第2話 境界
これだけの風。これだけの緑。これだけの青空。どれも真詩義には初めてだった。廃棄物の中に埋もれていた本に書かれていた物語の舞台に今自分は立っている。その高揚感のままに草原を走り、その一瞬一瞬を心の中に焼き付けた。
「ぃやっほぉ!」
今年で十六になる少年とは思えないはしゃぎようで、辺りを駆け回る。もしこんな場所で暮らせたら、どれほど健やかな気分でいられるだろう。真詩義は生まれてから今まで、子供らしく遊ぶことができなかった。今の姿は、それを取り戻すかのようだった。
一頻り走り回った真詩義は、晴れ晴れとした心持ちで仰向けに寝転がった。見ていると吸い込まれそうな青空を見上げる。今まで心に積もっていた何かが小さく見える。自分たちが今まで受けてきた扱いも、取るに足りないことに思えてしまう。
「すっげぇなぁ……」
今の気持ちを表す言葉が見つからない。だが、今はこの感覚や景色を堪能しよう。そう思っていた時だった。
『あら、誰かいると思えば』
右の方から声が聞こえた。体を起こした真詩義が目にしたのは、先ほどまで何もなかった場所に人間の形をした赤いロボットのような物が立っている様子である。ただの金属の集まりなら、声を発することなんてありえない。真詩義は警戒して、地下闘技場でやっていたように構えた。
『あらあら、お盛んねぇ。おとなしくしていれば、お姉さんがイイコトしてあげるのに』
女のような声を出すロボット。だが、その言葉は嘘であると、真詩義は向けられてくる敵意から察した。
「……俺に何か用か?」
『別に貴方じゃなくてもいいんだけど、ちょっと人質になってもらうだけよ』
そう言うが早いか、ロボットは人間の動きとは思えない速さで真詩義に接近して右の拳を振りかぶる。
「っ!」
反射的に拳を受け流し、慣性の法則で前に進み続けるロボットの胴体部に蹴りをいれた。おおよそ人間を蹴った時の感触と違い、足に鈍い痛みが走る。
ロボットはお返しと言わんばかりに今度は左の拳を突き出し、真詩義の顔面を捉えた。脳が強く揺さぶられるような感覚に襲われたのも束の間、後ろに仰け反った体勢を利用してハイキックをロボットの顎にお見舞いする。だがそれも効いていないようで、ロボットは体を360度回転させての後ろ回し蹴りを放った。真詩義はカウンターをやめ、わざとそれを受けることで後ろに飛び、距離をとった。それと同時にロボットもバックステップで真詩義から距離をとった。
『……貴方、何者なの?』
ロボットは怪訝そうに真詩義に疑問を投げかけた。
「皇真詩義」
『スメラギ・マシギ、ね。生身でヴァリアントの攻撃を耐えるなんて、常識はずれもいいところだわ』
「……?」
真詩義には、ロボットの言っていることが理解出来なかった。確かに普通の人間によりも数段強いが、何度も死線を見てきた真詩義にとって、この程度の攻撃は日常茶飯事であった。
『まぁいいわ。ヴァリアントには貴方の攻撃は効かないようだし』
ロボットはファイティングポーズを取ると、脚部から大量の煙を噴出した。
『別に殺しちゃってもいいんだし』
そう不吉なことを言うと、先ほどとは比べ物にならない速さで急接近してきた。真詩義の目はなんとかロボットの動きを捉えらているが、見えることと動けることは別問題。体の動きが追いつかず、右ストレートをもろに顔面に受けてしまった。今まで受けたことのない衝撃に体宙を舞い、5m程吹っ飛ばされた。一応落下時に受身はとったものの、口の中に血が大量に広がった。
「痛っ……」
相手が追撃の構えをとっている。手を打たなければ、一方的にやられてしまう。真詩義は内心焦りながら構え、なんとか相手の動きについていけないかと思案する。
「ダメか……」
現状、相手の速さに対抗する術がない。加えて自分の渾身の蹴りが通用しないとなると、勝てる可能性なんて微塵も存在しない。
『待て!』
玉砕の覚悟を心に決めた真詩義と、攻撃を再開しようとしていたロボット。その二人の間まで全力で走ってきたのは、白いロボットだった。これも女のような声を発しており、二人の間に立つと、赤いロボットの方を向いた。
『貴様、帝国のヴァリアント兵だな?』
『あーあー、面倒くさいのが来たわね』
赤いロボットは心底面倒くさそうな声音でそう言うと、ターゲットを真詩義から白いロボットに変更、すぐに飛びかかった。
打ち出された右の拳を白いロボットは両腕でガードし、動きが止まったところで右腕を掴み、地面に叩きつけた。人間よりも重量が大きかったのか、それとも叩きつけた力が強かったのか、赤いロボットの形に地面は抉れた。
赤いロボットは蹴りで白いロボットを振りほどくと、バックステップで距離をとった。
『量産型のくせに、随分とやるじゃない』
『貴様たちとは鍛え方が違うのだ。戦闘用にも遅れはとらん。………こんな時にっ』
白いロボットの動きが急変した。構えのために前に突き出していた腕がだらしなく垂れ下がり、前後に開いていた足も跪くような体勢になり、そのまま動かなくなった。
それを見て、赤いロボットは高らかに笑った。
『アッハッハッハ! カッコつけて出てきた割には情けないわねぇ!』
動くことのできない白いロボットに対し、赤いロボットは攻撃を開始した。頭部を掴んで持ち上げ、鳩尾に当たる部分を何度も殴り、今度は頭を地面に叩きつけた。
『量産型でどこまで耐えられるか、実験してみようかしら♪』
『ぐ……』
白いロボットも抵抗しようとするも、上手くその体を動かすことができない。次第に表面に傷やヒビが入っていき、左腕部が砕けた。そこから人間の腕が出現し、これはただのロボットではないことがすぐにわかった。
白いロボットが嬲られる様を見ながら何もしない真詩義。赤いロボットは見せしめと言わんばかりに白いロボットの部位を剥がし始めた。
『は~いご開帳~♪』
メキメキ、という耳障りな音を立てながら、白いロボットの右足の部分が剥がされた。やはり人間の足が露わになり、そこにはうっすらと血が滲んでいる。
『あら? これって軍の紋章じゃない』
剥がした右脚部の裏を見ると、薄く模様が刻まれている。
『ヴァリアント兵がこんな国境で、量産型を使って戦うなんて、バカみたいね』
『このっ』
白いロボットは動かない体を無理やり動かし、赤いロボットに体当たりをした。赤いロボットが持っていた右脚部は宙を舞い、真詩義の前に落下した。どうするべきかと考えた真詩義はそれを拾い、自分の右足に当てがった。
すると、留め具であろう場所からベルトのようなものが出現し、足を固定した。真詩義にはヴァリアントやロボットの中に人間がいることがよくわからないが、これで自分の攻撃が通用するという確信じみた自信があった。だが。
『もう殺すわ。面倒だし』
赤いロボットは再び白いロボットを地面に叩きつけると、剥き出しになっている左腕と右足めがけて拳を振り下ろそうとしていた。
「させるかぁ!!」
真詩義は右足で走り出そうとし、思いがけない力で地面を蹴った。たった一歩で10m程離れていた赤いロボットに衝突する推進力を生み出していた。不意を付いた体当たりによろけるも、すぐにバックステップで距離をとる。
『うるさい羽虫ね』
赤いロボットは脚部から煙を出し、真詩義に飛びかかった。繰り出されるのは、先程顔面をとらえた右の拳。
「っ!」
一か八か、真詩義は首を横に曲げることで、右の拳を躱した。続く追撃の左の拳も、逆方向に首を曲げて掠る程度で終わった。
次は後ろ回し蹴り。
すでに予測していた真詩義の動きは的確で、予想通りに相手が後ろ回し蹴りを放ってくると同時にしゃがみ、頭上に突風が起こる。それを合図に体を捻りながら飛び上がり、空中で体を回転させる。
「せぁあ!」
気合の入った声と同時に、真詩義の空中回し蹴りが赤いロボットの頭部に直撃。生身なら大したダメージにはならないが、今真詩義の右足には白いロボットの脚部が装着されている。そのせいなのか、赤いロボットの頭部がメキメキという嫌な音を立てながら吹っ飛んだ。
『がぁ!?』
ガシャン、と受け身を取らずに地面に叩きつけられた赤いロボットは、そのまま立ち上がることはなかった。
『礼を言う、少年よ』
真詩義が白いロボットに駆け寄ると、毅然とした声が聞こえた。だが、剥き出しの手足には裂傷が複数あり、右足に至ってはあらぬ方向に曲がっていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
『問題ない、と言いたいところだが……………』
「え……死んだ……の?」
急に喋らなくなったロボットを軽く揺さぶり、頭部に耳をつける。すると、わずかにではあるが、呼吸音が聞こえた。
まだ生きてる。
それは真詩義の不安を払拭したのだが、今の自分には手当てする技術も道具もない。このロボットは身を呈して自分を守ろうとしてくれた。ならば、見捨てるわけにはいかない。
「誰かー!! 誰かいませんかー!! 怪我人がいるんです!!」
精一杯の声を張り上げ、助けを呼んだ。二つのロボットが倒れて、少年が助けを求めている。一般人から見れば奇怪な光景であるが、構っている暇はない。とにかく誰かが来てくれれば、解決策があるかもしれない。
その願いが通じたのか、遠くから別の白いロボットが走ってきた。
『怪我人ですって!? どこに……………え?』
到着するなり、真詩義の足元に倒れている白いロボットを見た。そして、真詩義の右足を見ると、白いロボットの脚部が装着されている。
『……アンタ』
やってきた時の慌ただしい声とは一変、地獄から聞こえてくるような低い声が響いた。だが、真詩義はそれどころではない。助けが来てくれたために状況の説明をしようとする。
「あの、これは」
『はぁああっ!!』
問答無用のアッパー。戦おうと思っていなかった真詩義は3m程垂直に浮かび、頭から地面に落下した。既に赤いロボットから結構なダメージを受けていた真詩義は、あっけなく意識を暗闇に放り出してしまった。
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