竜神教団


 謹慎から解放されたわたしはブリュンヒルデを伴って皇室魔導院を訪れていた。

 七賢者の長、樹精トルデリーゼに会うためだ。

 といっても面会のアポは取れていない。

 数百年の間七賢者の座に君臨しているトルデリーゼは、請われて人に会うなどということは原則的にしないのだ。

 そのような些末事は他の魔導士や七賢者が対応することになっている。


「で、本当に樹精トルデリーゼには面会できるの、おばあちゃま?」


 わたしが問いかけた相手はただでさえしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、「ヒェッヘッヘ」と魔女みたいに笑った。いや、魔女か。魔導士も魔女も似たようなもんだしな。


「心配おしでないよ、エレオノーラちゃん。トルデリーゼ様は確かにちょいと浮世離れされたところがあるが、世間で噂されているほどじゃあないよ。弟子の言葉に耳を傾けるくらいはするさね」


 ザスキア師の言葉に聞き捨てならないものが含まれているのに気付き、わたしは目を瞬かせた。


「弟子?」


「おや、言ってなかったかい? わたしはトルデリーゼ様から魔法を教わったんだよ。かれこれ七十年くらいになるかね。帝国最強の魔導士だなんて呼ばれるようになって久しいけど、いまだにあのお方の足元にも及ばないよ」


「……おばあちゃまってすごいのね」


「あのお方の教えを受けられたことはわたしの数少ない自慢だねぇ」

 

 樹精トルデリーゼは少なくとも数百年は七賢者の座にいる。人間社会と係わってきた年月で言うならさらに長いはずだ。

 長命種たるエルフがそれほどの長きに渡って腰を据えて人間の社会と係わりを持つことは非常に稀なこととされている。

 ゆえにトルデリーゼはヒューベンタール神聖帝国のみならずおよそ世界最強の魔法使いとして知られていた。

 ……まあ、おそらくはエルフ社会の中には我々の知らないトルデリーゼ以上の大魔法使いがゴロゴロいるのだろうが。


「で、結局あんたはトルデリーゼ様に面会して何を訊くつもりなのよ」


 詳細を知らされないままここにいるブリュンヒルデが胡乱な眼差しでわたしを睨む。

 ザスキア師との顔つなぎのためだけに連れて来られたのに腹を立てているらしい。


「まあ、ちょっとな」


「その一言だけで誤魔化すつもりなら承知しないわよ」


「そんなにむくれるな。後で埋め合わせはしてやる」


 一緒に過ごす時間を作ればおおむね機嫌を直してくれるブリュンヒルデを宥めつつ歩を進める。

 尖塔のような形状をした皇室魔導院の最上部は巨大な樹と半ば一体化した不可思議な形状をしていた。


「遠目にも異様だとは前々から思っていたが、土もないのにどうやって根を張っているんだこれは」


 巨大樹の根元には飲み込まれるような形で扉が見えている。

 まるで招き入れるように独りでに開いたそれを前に、わたしたちは顔を見合わせた。


「どうやらお会い下さるようだね。さて、ここからはエレオノーラちゃん一人だよ」


 ザスキア師の言葉にわたしは頷いたが、隣に立つブリュンヒルデは不満げにしている。


「お師匠様、どうしても駄目なの?」


「駄目だねぇ。大人しくここでお待ち」


「ま、取って喰われはしないさ」


 ブリュンヒルデの肩をポンと叩いてから、わたしは扉の中へ足を踏み入れた。


 まず最初に感じたのは、扉を潜る際の軽い抵抗。

 その感覚で自分が結界の内側に足を踏み入れたことを理解する。


 室内は温かく、いくぶんか呼吸のしやすさを感じる。

 埃っぽい帝都の空気とは明らかに異なる清浄さ。

 塔の最上部を覆い尽くす大樹の賜物か、はたまた樹精トルデリーゼの術か。


 室内をゆっくりと見回す。

 作られた時代も場所もバラバラと思しき調度品。

 年季の入った光沢に輝く黒檀の机上には背表紙を付けて綴じられた本と並んで朽ちかけた巻物が置かれている。

 古代の魔法書か、それとも手記か何かか?

 中身を見たい衝動に駆られたが勝手に触るわけにも行かず、視線を外す。


 壁面にボロボロの朽ちたタペストリー。

 そこに描かれているものに興味を引かれ、すぐそばまで近づく。


「竜と……人、いやエルフ?」


 織物のため写実的とはいかないが、充分にデザインは読み取れる。

 天に向かって炎を噴く巨大な竜。

 そしてその足元で竜に恐れおののき、両手を掲げて我が身を庇うエルフたち。

 ……いや、これは恐怖し怯えているのではなく、畏れ崇めているのか?


 その意味するところに思い当たり、眉間にしわを刻む。

 これは……。


 思案に沈むわたしの背後から唐突に言葉が投げかけられた。

 

「若き巫女は朽ちた歴史に興味がある様子……」


 深みのある低い女性の声。


 反射的に腰の剣を掴もうとする手の動きを自制し、ことさらにゆっくりと振り返る。

 黒檀の机の向こう側、赤みを帯びた紫檀の椅子に先ほどまでは確かにいなかったはずの一人のエルフが腰かけてこちらを見ていた。


 立ち上がれば膝裏まで達するであろう黄色味の強い金髪。

 薄暗い森に暮らす者特有の抜けるような真っ白な肌。

 いっそ気味が悪いほどに透き通るエメラルドの瞳。

 両の耳は先端が先細り天を向いている。

 長命と並ぶエルフの象徴。

 別人種からはナイフ耳と揶揄されることもあるが、わたしにはむしろ鋭く尖った一対の角のように見える。


 まったく気配がしなかったぞ、この化物めが。


 こめかみを汗が伝う。

 まるで目の前に人型の竜がいるかのようなプレッシャー。

 先日の会議ではともかく、自らの巣の中でなら隠す必要もないということか。


「若者を脅かすのがご趣味か?」


「暇を持て余した年寄りの道楽だ。堪忍せよ」


 トルデリーゼは己の稚気をどこまでも傲慢に釈明した。

 おばあちゃま、ではなくザスキア師は浮世離れなどと表現したが、とてもそんな言葉で片付くような御仁ではないぞ、これは。


「本日は尊師にいくつかお訊ねしたい仕儀があり――」


 わたしが言いかけると、トルデリーゼはたおやかな手を風にそよがせるように自然に掲げた。

 すると次の瞬間、間違いなく彼女が発生させた風がわたしのくちびるに触れ、わたしの言葉を掠め取って行ってしまった。


「畏まらずともよい。礼儀も不要。そびえたつ大樹の前で人の虚勢などいかばかりの意味があろうや」


 トルデリーゼが自らを大樹と称しこちらの矮小さを嘲っているのかと一瞬考えかけたが、すぐにそうではないと思い直す。

 千年を超えると噂される人生を通じて、この大賢者は人間よりも大きな存在を『識って』いるのだ。


「……教えて頂きたいことがあり訪問しましたが、ここに来て一つ質問が増えました」


「吾が耳はそなたの風を捉えておる」


 エルフ特有の言い回しに促され、わたしは自らが背にしたタペストリーを意識しながら問いかけた。


「では問いますが、朽ちたと真実お思いなのか?」


 ぎょろり。

 エメラルドの瞳が寒気のするような動きでわたしを射抜いた。


「く」


 いっそ艶めかしいほどに血色のいいくちびるが吊り上がった。

 くつくつと肩を揺らし、大賢者は確かに嗤っていた。


「どれほど長く生きても人は百年。吾はその数十倍を優に過ごしてきた。およそ人間にとっては永遠に等しい年月であろうが……、しかし誠の永遠に思いを馳せれば千年が五千年でも、五万年でも足りはせぬ」


 エルフは信じがたいほどの長命を誇る。

 だが、決して不老不死の存在ではない。

 この世にそのような存在はいない。

 唯一、殺されぬ限りこの世の終わりまで生き続けるとされる竜種を除いて。


「竜神教団……」


 ヒューベンタール神聖帝国における、魔族と並ぶ最大の異端。


「否、それよりもはるかに旧き原初の信仰。その名残に過ぎぬよ」


 恐ろしく老成した美貌に木漏れ日のような笑みを浮かべ、トルデリーゼは指先一つでわたしのそばに生ける籐椅子を生成してのけた。


「吾が小さき妹よ。瑞々しき若木よ。腰かけるがよい。そなたの風は吾には心地いい」






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

随分と長い間が空いてしまって申し訳ございませんでした。

続きです。

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