第21話 思惑・後編

「はぁあっ! せいっ!」

 この日、訓練場では気合の入った声が響いていた。普段はそんな声を聞くことがないために、その場にいた全員が一点に注目した。

 声の主は、ヴァリアント部隊の新米兵士、ツイレン・レグナートであった。

「やぁあっ!」

 ドスン! と人間に見立てた的に拳をぶつけている。それ自体はヴァリアント部隊では慣れ親しんだ光景だが、今日はその音が違う。どこか力任せでいながら、一発一発の確認を怠っていない。

「まだっ」

 ツイレンの手は、僅かに血が滲んでいる。それだけ強く、何度も拳を叩きつけて尚もやめようとしない。

「あらあら、随分と張り切ってるわね」

 そんな様子を見かねてか、ラヴィニアがツイレンを呼び止めた。その手には包帯と薬草から搾り取った消毒液の入った瓶が握られていた。

「なんっですっかっ」

 それでもツイレンは止まらず、的を血で汚していく。

「もう、頑張り屋は好きだけど、進んで無茶をするような仲間は切り捨てられるわよ?」

「………」

 脅しとも取れるラヴィニアの言葉に、ツイレンはゆっくりと構えを解いた。調子がいいところを邪魔されたのか、ツイレンは不満げな表情を浮かべている。

 その態度が気に食わなかったのか、ラヴィニアはツイレンの手を全力で握った。

「いだだだだだ!?」

「反抗期はもうお終い。少しは素直になりなさい」

「い、痛いです! 離してください!」

 女性といえど軍人であることに変わりはない。血が滲むほどに打ち付けた手には劇薬を塗りつけられたような痛みが走った。

「はぁ………ほら、手を見せなさい。ボロボロにしちゃって」

「トドメを刺したのはラヴィニアさんです………」

 お互い呆れた顔をしながら、手際よくツイレンの手に治療が施されていく。消毒液が傷に染みるが、先ほど情けない声を上げて注目を集めてしまったためにグッと堪えている。

「全く………兵は体が資本よ? 自分から痛めつけてどうするの?」

「す、すみません………」

「………何を焦ってるのかしら?」

 今日ほどツイレンが気合を入れて訓練をしていたことはない。普段から部隊の中でもやる気がある方ではあるのだが、ラヴィニアの目にはどこか焦りを感じているように見えていた。

 ラヴィニアの問いかけに押し黙ったツイレンだが、小さくため息を吐いて恥ずかしげに頭を掻いた。

「その、なんて言ったらいいか………あの新人、いるじゃないですか。確かマシギって言ってましたっけ」

「ああ、あの子ね」

「俺、ヴァリアント兵になりたくて、今まで何年も自分なりに頑張ってきたんです。それがあの一瞬で否定されたような気がしてしまって………」

 今のツイレンには自信がなかった。軽んじた年下の少年相手に、たった三発の蹴りだけで敗北し、その間自分は何一つできなかった。

 ツイレンは幼少の頃からヴァリアント部隊に憧れていた。自分もヴァリアント兵になるのだと豪語し、それに見合うだけの力をつけようと血の滲むような努力をしてきている。

 それを否定されたとなると、今まで自分が志してきたものはなんだったのか、今の自分に価値があるのか。そんなことを考え始めていた。

「だから、もっと強くならないと………俺も、ヴァリアント部隊の一員ですから」

「それで焦ってたのね。でも心配しないで、貴方も歴とした正規ヴァリアント兵なんだから」

「それってどういう」

 ラヴィニアの言葉の真意が理解できなかったツイレンが聞き返すが、ちょうど治療が終わってラヴィニアはすぐに踵を返してしまった。

「………」

 ツイレンには話せる人間は結構いるのだが、その中でもラヴィニアと話す回数が多い。何か聞きたいことなどはいつもラヴィニアに聞いていたせいなのか、気づけば頼りにしていた。

 そんな先輩が自分の求める答えを敢えて理解できないように教えてきた。そのことでまた不満を募らせたのだが、そんなことをしていても答えは見つからない。今の自分では答えがわからない。

「…よしっ!」

 自身の頬を全力で叩き、気合を充填する。

 答えがわからないなら、わかるまで突き進む。わからなくても、その先に突き進む。まだまだ若いツイレンの猪突猛進な性格は、悩みや不安を吹き飛ばしてしまった。

 その後押しをしてくれた頼れる先輩に心の中で礼を言い、再び的へ拳を叩きつけ始めた。














 

「リーゼライドの動きはどうなっている?」

 赤い絨毯によって床が染められた無駄に広い空間の中に、男はいた。男の前で跪いている女は、その質問に答える。

「現在、戦争に向けて準備をしています。先の侵攻作戦を受けて、国防の強化や人員補充に力を入れると聞いています」

「そうか……」

 予想通りの回答に、男は返事をするだけで何も言わない。女は自分の報告内容が悪かったのかと勘違いして、焦ったように言葉を続ける。

「そ、それと、ヴァリアント部隊に異例の入隊者が存在するようです」

「異例だと?」

「はい。なんでも、どこの国にも所属していた記録が発見できない、十六歳ほどの少年であると。つい先日、リーゼライドとの国境に偵察に向かったシーリアを撃破、捕縛したのも彼であると記録されておりました」

 普段からあまり周囲のことに興味がなさそうな男なのだが、少年の話を聞いて珍しく表情が動いた。

「シーリア………確か、ヴァリアント部隊の所属だったな」

「はい、その中でもギリアム型の使用者でした。それを、ベルスティ型の右脚部のみを装着した状態で撃破したと記録されています」

「ほう……」

「………お望みとあらば、その少年を引き込みましょうか? 簡単に、とはいきませんが」

「良い。そのまま放置しておけ」

 男は鷹揚に決断を下すと、どこか喜びに満ちた表情を浮かべていた。

 この男には、今まで手に入らなかったものはなかった。もし入手が困難だと言うのであれば、様々な力を行使して強引に手に入れてきた。それは今でも変わらない。

 しかし、男は虚しさを感じていた。自分は意のままに振る舞うだけで全てを手に入れてきた。周りの者は自分に従い、馬車馬のように働く。それ自体に不満があるわけではないが、刺激が足りないのだ。

 自分と対等な者、全力でぶつかってくる者、反逆する者。男の人生の中で、そういった人間に出会ったことがなかったのだ。原因はただ一つ。男の持つ力が強く、逆らおうものなら、跡形も残らないほどに叩きのめされるからである。


 もし例の少年が自分の命を脅かす存在に化けるとすれば、どれだけ嬉しいことであろうか。

 言葉にできない高揚感を抱いた男は、どのように侵攻すれば相手の成長を促すことができるかを考え始めていた。

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