地下世界へようこそ

 勇者は一人で魔族と戦うわけではない。

 残念ながら。


 彼が率い、彼と共に戦う者たちはすべて聖騎士団と呼ばれる軍に所属する。

 教会の聖印騎士団とレーダー子爵の白羊騎士団の一部が母体となり、そこへ周辺各国の義勇兵が加わる。

 ただ一つの目的、魔族を絶滅させるという下らない目的のためだけにこれから何万、何十万、何百万という命が失われるのだ。


 何という浪費だろう。

 こんなことのために投げ出してしまえるほど彼らの、わたしたちの命は軽いものなのだろうか。


 イェレミアスは帝都で聖騎士団の形成に勤しむと共に、有望な戦い手のスカウトも行っている。これは勇者の正当な権利とされるため、皇帝陛下にも禁じることはできない。

 すでに帝国騎士団や皇室魔導院から聖騎士団へ加わった人物もいると聞くが……。


 イェレミアスが戦力あるいは駒となり得る人材を求めて活動しているのをよそに、わたしたちも失踪した混血魔族の行方を追っていた。


 そんな中、一人の騎士が死体で見つかった。

 彼は帝国騎士団の一員で、このところ連日捜査のために貧民街を訪れていた。

 名をハーゲンという。


 発見された場所は用水路だ。

 当初浮かんでいる彼の死体を見つけた者は、またいつものように酔い潰れて用水路に落ちた馬鹿が溺死したのだと勘違いしていたが、引き上げられた死者が帯剣していたこと、またここ最近貧民街で調べ物をしている騎士の顔を知っていたことから、ただちに騎士団へ通報した。

 死因は盆の窪を刃物で一突きされたこと。

 検分を行ったゴットハルトによると使用された凶器は厚みのある刃物で、貫通力に優れたものだという。

 確証はないが、聖印騎士団が好んで装備する鎧通しと呼ばれる短剣と特徴がよく似ている。

 脳幹を寸断して喉にまで達したこの傷によって、ハーゲンは即死したものと考えられる。

 そして、下手人は彼の死体をわざわざ用水路に投げ込んだのだ。


 その後いろいろと調べた結果、死の直前ハーゲンがある場所で目撃されていたことが分かった。

 貧民街の一角にある、何の変哲もない建物。


「外から見る限りおかしなところはないな」


 隣に立つアルフォンス伯父の言葉にわたしも頷く。

 貧民街の住民の話を総合すると、ここ数か月ほどこの建物をよそ者が利用しているらしい。

 見慣れない男たちが出入りするのを何人もの住民が目撃している。

 建物の中から悲鳴のようなものが聞こえてきたこともあるそうだ。


 そいつらが何者かは誰も知らない。

 しかし脛に傷を持つ者も多く暮らす場所柄、詮索しようとする住民はいなかったそうだ。


 我々はこれからそこへ侵入しようとしている。

 市街での捜査ということで鎧は身に着けず帯剣のみしているが、鎖帷子くらいは着込んでおくべきだったか。


「鬼が出るか蛇が出るか……」


 わたしの呟きを背後のベルントが拾う。


「それを言うなら悪魔か竜か、だろ?」


 世界が異なっていても似たような言い回しは存在する。

 自らの『言い間違い』を説明することなく、わたしはベルントに前に出るよう合図した。


「扉を蹴破れ」


「アイマム」


 建付けのあまりよくなさそうな木造の扉の前に立つと、ベルントは無造作な前蹴りを繰り出した。

 けたたましい音を立て、錠前が砕けた扉が勢いよく開かれた。


 剣の柄に手を添えたわたしは即座にベルントの先をすり抜け、建物内へ侵入した。

 前方と左右に誰の姿もないことを確認し、後ろの仲間たちに合図を送る。


 わたしに続いて建物内に入ってきたアルフォンス伯父やベルントたちも武器を手に各々警戒態勢を取って周囲を見回す。


「バルタザール」


 一番最後にのんびり歩いて入ってきた怠け者の従士に向かって呼びかける。


「腐った木とカビのかぐわしい香りがしますな。何日も風呂に入ってない人間の垢と汗。それに血の匂いも」


 ふんふんと鼻を蠢かせながら報告するバルタザールの顔をベルントが気味悪そうに見つめている。


「ハーゲンのものかな。血の匂いというのは」


「可能性は高いが、どうかな」


 犬のように床に這い蹲って臭いを嗅ぎ回っているバルタザールを眺めていると、他の部屋を調べていた仲間たちが最初の部屋へ戻ってきた。


「誰もいない」


「こっちもです。教会に繋がりそうな遺留物も皆無です」


 報告を聞いたアルフォンス伯父が難しい顔で顎髭をしごいた。


「証拠を消して逃げ出したか」


 ハーゲンにアジトを嗅ぎつけられ、彼を殺して証拠を隠滅し行方をくらませた。

 そう考えるのが確かに自然だ。

 だが、どうも違和感がある。


「ハーゲンはなぜ用水路で見つかったんだ?」


 わたしの疑問に皆が顔を見合わせた。今も床に這い回っているバルタザール以外は、だが。


「なぜって捨て場に困ったからだろ。実際貧民街の連中はありとあらゆるものを用水路に捨ててるぜ」


「ベルント、人の死体というのは普通のゴミとは違うんだ。だからこそ発見者は最初ハーゲンのことを誰かに捨てられた他殺体ではなく自ら落ちた馬鹿な酔っ払いの死体だと勘違いした」


「ようするにだ、エレオノーラ。なぜ犯罪の証拠をすぐに見つかるような場所へ捨てたのか、ということだな」


 アルフォンス伯父直属の騎士の一人がわたしの言いたいことを代弁してくれる。


「死体を隠そうと思えばいくらでもやりようはある。ズタ袋の一つでもあれば中身を見られずここから運び出せるし、いっそ床下に埋めてもいい。だが犯人はそれをせずあえて人に見つかりやすい用水路へ投げ捨てた。ということはつまり……」


 喋っていた騎士が意味ありげにわたしを見たので、こちらも頷いてみせた。


「用水路に捨てたのはハーゲンの死体を見つけさせるためだ。目的は警告か、あるいは罠か」


 今さら警告というのもピンとこないが、罠だとしたらここが無人なのはなぜだ? 

 思案に耽っていると足元に違和感を感じてわたしは下を見た。


「……おい、バルタザール。わたしは足を舐めろなどと命令した覚えはないぞ」


 気が付くと這い蹲ってそこら中を嗅ぎ回っていたはずのバルタザールがわたしの足先に顔を寄せて何かしていた。

 母上との一件といい部下の性癖に疑いを持つ今日この頃だ。


「姫様」


「いいから立って喋れ」


 実際に舐められてはいなくとも何だか足先がむずむずしてわたしは一歩後ろへ下がった。

 バルタザールは仲間たち全員から向けられる奇異の眼差しを意に介した様子もなく、自らが発見した重大事を報告した。


「この真下に空間があります。ちょうど姫様が立っておられる真下です」


 散々床を這い回って汚れたローブを叩きながら、バルタザールはついでのように付け加えた。


「そこに何かがいます」


「何かとは何だ、バルタザール。正確に報告せよ」


 アルフォンス伯父が苛立ったように詰問する。

 昔からどうも伯父上はバルタザールのいい加減なノリが気に食わないらしく当たりが強い。


「さて。実際に見てみないことには何とも」


「床下収納にネズミが一匹、というオチじゃないだろうな?」


 わたしの軽口に笑ったのはベルントだけだった。


 わたしが立っていた位置から離れるように皆が後ずさって場所を開けてから、伯父上が部下の二人に床板を剥がすよう命じた。

 出てきたのはちょうど人ひとりが通れるほどの縦穴であった。

 ご丁寧に梯子までついており、穴の下は仄かな明かりに照らされていた。


「……なあ、これ罠だと思うか?」


 ベルントの問いかけは誰にも打ち返されることなく、深い穴の奥へと落ちて行った。

 問われるまでもなく罠に決まっているからだ。

 だが、罠の向こうに何があるか確かめなくてはならない。


「わたしから降りる」


 名乗りを上げると即座に伯父上からダメ出しが入った。


「駄目だ。常に先陣を切ろうとするのはやめんか。わしが最初に降りるから皆は後からついてこい」


 言うなり伯父上はデカい図体を穴に押し込もうと身を乗り出したが、慌てた部下二人に押し留められた。


「いけません、アルフォンス様! こういったことは我らにお任せを」


 我が愛すべき伯父上は、こう見えて近衛騎士団の騎士たちからは非常に敬われている。

 今回現場に出てくることにもひと悶着あったのだが、結局伯父上の強い意志にヴォルフ団長が折れる形となったのだ。


「この場から一度地下を焼き払いましょうか?」


 危険な先陣を誰が担当するかで揉めているわたしたちを阿呆らしそうな目で眺めていたバルタザールが魔法杖の先に火種を生じさせながら提案した。


「おい、下に囚われた貧民とかいたらどうするんだよ。主に似てめちゃくちゃな従士だなぁ」


 呆れ顔のベルントがバルタザールを止めた。

 なんかわたしにまで罵倒の流れ弾が飛んできた気がするが、まあいい。 


「埒が明かないから俺から行くよ。副団長もそれで構いませんね?」


「……騎士ベルント。油断するな」


「言われるまでもなく」


 梯子に足をかけたベルントは剣が引っ掛からないように片手で押さえながら、躊躇いなく地下へ降りて行った。

 何事もなく下まで到着したベルントがこちらを見上げて手招きをする。


「わたしが行く。次はバルタザールだ」


 今度は伯父上も止めなかった。

 剣が引っ掛からないよう手で押さえながら、梯子の枠に足をかけて一気に滑り降りる。

 降り立った場所は部屋というより長く延びる地下通路のようであった。

 真ん中に立って両手を広げれば壁に触れられるくらいに狭い。

 この場所で剣を振るのには少し難儀しそうだ。

 石積みで固められた壁には一定間隔ごとに灯火が掲げられており、そのことにわたしは軽い衝撃を覚えた。


「地下世界へようこそ」


 軽口とは裏腹にベルントは抜剣して油断なく周囲を警戒していた。

 わたしも腰に佩いた長剣を抜き放ってベルントと背中を合わせた。

 なお普段ちょっとした外出などの際には持ち重りのしないレイピアを帯びているのだが、さすがに今日は本気モードなのでとっておきの一振りを持ってきている。

 手に入れた経緯は正直思い出したくもないが、わたしは道具に罪はないと考える性質だ。


「どぅひゃ」


 間の抜けた悲鳴と共にバルタザールが縦穴から落ちてきた。

 頑丈な梯子があるというのにどうして落ちてしまうんだ、この男は。


「バルタザール。転がってないで立て」


「お待ちを、姫様。痛たた、腰を打ってしまいました……」


 どんくさい魔法使いに呆れたような眼差しを向けたベルントがわたしにぼやいた。


「彼を連れてきたのは正解だったのかな」


「気持ちは分かるがな、ベルント。ああ見えてそこらの魔導士を十人集めたよりよほど役に立つぞ、バルタザールは」


「とても信じられないがね」


 懐疑的なベルントの視線を意に介した様子もなく、バルタザールは人差し指をしゃぶって濡らし、まっすぐ上に向けた。


「……通路に沿って空気が動いてますな」


 バルタザールの言葉にわたしも同意する。


「ああ。だからここでは灯火が使われている」


 つまりこの地下空間では換気が行われているということだ。


「しかし、何かいるんじゃなかったのか?」


「確かに何らかの気配を感じたのですが、はて?」

 

 バルタザールに続いて降りてきたのはアルフォンス伯父だった。

 窮屈な縦穴から抜け出てほっと息を吐いた伯父上は、わたしたちを見回すと力強く頷いた。


「では行くか」


「伯父上、後の二人は?」


「建物の確保のために残してきた」


 伯父上の直属の部下は騎士団の中でも選りすぐりの手練れだ。

 そういう意味で心配はしていないのだが……。


「バルタザール。守護だ」


「あいあい」


 相変わらず返事の仕方がなっていないろくでなしが魔法杖をくるりと回してから石突で足元を打った。

 不可視のヴェールがわたしたち全員の体を包み込む感覚。

 もう一度バルタザールが杖を打つ。

 すると今度はアルフォンス伯父だけを再び守護が包み込んだ。


 片眉を吊り上げてこちらをねめつけてくる伯父上に対し、わたしはウィンクしてみせた。

 なおも伯父上は何か言いたそうにしていたが、すぐに諦めたように鼻から大きな息を吹き出した。


「さて、どちらに向かう?」


 ベルントが問うと、バルタザールが通路の一方の先を指しながら言った。


「空気はあちらへ流れています」


 バルタザールが指し示した方向は東。

 貧民街は帝都の西の外れに位置するため、都の中心部へ向かうことになる。


「では逆方向からだな」


 前世の頃からマップはすべて埋めないと先へ進まないタイプの人間だった。

 そのためあえて目的地とは反対方向から探索を進めることがよくあった。

 ゲームの話はさておき、この地下空間ではどこに何が隠されているか分からない状況だ。

 虱潰しにする必要がある。


 剣を構えて警戒しながら通路を進むこと暫し、行き止まりに到達する。


「……何もなかったな」


 ベルントの言葉を無視し、わたしは周囲の壁に顔を近づけて子細に調べ始めた。


「バルタザール、わたしたちはどれくらい歩いた?」


「150歩といったところですかね」


 150歩というとおおよそ100mくらいか。

 100mもの地下道を意味もなく掘るなど労力を考えたらあり得ない。

 プログラム一つで迷宮生成できるコンピュータゲームと違い、ここは現実だ。


「あの建物から西へ150歩歩いたとすると、ここは城壁の外だな」


 伯父上の言葉を聞き、真上を見あげる。

 灯火には天井まではっきり照らし出すほどの光量はない。

 仕方がないので魔力視を用いてみるが、特段変わったところは見つけられなかった。


「わたしでは分からんな。ベルントはどうだ?」


「お前に分からないのに俺に分かるわけないだろ?」


 はなっから諦めたようなことを言うベルントだが魔力視は発動しているようなので本当に分からないらしい。


「……うっすらとですが魔力痕がありますな」


 莫大な魔力を籠めたせいでバルタザールの眼球は奥から光を放っている。

 シュールにも程があるな。

 正直こんな状況でなければ噴き出していたところだ。


「縦穴を塞いだ痕跡か?」


「おそらく」


 アルフォンス伯父の問いにバルタザールが頷く。


「塞がれた場所を開けられるか?」


「さすがに起動キーがないと困難と言わざるを得ませんな。実に興味深い魔術式です。教会にこれほど優れた魔法使いがいようとは」


「感心してる場合じゃないだろ。副団長、スキルで穴をぶち抜きますか?」


「いや、騎士ベルント。この手の術式が施された場所を物理的に突破するのは容易ではないのだ。残念だが現状は手の出しようがないな」


 貧民街から西、城壁の外か。


「引き返そう」


 これ以上この場でできることはない。

 来た道を引き返し、元の縦穴の下から合図を送って地上の二人が無事であることを確認すると、今度は反対方向へ進み始めた。


「……腐臭がしますな」


「気のせいじゃなかったか」


 歩き始めてからしばらくして、バルタザールがぽつりと呟いた。

 ベルントが忌々しげに応じる。


「伯父上、この地下通路の直線上には何があると思いますか?」


「確信はないが、ボルツ大聖堂ではないかと疑っておる」


「わたしと同じ考えですね」


 ボルツ大聖堂から帝都の城壁の外へ秘密裏に抜けられる地下通路。

 あり得そうな話だ。


「この臭い、地下墓地とでも繋がっているのかね」


「かもしれんな」


 かなりの距離をわたしたちは進んでいた。

 途中いくつかの部屋はあったが、どこも無人だった。

 唯一見つかったのは古ぼけた聖書が一冊のみ。博識な伯父上によるとおよそ三百年程前の古い版だという。


「普段からここを使っているなら、とうに回収されていそうなものだが……」


 首をひねるアルフォンス伯父。


「通路の様子からして再び使われ出したのはここ最近のことだと思います」


 バルタザールが通路の隅の方を指し示しながら指摘する。

 薄暗くて分かりにくいが地下通路はかなり風化しており、長い間管理されていなかったのは確かなようだ。


「それにきっとここを使う奴らは殺しや女にしか興味がなくて、聖書になんて見向きもしないんですよ」


 聖印騎士を揶揄するベルントの言葉に一同押し黙った。

 ベルントも言葉が過ぎたと思ったのか、気まずそうに眉を掻いた。


「……先に断っておくが、もしこの先で強姦現場を発見したら犯人は殺す。何があろうと、相手が誰であろうとだ」


「エレオノーラ」


 アルフォンス伯父が気遣わしげにわたしの名を呼ぶが、考えを変えるつもりはない。

 わたしは強姦が大嫌いなんだ。本当に大っ嫌いなんだ。

 前世で男だった頃からそうだが、今世ではその言葉を聞くだけで体が震えるほど怒りが湧き上がってくる。

 ……たぶん、これは恐怖なのだろう。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――お話の展開的にちょっと重要な部分なので、キリのいい場面までの内容を四話に分けて投稿します。

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