第15話 王女と侍女・前編

 生きとし生けるもの、一体どこで何が起こるかなんて分かりはしない。事実は小説よりも奇なりという言葉があるように、戦争をしている二国の王子と王女が惹かれあい、愛の逃避行をすることが無いとは言い切れない。世界一の貧乏人が、たった一夜で世界一の大富豪になるかもしれない。



 つい先日、正規ヴァリアント兵として雇われることになった少年の部屋にやってきた女性は、昨日まではリーゼライド王国の王女専属の侍女として仕えていた者であった。

「エリゼ・オーギュスト、と申します。本日より、マシギ様の侍女としてお仕えさせていただきます」

 エリゼは腰を折って深々と一礼し、真詩義に笑顔を向ける。

「マシギ・スメラギです。よろしくお願いします」

 真詩義も真似をするように一礼すると、エリゼが急に笑い出した。

「どうしたんですか?」

「いえ、マシギ様は世情に疎いとお聞きしていましたが、本当なんですね」

 口元に手を当て、上品に笑うエリゼ。だが、すぐに表情を戻して話を続ける。

「侍女というのは誰かに仕える立場であり、雇われの身でもあります。それに、自分よりも身分が下の者には仕えない。そういった意味でも、侍女というのは比較的身分が低いのです。ですから、その侍女に対して『よろしくお願いします』なんて、過ぎた言葉なんですよ」

 身分が低いと言われ、真詩は自分の前にいた世界を思い出す。

 知識無き者、技術無き者は人間と扱われることすらなかった。それはもう身分の中で最低である奴隷よりも下の立場にあるだろう。真詩義は冷静にそんなことを考えてる自分を、少しだけおかしく思った。

「そんなこと言ってたら、俺なんて前にいた場所では奴隷以下の存在でしたからね。それこそ、エリゼさんの方が過ぎた言葉ですよ」

「奴隷以下……?」

 リーゼライド王国の身分制度には、奴隷は存在しない。フェルンバーク帝国などでは奴隷制度があるのだが、エリゼは奴隷の存在を知っている程度である。

 しかし、真詩義は自身のことを奴隷以下だと言った。そんな身分はもちろん聞いたことがない。

「あの、失礼を承知でお尋ねしますが……何処の出身なのですか?」

「んー……俺自身よくわかってないから、何処と言われても……夢の中から来たとしか」

「夢……ですか?」

 エリゼは意味がわからないと言わんばかりに首を傾げる。

「はい。元いた場所のある部屋で眠ってたですけど、起きたらこの国にいたんです」

「不思議ですね……あ、でも五年前にも『夢から来た』と言っていた人がいたような……」

 お互い特に口止めされているわけでもない為、簡単ではあるが情報交換をした。しかし、欲しているような情報は得られないまま、不意に話が途切れた。



「ところで、侍女の人たちってどんなことをするんですか?」

「どんなこと、と申されましても……そうですね。基本的に部屋の片付けや服の洗濯、食事の配膳や入浴時にお背中を流したり。お申し付けいただいたことは、基本的に何でもいたしますよ?」

「……そう言われてなぁ」

 掃除や入浴、洗濯と言ったことは、前の世界ではやらないのが普通であった。それを人にやらせばいいと言われても戸惑ってしまう。

「そうだ。エリゼさんは何かしてほしいことはありませんか?」

「ふぇ?」

 予想だにしない質問に、エリゼは素っ頓狂な声を出した。

「いやー、もう何かしてないと落ち着かなくて。昨日までは寝て時間を潰してましたけど、流石にそう毎日寝てばかりだとダメかなーって思いまして」

「それは良い心がけだとは思いますが、侍女が仕えるべき主人に何かしてもらうなんて……」

 エリゼは元王女の侍女。王族に仕えるとなると、それだけの裁量を求められるということでもあり、そういった場所では侍女は主人にただ仕えるという認識が常識である。その逆をしようものなら、他の貴族や王族に舐められてしまう恐れがある。

「でも、本当にやることありませんし……」

 有事に備えよと言われているため、出かけたりなんてことは控えた方が良い。場合によってはヴァリアントを使用する可能性もあるため、ヴァリアントを使った訓練もしない方が吉であろう。いつでも出動できるようにと考えると、自然と行動は制限されてしまう。

「じゃあ、エリゼさんは戻っていいんじゃないですか? 俺は俺でやることを探しますから」

「それはできません。侍女たる者、定られた時間の間は常に主人の側に控えるのが基本でございます」

「いや、そう言われても、何も用がないのに。なんだか申し訳ないです」

「主人がどう思っても、側にお控えするのが侍女の役目ですから」

「でも」

「役目ですから」

「だって」

「や・く・めですから」

「……ハイ」

 有無を言わせぬ凄みを含んだ笑みを見せられて、真詩義は力なく首を縦に振った。それと同時に、エリゼを怒らせてはいけないと本能的に感じ取ったのであった。







 だが、申しつけたことを何でもやるといっても、人間関係には礼儀が付き物。どんなことまでならやってくれるのかが全くわからない真詩義は、エリゼをどうしたものかと考える。いきなり何かをしろと言うのは失礼ではないのかという考えが、侍女という存在への遠慮を生み出している。

 当のエリゼはというと、真詩義に付き添って隣を歩いている。表情でこそ微笑みを湛えてはいるが、未だに命令がないのかと内心疑問を浮かべていた。

「あの、エリゼさん」

「いかがいたしましたか?」

 ようやく命令が出るのか。そう思って身構えるエリゼ。今こそ元王女の侍女であった実力を見せる時だと意気込んだ。

「何を、申しつけたらいいんでしょうか……」

 しかし期待を裏切って、真詩義は未だに何を命令していいのかがわからず、寧ろ命令を出すことに抵抗を感じていた。

 そんな曖昧な笑みを浮かべる真詩義に、エリゼは盛大にため息を吐いた。

「たとえ何も命令なさらなくても、せめて堂々としていてください。侍女をつけられるといことは、マシギ様はそれだけ王国では優遇すべき存在という証でもあるんですから」

「そうなんですか?」

「………まさか、そういったこともご存知ないのですか?」

 呆れと憐憫を組み合わせたような複雑な視線で射抜かれながら、真詩義はゆっくりと頷く。

「はぁ……世情に疎いとはわかっていましたが、まさかここまでとは……」

「なんか、ごめんなさい」

「いえ……マシギ様が悪いわけではございませんので……」

 とは言いつつも、呆れと落胆を隠しきれない。これでは仕える者としての沽券に関わりかねないと判断したエリゼは、真詩義に教養をつけさせようと決心した。


 そんなことを考えていると、外から金属音が響いてきた。窓の外を見ると、訓練場で数人の兵が訓練をしている。

「あの、ヴァリアント兵でも剣とかの武器を使ったりするんですか?」

「はい。最近ではヴァリアント用の武器も研究されていて、その為に剣術や槍術を学ぶ方も多くなってきています。それに、いつでもヴァリアントが使える状況とは限りません。場合によっては、生身でヴァリアント兵と戦うこともありえますからね」

「それなら、俺も訓練したほうがいいですよね?」

「備えあれば憂いなし、と言いますからね。訓練をしてもしすぎるということはないと思います。無論、体を壊すような無理をしない前提ですが」

「じゃあ、訓練場に行ってきます」

 まさか訓練場にまで侍女が付いてくることはないだろう。そう考えていた真詩義だったが、ぴったりと真詩義の横をキープしたまま付いてくる。

「あの」

「役目ですから。って、何度言わせるつもりでしょうか?」

「ご、ごめんなさい……」

 エリゼの威圧感のある笑みによって、侍女というのは、主人の行く場所に必ず付いて行くということをようやく学習した真詩義であった。

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