仕立て屋は嫌い

 ベルントが死んだ戦いの後、わたしは自宅で療養という名の謹慎を強いられていた。

 いや、別に療養が嘘というわけではない。

 傷自体はタウヌスの聖女たるクラリッサが痕も残さず綺麗に治療してくれたのだが、失った血と体力を戻すのにいくらか日が必要であること、そしてわたしの精神的な動揺を考慮して少しの間任務から外れるよう皇帝陛下直々に命令されてしまったのだ。


 というわけで、今わたしは絶賛自宅でごろごろして過ごしていた。

 手持ち無沙汰だからと剣の素振りでも始めようものならクラリッサなり母上なりが飛んできてわたしから剣を取り上げてしまう。

 わたしとしては体を動かしていた方が気が紛れるのだが、肉体派ではないクラリッサたちには理解されないらしい。


 ベルントの家族へは彼が亡くなったことを知らせる手紙をしたためた。

 あいつは東部の出身だから、知らせが届くまで今しばらくかかるだろう。

 仲間の死というのはいつまで経っても慣れることがない。

 特にわたしは前世で過ごした日本という平和な世界の記憶のせいか、親しい人の死に対して必要以上に過敏なところがある。

 敵を殺すことには慣れたというのに、我ながら身勝手なものだ。


 今、わたしの屋敷には元々一緒に暮らしていたブリュンヒルデたちの他に母上とその使用人たち、上級近衛騎士のブルーノ、わたしの直属の部下である騎士二人、ゴットハルトの部下イルメラが滞在している。

 

 いささか人口過密気味だが、幸いにして部屋数は足りている。

 が、急に増えた住人たちは多少の軋轢も生んでいた。

 その最たるものが何を隠そうクラリッサで、どうも彼女はブルーノに対して思うところがあるらしく奴がいる時だけ妙に態度がぎこちなくなるのだ。


 ブルーノはわたしと同じ上級近衛騎士であり、弓の名手として騎士団で名を馳せている。

 剣の間合いで勝負すれば十中八九わたしが勝つだろうが、距離を開けられると手も足も出ずわたしが負ける。

 ちなみに理不尽の権化たるクソ古竜と対峙したヴァール平原ではコンビを組んで最後まで戦い抜いた仲だ。


 百発百中の弓の腕に加えて強力無比なスキルの持ち主。

 そんな男なのだが、ブルーノは極めて謙虚で物静かな性格をしている。

 寡黙で職人気質な実力者。

 ついでに体格もいいし何なら顔も悪くない。

 元男のわたしをして『こんな男になりたかった』と思わせてくれるような、実に素晴らしい人物なのだが、何故だかクラリッサにとっては癇に障るらしい。

 本当に何が気に入らないんだ。ブルーノほどの男はなかなかいないぞ?


 イルメラも少女と見紛う容姿と蠱惑的な言動のため、主に母上が連れてきた使用人たちの心をかき乱しているようだ。

 さすがにゴットハルトの部下だけあって賢い子なので、馬鹿な真似は仕出かさないと思うが。

 男装少女のふりをした美少年という意味不明な存在に最初テオドールは大いに困惑していたが、二人でよく話しているのを見かけるので仲良くやっているようだ。やはり年齢が近いから話しやすいのだろう。

 テオドールが楽しそうにしているのを見ると荒んだわたしの心も癒される。


 オスカーとラルフはベルント同様にわたしの直属とされている近衛騎士だ。

 ブルーノに対しては不可解な態度を示すクラリッサだが、以前から付き合いのある二人には普段通りに接している。

 が、どうも我が母ヘルミーネが娘のネタを仕入れるターゲットとして二人に目を付けたらしく、質問攻めにあっているのを何度か目撃した。

 二人とも近衛騎士という職業柄皇族や貴族の相手は慣れているはずなのだが、それでもなお我が母の相手をするのは緊張を強いられるものだったらしく、すっかり苦手意識が植え付けられたようだった。

 二人とも、うちの母上が強烈ですまんな。


 完璧な貴婦人たる我が母上は若かりし頃に今の皇帝陛下の妹君のいわゆるご学友を務めていたらしく、噂では母上が陛下の元へ輿入れする可能性もあったらしい。

 結局は我が母ヘルミーネはフェルンバッハ侯爵である父上の元へ嫁ぎ、皇帝陛下は母上と同じく妹君のご学友であった今の皇后陛下とご結婚されたわけだが。


 母上が帝都に長逗留している理由の一つは、皇后陛下と旧交を温めることにもあるらしい。

 正直、帝都は危険なので早くフェルンバッハ領へ帰って欲しいが、言うことを聞いてくれない。

 そのくせわたしが怪我をすると怒るんだから本当に意味が分からん。

 心臓を刺し貫かれて死んでしまったベルントに比べれば、後頭部が抉れたくらいかすり傷だというのに。

 ちなみにアルフォンス伯父は『お兄様がついていながらわたくしの大事な娘に怪我をさせるなんて……』とわたしが意識を失っている間に延々いじめられたらしい。

 それでも足繁くお見舞いに来てくれるから伯父上が大好きなんだが。




 一日をだらけて過ごした後、寝室で寝る準備をしているとノックの音がした。


「入れ」


 扉を開けて入ってきたのは意外なことにゆったりした寝着姿の母上だった。

 てっきりクラリッサかメイドのラウラだと思ったのだが。


「まるで殿方の部屋ね、ここは」


 壁際に飾られた武具の数々を見やり、母上がしかつめらしい顔で言う。

 母上の言葉通り、わたしの部屋に女性らしい装飾はほとんどない。せいぜいクラリッサが活けてくれる花が彩りを添えてくれている程度だ。


「騎士ですので女も男もないでしょう、母上」


 寝室に武具を飾るのは騎士だとしてもやりすぎかもしれないが、仕方がない。

 わたしは武具が好きなのだ。

 だって格好いいもん。


「そういう問題ではありません」


 ぴしゃりと言い返した母上はドレッサーの前に座るわたしの背後に立って、わたしの手から櫛を奪い取った。


「正面を向いて」


「はい」


 言われた通りに正面を向くと、母上が慣れた手つきでわたしの髪を梳かし始めた。

 鏡に映る母上の表情は相変わらず生真面目なものだが、かすかに口元が微笑んでいるようにも見える。

 少々意外なことのように思われるかもしれないが、我が母ヘルミーネは娘の髪の毛を梳かすのをとても好んでいる。

 まあ、精霊の加護を受けた子として常に見栄えを気にしているのもあるのだろう。

 実際、今回も後頭部の抉れた場所が禿げにならないかクラリッサにしつこく確認していたからな。

 わたし自身も禿げるのは嫌だが、髪の毛を伸ばしていれば後頭部は隠れるし禿げたら禿げたで仕方ないと主張したらすごい顔で怒られた。

 結局はクラリッサが上手く皮膚を再生してくれたので禿げることはなさそうだけども。


「母上」


「なぁに?」


 わたしの長い黒髪を梳かす手を止めることなく、母上が訊き返す。


「この度はご心配をおかけして申し訳ありませんでした」


「本当にね。時々あなたはわたしを心配させるためだけに生まれてきたんじゃないかと思うことがあるわ」


 母上特有の冗談にわたしは乾いた笑みを浮かべた。

 心労で本当に倒れたことがある母上が言うと洒落にならないが、さりとて生き方を変えるつもりもない。


「もう二度とご心配をかけることはない、と言うことはできません」


「そうね。知っているわ」


 櫛ではなく自らの手でわたしの髪を撫でて手触りや艶を確かめていた母上は苦笑するようにわたしの言葉に同意した。


「いいのよ。何も心配することがなくなってしまったらきっと寂しくなるわ。いつまでも手のかかる子どもでいて欲しいというのは親の我が儘なのでしょうけど」


 わたしの両肩に手を置いた母上は、鏡に映るわたしの姿をどこか誇らしげに眺めて言葉を続けた。


「立派になったわね、エレオノーラ」


 わたしも鏡に映る自分の姿をしげしげと眺める。

 自分で言うのもおこがましいが、よくもまあこれほどの美人に育ったものだ。

 これで面白みも何もない黒髪でなければ言うことはないのだが、あいにくそう思っているのはわたしだけしかいない。

 どうせならブリュンヒルデのような赤髪がよかった。それが駄目ならせめて金髪。

 一番の理想は銀髪だったんだが、この世界では南方の少数民族にしか発現しない希少な髪色らしい。

 格好いいよな、銀髪。厨二病っぽくて。


「わたしなどまだまだです」


 冗談は心の中に押し留め、わたしは殊勝な答えを返した。

 むろん本心だ。

 ガワはほぼ大人になったし、中身のほうも前世の記憶込みで成熟している。

 だが、まだ足りない。

 何もかもが足りないのだ。


「あなたはよくやっているわ。けれど、そうね。確かに大人の女性として足りないものはあるわね」


「……母上?」


 ものすごく嫌な予感がするが、後ろから両肩を押さえられているので逃げ場がない。

 母上の完璧な顔立ちを見つめていると、案の定わたしの嫌いな話題を持ち出してきた。


「あなたもそろそろいい歳なのだから結婚相手を見つけなければね」


「母上。これまで何度も言いましたが、わたしは結婚などするつもりはありません」


「ええ、何度も聞いたわ。だから?」


 母上の切り返しに思わずわたしは詰まってしまった。

 この世界において貴族女性として適齢期になっても結婚しないというのが、どれほど異端な振る舞いなのかは分かっている。

 分かってはいるのだが、結婚すれば当然それ相応の関係を夫となる人物は求めてくるだろう。

 つまり、あれだ。そういうことだ。


「母上はその……」


「どうしたの?」


 言い淀むわたしを母上が優しく促す。


「父上と結婚が決まった時、怖くはありませんでしたか」


「……もしかして初夜のことを言っているの?」


 できるだけ曖昧な表現をしたのにはっきり言い当てられて、わたしはたまらず赤面した。

 いくら母とはいえ、同性とはいえ、こういったことを話すのはひどく決まりが悪かった。


 常日頃からちんこが欲しいだの誰それの尻がそそるだのほざいているわたしだが、これでも自分がれっきとした女性であることは自覚している。

 前世の記憶では男だったとはいえ、それは今現在のわたしの人格を完全に支配するようなものではない。

 今のわたしはもはや知る者のいない名前を持つ日本人の男ではなく、ヒューベンタール神聖帝国で生まれたエレオノーラという一人の女なのだ。


 しかし100%混じりけなしにそうなのかと問われると、簡単には頷けない。

 男でありたい自分と女でありたい自分。

 その二つが常にせめぎ合っている。

 というより、男でありたいという願望が消し去られまいと必死になってしがみついているというのが正確だろうか。


 つまるところ、わたしは恐れているのだ。

 男に抱かれることで、それを受け入れることで身も心も完全に女性になってしまうことを。

 そうなることでかつて日本という異世界で生きていた前世の自分が消えてしまうように感じているのかもしれない。


「もちろんわたくしだって不安はあったわ。ばあやたちから色々と知識は得ていたけれど、経験はなかったのだもの。でも、ゲラルトはそんなわたくしの不安をすべて優しく溶かしてくれたわ」


「そ、そうですか……」


 いかん。話が生々しくなってきたぞ。

 さすがに実の両親のそういう話は耳にしたくない。

 わたしの肩から自分の胸に手を置き、母上はどこかうっとりとした表情を浮かべた。

 何を思い出しているんだ、何を。


「ええと、父上のような素晴らしい男性はめったに見つかりはしないでしょうから、やはりわたしは結婚は遠慮しておきます」


「ゲラルトは確かに世界で一番素晴らしい殿方だけれど、あなたにもきっとふさわしい方が見つかるわよ。例えば皇太子殿下とかね」


「ゲホッ。……何ですって?」


 たまらず咳込んだわたしは、鏡越しではなく直接振り返って母上の顔を凝視した。

 しかし、母上は前世のハリウッドスターと並んでも遜色ないような美しい顔立ちに悪戯っぽい笑みを浮かべると、わたしの疑問を軽く受け流した。


「例えばの話よ。それはそうとエレオノーラ。明日は仕立て屋が来るからそのつもりでいなさい」


「新しいドレスでも作るのですか?」


「あなたがね。クラリッサにワードローブを見せてもらったけど、ろくなドレスを持っていないんだもの。これでは皇太子殿下主催のパーティーに出席できないわ」


 先程から母上の言っている内容が理解できず、わたしは口をあんぐりと開けていた。

 仕立て屋?

 皇太子殿下主催のパーティー?

 一体母上は何を言っているのだ?


「母上、今はパーティーなどに出ている場合では……」


「こんな時だからこそよ。勇者派の勢力が日に日に増大している今、皇帝派も結束を強める場を設けなければならないわ」


 母上の言うことも分かるが、それは政治の領分だ。

 騎士であるわたしには関係ない。


「あなたが騎士であることは重々承知しているわ。でもね、騎士だから誰からも愛を享けてはならないという法はないのよ。あなたは騎士である前に人間であり、17歳の女の子なのだから」


「それは……」


 わたしの手を取って立ち上がらせた母上は優しく頬を撫でてくれた。


「愛しているわ、エル。わたくしの可愛い子」


「わたしも愛しています、母上」


 母上に抱き寄せられ、わたしもそれに応える。

 騎士。

 17歳の少女。

 前世の記憶。

 何もかもを包み込んでくれるような温もりを感じながら、そっと目を閉じた。


「……でも仕立て屋は嫌いです」


「知っているわ、エル。大人なんだから我慢なさい」






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


クラリッサ:ブルーノが自分に対してそっけないのが何故か妙に気に入らなくてイライラする。


ブルーノ:クラリッサがキラキラして見えて眩しくて話しかけにくい。エレオノーラは男騎士連中と中身が一緒だから平気。


母上:娘を愛しすぎて過干渉になるタイプ。

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