第12話 軍人の仕事・後編

 日も完全に沈み、燦然と輝く星が空を彩っている。

「はぁ……思い過ごしかなぁ」

 結局、真詩義が怪しいと言っていた男が動きだす気配はなかった。真詩義の思い過ごしかと拍子抜けしたミリアムだが、事件など起きないに越したことはない。

「ま、結果オーライってことでいいかな」


 そろそろ帰ろう。そう思った時だった。一人の男が宿屋のドアを蹴破り、その後ろから四人ほど別の男がなだれ込んで来た。

「オラァ!! 大人しくしやがれ!!」

 明らかに宿泊客ではないことはわかる。入ってきた合計五名の男は全員武装しており、丁度ロビーにいたミリアムや他の行商人に対して剣を向ける。

「何者!?」

 ミリアムも荷物の中に隠していた短剣を引き抜き、男達に向ける。だが、男達は答える気が無いようで、一人がミリアムと対峙し、残りは周辺にいた行商人たちに向かっていく。

 宿泊客を守ろうと走り出そうとするが、目の前の男が剣を振って妨害する。

「なかなか上玉じゃねーか。大人しくしてりゃ、あとで可愛がってやるぜ?」

「ふざけないで!」

 荒い踏み込みからの一閃。男はそれを軽々と受け止めると、腕力で強引に薙ぎ払った。

「きゃあ!」

「大人しくしとけっつてんだよ! クソアマが!!」

 男は床に倒れたミリアムを完全に押し倒すと、覆いかぶさるように押さえつける。

「このっ、離しなさい!」

 振りほどこうと暴れるが、男の力が思った以上に強いせいでビクともしない。

「クソ、鬱陶しい」

 男はこの場で行為に及ぼうとしているのか、ミリアムの服に手をかけた。

「や、やめ」

「おらぁ!」

 ビリ、と勢い良く服が破かれ、ミリアムの胸部の下着が露になった。腕で隠そうとしても、右手は左手で、左手は右足で押さえつけられているために不可能である。

 男はミリアムの胸部を凝視し、そのねっとりとした視線にミリアムの背中に冷や汗が流れる。

 周囲を確認しても、行商人たちが人質に取られていて、下手に動けば殺される。絶望的な状況に、ミリアムは涙が出そうになった。


「よし、大人しくなった……あがぁあああああ!!」

 ミリアムを抑えていた男が、急に悲鳴をあげて倒れた。その頭には深々とナイフが刺さっており、男は苦悶の表情を浮かべたまま動かなくなった。

 ミリアムはゆっくりと視線を動かすと、真詩義の姿を認めた。

「遅くなってすみません。ちょっと手間取ってまして」

 そう言うと、今度は行商人を人質に取っている三名の男に突撃し始めた。


「馬鹿が! こいつがどうなってもいいのか!?」

 接近してくる真詩義に、人質の首に剣を突きつけて見せる。だが、真詩義は止まらずに懐からナイフを取り出し、男に投擲。

「がっ……」

 ナイフは見事に男の目に命中し、骸が一つ増えた。そして残った二人にもナイフを投擲し、それぞれの腹部に命中。激しい痛みに思わず呻いて体勢が崩れたところにすかさず二段蹴りを放ち、一撃目で腹部のナイフを更に押し込み、二撃目で顎を思い切り蹴り上げた。蹴られた男は仰向けに倒れ、目の瞳孔が開ききっていた。誰が見てもこの男が死んだことがわかる。

 あっという間に三人を無力化した少年に、残っていた一人は戦意喪失していた。

「ま、待ってくれ……お、俺はもう降参するから、い、命だけは許してくれ!」

「………」

 必死の命乞いに動きを止めた真詩義だが、その目は異常なまでに冷たい。

「た、頼む! な、なんでもするから! 頼む!」

 今度は土下座をする。だが、容赦のない蹴りが土下座をしている男の頭部を的確に捉え、一メートル程吹っ飛ばした。

 真詩義は倒れた男たちの手首に指を当て、血液が流れているかを確認する。倒した四人のうち三人は既に絶命、最後に倒した男だけはまだ生きていた。


「大丈夫ですか?」

 真詩義は床にへたり込んでいるミリアムに声をかけ、自分の上着を脱いで差し出す。

「う、うん……」

 ミリアムはおずおずと上着を受け取ると、それを羽織るように着た。しかし、真詩義の体が小さいために服も小さく、ミリアムの体を隠すには不十分である。

 ミリアムが上着の裾を引っ張るも、真詩義とミリアムの身長差は十センチ程もあり、体格もミリアムの方が良いため、胸部を隠せても腹部が見えてしまう。ミリアムとしては、これは恥ずかしい。

 助けてもらい、気を使ってもらった上で注文をつけるのが申し訳ないと思って何も言わないミリアムだが、真詩義は周囲の確認をしている。

「ミリアムさん。入ってきた敵は四人で全部ですか?」

「へ!? あ、あぁ……いや、もう一人いたわ! もしかしたら二階かもしれない」

「わかりました。ミリアムさんはここで待っていてください。あと、そこで気絶してる男の右腕と左足を縛ってください」

 真詩義はすぐさま階段の方へ向かい、ロビーをミリアムに任せた。




「悔しいなぁ……」

 ミリアムは犯されそうになった恐怖よりも、何もできなかったことに後悔していた。

 ミリアムも正規のヴァリアント部隊の隊員であるためにそれなりの訓練は積んでいる。もちろん一般人よりも強いのだが、ヴァリアントがなければそれだけである。

 真詩義は、ミリアムでは手も足も出なかった相手に対して、生身で、しかも四人も倒した。自分との差は一体なんだろうと考えた時、真っ先に浮かんだのは、昼食の時に聞いた真詩義の過去。

「………」

 真詩義が差し出した上着は小さい。こんな小さな服に収まってしまうような体に、一体どれだけの強さが詰め込まれているのだろう。少しだけ、羨ましいと感じていた。

 二階から、何かを叩きつけたような鈍い音が響く。ああ、これで終わったんだとミリアムは確信した。




 それから近くを巡回していた兵を呼び、事態は収拾した。捕らえられたのは、宿屋に入ってきた五人のうちの一人と、宿屋を包囲していた軍勢のうちの三名。それ以外は絶命していた。たった二人でそこまでのことをやってのけたことを賞賛されたのだが、実際のところ、全て真詩義がやったこと。そう口に出せなかったミリアムは、力なく笑って話を誤魔化していた。

「それでは、あとは我々が処理いたしますので」

「はい、お願いします」

 真詩義が深々と頭を下げて礼を言うと、ミリアムを連れて宿屋を出た。


 外はすっかり静まり返っており、人が通る気配もない。王宮までそれほど距離があるわけでもないが、この時間から帰るとなると、食堂の利用時間に間に合うかはわからない。だが、二人の足取りは重い。

「ねぇ」

 ミリアムが、前を歩く真詩義に声をかけた。

「なんですか?」

「あ……ありがと。助けてくれて」

「別に良いですよ。あれが仕事でしたし」

 特になんでもないように言う真詩義ではあるが、実際は凄まじいことをやっている。

 宿屋を包囲していた軍勢の数は二十。そのうちの十七人を殺し、三人を気絶させる。その後で宿屋に入ってミリアムを助けたのだった。

 いくら優れた軍人でも到底真似できないだろう。それを当然のようにこなす真詩義は、ヴァリアントを使わない場合において、最も優れた軍人の一人となり得る。

「……私、何もできなかった」

 それに比べて、ミリアムは何もできないままだった。盗賊一人倒すどころか、警備の仕事すら自分はできていたのだろうかと考えると、何一つできていなかったかもしれない。その結論に至った時、ミリアムは自分の不甲斐なさに涙が出てきた。

「どうしてなんだろ……今まで、あれだけ頑張ったのに……」

「ミリアムさん……」

 ミリアムも、ヴァリアント部隊の入隊試験に合格している。しかし、このざまではヴァリアント部隊と名乗るのは恥ずかしい。ヘンネになんと言われるか。自分を嫌っている者達からなんと悪口を言われるか。

 それを考えただけでも、足が止まってしまう。帰りたくない、そんな感情を呼び起こさせてしまった。


 それでもミリアムは足を止めずに歩き続けた。しかし、段々と真詩義との距離が開いていく。

「ミリアムさん」

 それに気がついた真詩義は振り返った。涙を流しているミリアムに驚きはしたのだが、すぐにいつも通りの笑顔を見せた。

「ミリアムさんがオススメしてた、えーっと……三天極盛セット、でしたっけ? あれって美味しいんですか?」

「…へ?」

「いや、ミリアムが美味しそうに食べていたので、ちょっと気になっちゃって」

 人懐っこい雰囲気全開の真詩義を見てか、ミリアムは涙を流しながらも口角を歪ませた。

「え、えぇ。美味しいわよ」

「だったら今度注文してみます。でも、一人じゃ絶対食べきれないんで……その、一緒に行ってくれるとありがたいかなと」

「し、仕方ないわね」

 どうしていきなりそんな話をするのか。出会ってまだ数日しか経っていない為に、真詩義という人物の全容は掴めていない。ただ、精一杯に慰めようとしていたことだけは伝わったのか、ミリアムは心の中で礼を言った。

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