第5話  Midnight Sun(昶日)

もし全てが無の世界があるのであれば、それは湯船に使っているときの感覚に違いない。


湯気に包まれ、結露した鏡に雫が流れる。


「私は今、病んでいるのだと思う? 睡眠薬に高用量の抗うつ薬。見えない病。私は...治るのかな」


寮に併設された温泉。深夜というだけあって私達以外誰もいない。湯船に浸かり足を伸ばしても余るほどに湯船は広い。


不安に怯える彼女に、私はどこを見るわけでもなく軽く目を閉じる。


「もう、正常がわからない。私って」


彼女が続きを言わないように目に手を当てがう。

「目を閉じて、湯の暖かさを感じる。何が正しかったのか何て妄想でしか無い。 私だって、今 生きている事自体おかしいのよ? 本来なら消されていてもおかしくなかった」


閉鎖都市にいた私は処分に困るから現状維持させているような状態だった。ネットワーク全体に影響を波及しかねない因子だったのだから。


それでも偶然にもこうして生きている。死んでいないだけかも知れないが。


「私ね。子役時代から利益や出世に欲まみれた大人たち そして同じような子供達に囲まれいたの。最初はその事に気づかなかった。だけど、アイドルになって ある日突然芸能界に入った同期のメンバーの存在がきっかけで 私の周りには私の事を資産としか見ていない者たちと妬みや尊敬・侮蔑の眼差しの人しかいないことに気がついたの。 だから、凪咲みたいに純粋に思い合える友達っていないと思っていたの」


手を振りほどいて振り返った彼女は、初めて会ったときの彼女そのものだった。


目の下の濃いクマこそあるが、本来の彼女だった。


心の病がいつ治るかだなんて誰にも分からない。だけど 時間も世界も無情に進み続ける。割り切ってしまうのも手なのかもしれないが、騙されたり 惑わされたりしなければ 自然に解決するような、ある意味では長い人生の一つの章なのかもしれない。


「風呂は命の洗濯というらしいけど、本当でしょ」


うん。頷く彼女に私は微笑んだ。


・・・

深夜3時

ウトウトとしている烏森の横で私は寮のコンセントに併設されているLAN端子にワンボードコンピュータを用いて自作した電脳との変換器を介してネットワークにアクセスしていた。


VPNを介して国外の閉鎖都市の研究機関にあるサーバー経由で彼女の端末に残るアクセスデータを解析して送り主や撮影者を調べている。


アニメや小説で見るような近未来的なものではなく、大きな工場のプラントにいるような感覚で私は電脳とインターネットにシームレスに繋がっている。サーバーやメインフレームにアクセスしてはアクセス元のアドレスや情報を記憶して、相手先の区画へと行く。


通路には無数の配線が。そして鍵がかかった無数の部屋にはデータがそれぞれ張り巡らされ、電脳の機能をフルに活用しては、処理を行う。


「あった」

小さな声で私は嬉しさをかみしめた。


彼女が初めてメッセージと共にメンバーとの仲違いで言い争っている映像が送られてきた際のアドレスを元に調べると、多くの暗号化や保護をしてはいるものの復号化は完了できた。


―佐久間優子【低気圧少女所属会社副社長】

―中津賢志郎【同、取締役・プロデューサ】

1つのアドレスを2台の端末を使用しているらしい。安直に考えれば共犯だろうか。


私自身初めて、自分の能力を使用するという無謀な事をしているのだが アニメや小説で描かれる未来的な物などなく、感覚的なものが占める物が大きかった。だからこそ、説明書もマニュアルも無いのにも関わらず扱えてしまうのだ。初めて自転車に乗れるようになったときのような感じだ。


溜息をついつてはどうしようかと考えた。


仕返しや報復だなんて容易だし、いつだって出来る。ただ、完全に平静を取り戻すとなると話は別だ。


カビが生えた浴室。

塩素でカビをきれいにしたとしても、わずかでも残っていれば復活てしまう。仮に、すべてのカビをきれいにしたとしても、カビが生える原因を取り除かない限りは繰り返しだ。


今回の件だってこの二人の端末やアカウントを消したりして、記録を消すことやリークして二人の社会的価値に制裁をすることも可能だが、根本的にメンバーやスタッフそして彼女自身の原因を処理しなければ無駄な事になるのはわかりきっていた。


せいぜい、このアカウントから情報が漏れないようにデータを監視するくらいしかない。


それでも最終兵器は使わない。


「凛が...本人がどうにかするしかないのかしら。もっといい方法があればいいのに」


眠たくなった目をこすりつつウトウトと机に突っ伏す。


微睡んだ中で、兄が私に言っていた事を思い出していた。それは、私の進路だった。

「喜ばしいことに残念だが、君の進路は決まっている。政府の犬として、諜報局に務めるんだ。だけど、高校卒業までは待ってくれるようだから 最後の自由を楽しむといいよ」

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