茶番劇


 ようやく地上まで飛び出したわたしとアルフォンス伯父は、跳躍の姿勢のまま空中からギガースの姿を探した。


「あそこです、伯父上!」


 人通りの多い大通りに巨人の姿があり、そこから50mほど直進した場所にはボルツ大聖堂がある。

 あの地下空間は大聖堂の直下というわけではなかったのか。

 だが明らかに壁や柱には教会建築の様式が見受けられた。

 教会、ザムエル、巨人。

 必ず繋がりを暴いてみせる。


 だが今はそんなことを考えている場合じゃない。

 突如地上に現れた巨人のアンデッドによって、大通りは阿鼻叫喚の様相を呈している。


「伯父上、わたしを投げて!」


 手を目いっぱい伸ばして伯父上に差し出すと、意図を汲みとった伯父上がわたしの手を掴んで大きく体をひねった。

 空中で落下しながら旋回の勢いを借りて放り投げられたわたしは、ぐんぐんと距離が縮まるギガースに視線を固定したまま腰から愛剣を抜き放った。

 水流を纏った剣を切先を後ろに向けて構える。

 落下の勢いを乗せて叩き切る!


 先にわたしに気付いたのはギガースから逃げ惑う市民たちだった。

 泣き叫ぶ者、助けを求める者、わたしの名を呼ぶ者。

 それらの声を聞いてギガースも頭上を振り仰ぎ、攻撃態勢に入ったわたしに気付いた。


「グラァァ!」


 怒りに満ちた咆哮と共にギガースが腕を横へ突き出すと、その先にあった商店の建物が根元からもぎ取られて浮かび上がった。

 そのままギガースがわたしに向かって投擲するような仕草をすると、建物一個丸ごとわたし目掛けて投げ飛ばされた。


「こぉのぉぉ!」


 あんな大質量の建物と正面衝突したら潰されて死ぬ。

 かといってここは空中で回避もできない。

 鞭のように伸びた水流の剣を振るい、わたしは建物を細切れにして難を逃れた。

 落下の勢いは多少弱まったが、このまま頭上から一刀両断してくれる。


 大上段に水神剣を構えるわたしの姿に、市民たちは大慌てでその場から逃げ出す。

 一方のギガースは身構えたままこちらを見上げて動かない。

 そうだ、それでいいんだ。


「死ねっ!」


 およそ正義の味方の台詞ではないかもしれないが、どうせ誰も聞いちゃいない。

 渾身の力で振り下ろされた水神剣は大通りを10m近い長さで深く斬り裂いた。

 が、そこにギガースの姿はない。


「なっ!?」


 着地したわたしが周囲を見渡すと、どこからか市民の悲鳴染みた声が響いた。


「黒曜姫様、上です!」


 頭上を振り仰ぐ暇すらなくその場から飛び退くと、地面がギガースの拳で叩き割られた。

 地面を転がって体勢を整え、剣を構えたところへ更なる追撃。

 今度は反応し切れず、真正面からパンチを食らったわたしは一度地面でバウンドしてから大通りの端から端まで吹き飛ばされて建物の壁に突っ込んだ。


 パンチといっても5mを越える化物の拳だ。

 かろうじて剣を体の前に置いて防御したが、そうでなければその場で体が破裂していたかもしれん。

 即死を免れたとはいえ、衝撃は殺せず結構なダメージをもらってしまった。

 崩れ落ちた壁の瓦礫を押しのけようとしたわたしは、肩に走る激痛に呻き声を漏らした。


「くっそ、肩が外れた」


 どうやら肋骨も折れたな。

 しかし他に骨折はなさそうだ。出血も……いや、首の後ろがヌルヌルするぞ。


 長い黒髪をかき分けて首の後ろに手をやると、べったりと血で濡れた。

 後頭部が割れたか。

 アドレナリンが出まくっているせいか、さほど痛みはないが……。


 何とか立ち上がるもすぐにふらつき、剣を支えにする。

 そこへ近くへ隠れていたのか見知らぬ市民が駆け寄ってきて体を支えようとしてくれるが、その手を振りほどいてわたしは警告した。


「すぐにこの場から逃げろ。教会兵や騎士がいたらそいつらを頼るんだ。さあ行け」


「でもエレオノーラ様は」


「わたしはわたしの仕事を全うする」


 前世のわたしは日本という国で暮らすごく平凡な男だった。

 特別秀でた能力もなく、献身や自己犠牲とも無縁で、ただ自分のためだけに日々を生きているに過ぎない男だった。


 振り返ってみればこの世界で騎士になりたいと願ったのも、最初は単なる憧れに過ぎなかったように思う。

 だが、わたしは変わった。

 主君に忠誠を誓い市民を庇護し、自己犠牲をいとわぬ本物の騎士に近づいていた。


 きっかけとなったのが、おそらく多くの仲間を失ったヴァール平原の戦いだろう。

 皮肉。だがよくある話でもある。

 失って初めて気付くという奴だ。


 ようするにわたしは大勢の仲間や友人を貪り食われ、灰も残らぬほど焼き尽くされ、ばらばらに砕かれ引き裂かれて、ようやく自覚したのだ。

 彼らを心から愛していると。

 この世界こそが自分の生きる場所なのだと。 


 そこで初めて覚悟が決まったのだ。

 前世がどうとか男がどうとか関係なく、エレオノーラの人生を受け入れる覚悟が。


「わたしは騎士エレオノーラだ」


 最後の力を振り搾って水神剣を発動させる。

 すぐにアルフォンス伯父が駆けつけてくれるはずだ。

 それまでの間だけ時間を稼げればいい。

 命と引き換えにそれくらいの仕事はできるだろう。


 こんなに早く会いに行ったら、ベルントの奴に冥府から追い返されてしまうかもしれんな。


 足を引き摺って再び大通りに姿を現したわたしをギガースが待ち構えていた。

 半分腐ったような皮膚が張り付いた汚らしい顔に醜悪な笑みを浮かべる。

 わたしのような小さき存在を嬲るのはさぞ楽しいだろう。

 子どもが虫の脚を一本一本もいで遊ぶように。


「もう一度絶滅させてやる」


 こちらの言葉を理解したわけではないだろうが、小物の強がりを嘲笑うかのように喉を鳴らしてから、ギガースが一歩踏み出した。

 握り手を顔の横に置き刃を水平に、切先を相手に向ける霞の構えを取る。

 わたしの狙いは敵の攻撃を捌きながら可能な限り肉を削り取ること。

 とどめはアルフォンス伯父に任せればいい。


 ギガースが咆哮を上げ、地面を踏み砕いた。

 目に捉えられぬほどの速度で迫りくる敵の巨体。


 巨木のような腕がわたしを叩き潰そうと振り上げられる。

 まだ、まだだ。

 ギリギリまで引き付けてカウンターを食らわせてやる。


 繰り出される腐った手のひらのささくれまではっきりと見える。

 いまだかつてない集中力で、わたしは反撃の隙を待ち構えていた。


 光。  

 

 凝縮され飴のように引き延ばされた一瞬の狭間で、わたしの視界を光が焼いた。

 いや、違う。

 雷光のような一閃がどこからか打ち下ろされるのが確かに見えた。

 刃の形をした光が巨人の肩口から腰まで貫き通す様を目の当たりにした。


 まるで神の裁きのように。


 突撃の勢いのまま二つに分かれたギガースの体が背後の建物に突っ込んだ。

 水流を纏った剣を構えたまま呆然とわたしが振り返って見守る中で、あっけなく断ち割られた巨体が塵となって消えていく。


「危なかったな、精霊の姫巫女」


 声のほうへ軋む首を捻じ曲げると、緋色の輝石がはめ込まれたサークレットと光り輝く魔法鎧を身に纏った勇者が抜き身の剣を手に佇んでいた。

 自信と力に満ち溢れ、まるで彼自身が眩い光を放っているような錯覚すら起こさせる姿。

 あたかも本当に神に選ばれし者であるかのような……。


「勇者様だ……」


「助かったの?」


「勇者イェレミアス様……」


 まだ逃げていなかったのか、大通りのそこかしこから市民が恐る恐る顔を覗かせ、やがて起きたことを理解すると次第にそれは歓呼へと変わっていった。

 帝都の危機を、そして黒曜姫の命を救った勇者イェレミアスを称える熱狂へと。


「イェレ・ミアス! イェレ・ミアス!」


 市民達が節を付けて勇者の名を叫ぶ大歓声に包まれながら、わたしはその場で膝から崩れ落ちた。

 すぐにわたしを見つけて駆け寄ってきてくれたアルフォンス伯父に助け起こされるが、もはや力も入らなかった。


 すべてはこの状況を作り出すためだったということか。

 用水路に投げ込まれたハーゲンの死体、隠された地下通路、ザムエルの存在。

 それらすべてが今この瞬間のための罠だったのだ。


『勇者殿も酷なことだ』


 ザムエルは確かにそう言った。

 奴は勇者の罠のために自分の命が犠牲にされることを知っていたのだ。

 知っていてわたしたちを迎え撃ち、そして予定通り粛々と死んだ。

 今ここで起きている状況をお膳立てするためだけに。

 わたしたちもそのために利用されたのだ。


 ふざけるなよ。

 あの死闘がすべて茶番劇だったとでも言うのか……!


「怪我がひどいようだ。すぐに治療したほうがいい」


 わたしを見下ろすイェレミアスはどこから見ても好意的な顔を装って声をかけてきた。

 事実、市民には窮地に陥った黒曜姫を助けた心優しき勇者という構図にしか見えないだろう。


「幸い大聖堂が近い。フロレンツィアならば傷痕一つ残さず治療してくれるはずだ」


 後頭部からの出血のために朦朧とし始めた意識を叱咤して保ちながら、憎しみを込めて睨みつけた。


「……こんなことのためにわたしはベルントを失ったのか」


「ベルント? 誰だね、それは」


 わざとらしく首を傾げたイェレミアスは、芝居がかった仕草で指を鳴らした。


「ああ、近衛騎士の一人か。そうか、失ったということはそいつは地下で死んだのか?」


 イェレミアスの侮辱的な言葉にわたしが息を詰まらせていると、彼は屈みこんで顔を近づけ、周囲には聞こえない声量で囁いた。


「ベルントとかいう雑魚は弱いから死んだだけだ。わたしが配下に引き込む価値もないゴミだったということさ。だが、貴公は違う。生き残るだけの価値があった」


「貴様……っ!」


「直に分かるさ。それまでせいぜい無駄に抗うがいい」


 耳元でまるで睦言のように呪わしい言葉を吐いたイェレミアスは、素早く立ち上がって大通りのほうへ進み出、いまだ大合唱を続ける市民たちに両腕を掲げて応え始めた。

 魅了スキルを使っている様子もなく、純粋に目の前で起きた出来事によってイェレミアスは巧妙に市民たちの支持を勝ち得ていた。


 その背中へ斬り付けたい衝動を抑えられず、剣を杖代わりにして立ち上がろうとしたわたしをアルフォンス伯父が必死に止めた。


「いかん、エレオノーラ。今は辛抱するんだ」


「止めないでください、伯父上」


 奴を殺す。

 今ここで殺さなくては。


「駄目だ!」


「ではいつならいいのです!!」


 肩を抱いて支えてくれている伯父上の胸倉を乱暴に掴み、血反吐を吐くようにしてわたしは訴えた。


「一体いつなら……」


 抑えようとしていた涙が一筋、頬を零れ落ちる。

 そんなわたしをきつく抱き締め、伯父上も苦しそうに答えた。


「つらくとも今は退くのだ。心配いらん。機を窺い、必ず奴らには報いを受けさせる」


 伯父上の誓いにわたしも頷く。

 そうだ、必ず報いを受けさせてやる。

 必ず……。


 帝都を包み込む大歓声に紛れて誰にも気づかれぬまま、怒りと失意に苛まれながらわたしは大量の失血のために意識を手放した。

 

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