めつけて欲しかったのか?」

 少しだけ寂しそうな表情を浮かべた真詩義に、ヘンネは冗談めかして答えた。

「まぁ正直な話、私じゃマシギに攻撃を当てれる自信がない。今のではっきりした」

「でも、やってみないとわからないじゃないですか」

「経験からわかるんだよ。『こいつに自分の技は一切通用しない』ってな。お前もそういう経験があるんじゃないか?」

「まぁ……何回かありましたけど」

 真詩義も地下闘技場で同じような経験がある。それだけに、これ以上食い下がるようなことはしなかった。

「現時点ではお前は訓練が必要ないレベルだ。前の世界での話を聞く限り真っ当な戦闘術じゃねぇから、他の奴らに教えさせることもできねぇ」

 ましてや、真詩義が人に物を教えることができるだけの頭脳があるとは思えない。だからと言って他の者たちと同じ訓練をしたところで、真詩義にとってプラスになるとは全く思えなかった。

「え、じゃあ何をしたらいいんですか?」

「そうだな………お前は蹴りが得意だろ? だったら丁度良いのがある」






「よっ」

 スパンッ、と短い薪が真ん中から割れる。薪の用途は様々あるが、最も一般的な利用方法は、料理での利用である。

「ふっ」

 ヘンネから言い渡されたのは、毎日食堂で大量に使用される薪割りの手伝いであった。しかしただの薪割りではなく、アキレス腱の部分に刃物を縛り付けて踵落としで薪を綺麗に割っている。

 隣でそんな大道芸のようなものを見せられてか、食堂に勤めている者たちはつい見入っていた。

「あの子……すんごいことやってるわね~」

「ありゃあ見事なもんだ。路銀稼ぎには困らねぇぞ」

 中には真詩義を変人として軽蔑する視線を送る者もいるが、そんなことは露知らず。着々と積まれている薪を割っていく。


 それからしばらくして。積まれていた薪の半分ほどを割り終えたところで、数名の女性が籠を持って真詩義の方に歩いてきた。

「わざわざ手伝ってくれてありがとね」

 女性たちが持っていた籠には、新鮮な野菜や果物などの食べ物が入っていた。

「ねぇ坊や。よかったら食べて」

「あ、いえ、大丈夫です」

 真詩義からすると、薪割りの手伝いはヘンネからの命令であって、自発的に手伝っているわけではない。自身の訓練でもあるため、お礼を言われるだけならまだしも、謝礼のようなものを受け取る必要性を全く感じていなかった。

 しかし、女性たちは真詩義の断りなど全く聞こえていなかったのか、刃物のついた足を振り上げようとした真詩義に籠を押し付けるように渡した。

「うわっと」

「ほらほら、これだけ働いたんだから、小腹くらい空いてんじゃないの?」

「子供のうちはたくさん食べないと、ダリウスさんみたいにヒョロヒョロな男になっちまうさ。それじゃあ女にも愛想尽かされちゃうよ?」

「このラデックの実は、疲労回復・滋養強壮の効果があるの。ちょっと酸っぱいけど、健康食品としては一位二位を争うものよ」

 周囲の視線すらもなんのその。畳み掛けるようにあれやこれやと言葉を投げかけて、返事をする暇も与えずにいつの間にか去って行った。

「………」

 一人取り残された真詩義は、一切風のない嵐の中心で周辺の被害を呆然と見ているような心境で、籠から果物をとって噛り付いた。




 リーゼライド王国の軍人にとって、一日が訓練のみで潰れることは珍しくない。ヴァリアント部隊が一日訓練している間、真詩義はヘンネに言われるがままに様々な場所で訓練兼手伝いをしていた。その度に誰かから差し入れを貰い、その度に部屋に運び込んでいた。

 結果として決しては狭くはない部屋に、これでもかというくらいの食べ物などが置かれている。一人で食べようものなら最低でも十日間は食堂を利用する必要がなくなる。

「はぁ………」

 既に夕食の時間は過ぎており、それぞれが一日の残りの時間を自由に過ごしている。真詩義はと言うと、もらった差し入れ群を見ながらぼんやりしていた。すると、不意に控えめなノックの音が聞こえてきた。

『マシギ様、エリゼ・オーギュストです。ただいま戻りました』

 真詩義がドアを開けると、エリゼは深々と一礼して「失礼します」と入ってきた。だが部屋に置かれている食べ物を見て、首を傾げた。

「あの、マシギ様? これは一体?」

「えっと……貰いました」

「これだけの量を、ですか?」

「はい…」

 それを聞いて、エリゼは思わずため息が出た。

 リーゼライド王国は世界各国の中でも国民の生活水準が高く、財政的にも裕福な方である。しかし、現在はフェルンバーク帝国とラクドル共和国、その二つの列強と戦争になるかもしれない状況にある。本来なら、おつかいに来た子供にご褒美をあげるような感覚で数日分の食べ物などをあげている場合ではないのである。

 そんなことよりも、食べ物は放っておくと大半は傷んでしまうだろう。一応それぞれの部屋に冷蔵庫は設置されてはいるのだが、半分も入らない。かと言って真詩義本人が受け取ってしまったものを今更返しに行けば、相手に恥をかかせることにもなりかねない。

 これをどう処理したものかと考え結果、真詩義と仲の良い人間を集めてささやかな食事会のようなものを開こうという結論に至った。

「マシギ様。仲の良い方はいらっしゃいますか?」

「えっと………ヘンネさんと、ヴェリエルさんと、ミリアムさんと………あ、ミカルナさん」

 ミカルナの名前が出た瞬間、エリゼは思わず卒倒しそうになった。

「あ、あの、マシギ様。間違ってもわたくし以外の人の前で、ミカルナさんと呼んではいけませんよ?」

「は、はい………」

 額に手を当てて呆れている様子ではあるが、その目は真詩義を射抜いていた。

 家族や近しい血筋の者たちならば問題はないが、いわゆる平民が王族をほぼ呼び捨てにしているような状況。貴族などに聞かれた日には、不敬罪で捕まる可能性だってある。

「と、とにかく、必ず『ミカルナ様』もしくは『ミカルナ王女』と呼んでください。それはそれとして、ミカルナ様に関しては私にお任せください。マシギ様はグリーンベル少将、キーレイ准将、カインズレイ様に、明日の昼ここに集まるように言っていただけませんか?」

「わかりました………でも、一体何をするんですか?」

「秘密です」

「はあ……」

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