第34話 この時代に来た理由

 欅の下で朝陽と並んで座る。もとの時代に帰る瞬間を待っていると、不意に朝陽の瞳がこちらに向いた。


「前にさ、私がタイムスリップしてきた理由を聞いてきたよね。もう最後だし、教えてあげるよ」

「いいのかよ。そんなこと話して」

「大丈夫だよ。未来の重大機密を漏らすわけではないし」


 朝陽は悪戯っ子のように、にやりと笑った。


「暇つぶしがてら、聞いてやるよ」

「何それ! 全然興味なさそう」


 素っ気ない返事をした俺に文句を言いながらも、朝陽はこの時代に来た経緯を語り始めた。


「この時代に来た理由はね、高校時代のパパを見たかったからだよ」


 思いがけない言葉が飛び出して、朝陽の顔を凝視してしまった。俺が話に食いついてきたのを見て、朝陽は満足そうに笑った。


 なんで俺なんかのために、と口を挟みたくなったが、寸でのところで飲み込む。そのまま朝陽の話に耳を傾けた。


「未来のパパはね、いつも仕事で疲れて帰ってきて、趣味なんて一切ありませんっていう感じのつまらないおじさんなの」


 つまらないおじさん、というワードが地味に刺さった。信じたくないが、娘のこいつが言っているんだから事実なのだろう。


「パパって何を楽しみに生きているんだろうってずっと謎だったんだけど、一ヶ月くらい前にね、押し入れからA4サイズのノートを見つけたんだ。はじめは仕事用のノートかなって思ったんだけど、そこには小説が書いてあったの」


 その話は以前も聞いた。だから朝陽は、この時代の俺が小説を書いていたことを知っていたんだ。


 勝手にノートを盗み見た朝陽に文句を言おうと思ったけど、俺が抗議するよりも先に朝陽が話を続けた。


「ノートは五十冊以上あったんだけど、その中の一冊を読んでみたんだ。内気な女の子が人の心を読める男の子と出会う話。覚えてるよね?」


 覚えているに決まっている。その物語は、ちょうどこの時代で書いていたのだから。


「パパの小説、あまりに純粋すぎて読んでいるこっちが恥ずかしくなった。だけど最後はうるっときた。感情の起伏の少ないパパが、こんな純愛小説を書けるなんて、信じられなかったよ」


 こいつの口から小説の感想が出てくるなんて思わなかった。小恥ずかしくて顔が熱くなった。


 そして夢を諦めた後も、小説を押し入れに保管し続けた未来の自分を呪いたくなった。そんなもの、さっさと処分してしまえば良かったのに。


 だけど処分できなかった気持ちも理解できる。捨ててしまったら小説を書いていた事実ごと失うような気がしたからだ。


 小説を読まれた引け目から朝陽の顔を見られなくなったが、そんな俺の心境を知らない朝陽は話を続けた。


「小説を見つけた日の夜、パパに聞いてみたんだ。『なんで小説を書くのを辞めたの?』って。そしたらパパはね、『書けなくなったから』って答えたの。その言葉を聞いた時、私のせいだって気付いたんだ」


 朝陽は目を伏せて、自嘲気味に笑った。


「パパがいつも疲れているのは、私のせいだから。夜遅くまで仕事して、私の世話までしていたら、疲れるのは当然だもん。私がいるせいで、パパは小説を書けなくなったんだと思った。だから私は、家出したんだ」

「は?」


 黙って話を聞いていたが、最後の一言で思わず聞き返してしまった。


「どうしてそこで家出しようって発想になるんだよ?」

「パパにはパパの人生を生きてほしかったから。私がいたらパパは自由に生きられない」


 朝陽の考えは理解できるが、それはあまりに極端な手段に思えた。もっと他にやりようがあっただろう。


 続く朝陽の言葉で、俺はさらに頭を抱えることになる。


「家出した私は、一人で東京に出た。しばらくはネットカフェを渡り歩いていたけど、だんだん貯金が少なくなって、バイトを始めようと思ったの。割のいいバイトを探していたら、治験のバイトを見つけて、行ってみたらタイムスリップの実験体になるバイトだったってわけ」


 家出した朝陽の暮らしを想像すると、頭がクラクラしてきた。


 女子高生が一人で東京に出て、ネットカフェを渡り歩き、挙句の果てに怪しいバイトに手を出すなんて、あまりに危険すぎる。何かあったら、どうするつもりなんだ。


「とんだ不良娘だな」

「あっはっは! そうかもね」


 危機感のまるでない朝陽は、軽く笑い飛ばしていた。未来の俺はどんな育て方をしたんだ。


「話に戻るね。タイムスリップできる時間軸は、いくつか候補があったんだけど、その中でも私はこの時代を選んだんだ」

「この時代って、特に何もないだろう?」


 咄嗟に尋ねると、朝陽の赤みがかった瞳がこちらを捉えた。


「私はね、パパがちゃんと青春しているところを見たかったの。私のためじゃなくて、自分のために生きている姿が見たかったんだ」


 その言葉は、あまりに真っすぐだった。瞳の色や声のトーンが、先ほどの日和と重なる。自分の意思を言葉にしようとするときの仕草はあまりに似通っていた。


 やっぱりこいつは、日和の遺伝子を受け継いでいるのだと実感した。


「見たかったものは、見られたのか?」

「思っていたのとはちょっと違ったけど、見られたよ」


 朝陽は弾むような口調で嬉しそうに答えた。


 安堵した次の瞬間、二人の間に黄緑色の淡い光が浮かんだ。この時代にタイムスリップする前に見た物体と同じだ。


「そろそろタイムリミットのようだね。一緒に未来に帰れるように、手を繋ぐね」


 朝陽は俺の右手にそっと触れ、包み込むように握りしめた。突然の出来事に驚きつつも、朝陽の手を握り返す。そして呼吸を整えながら、その時を待っていた。


 身構える俺とは裏腹に、朝陽はまだ呑気にお喋りをしていた。


「この時代でママに会えてよかった。パパには勿体ないくらい、素敵な人だったね」


 無邪気に微笑む朝陽に、なんと返したらいいのか分からなかった。ただ胸の奥がキリキリと痛んだ。何も答えられずにいると、朝陽が言葉を続けた。


「ママはさ、パパと一緒にいるときが一番幸せそうだったよ。だからさ、もし未来で死んじゃうって分かっていたとしても、パパと生きる道を選ぶんじゃないかな?」


 そんなのは、都合のいい思い込みにすぎない。現実を正当化させるための詭弁だ。俺は一生、日和に負荷をかけた十字架を背負っていかなければならない。


 俺の考えは揺らぐことはない。だけどこの瞬間だけは、そんな都合のいい妄想をしても許されるような気がした。


「そうだといいな」


 強張った頬を少しだけ緩めた。上手く笑えているか分からなかったけど、朝陽が笑い返してくれたから、それなりに笑えていたんだろう。


 光の粒は、だんだんと数を増す。川辺に蛍が集まっているようだった。光を見ていると、少しずつ意識が遠のいていく。あの時と同じだった。


 薄れゆく意識の中、朝陽が問いかけた。


「そろそろ時間だけど、何か言い残したことはない?」


 俺は考える。朝陽に言いたいことは、すぐに思いついた。


「さっさと家に帰れ。未来の俺は、死ぬほど心配しているだろうから」

「うっわ! 最後の最後に父親じみたことを言ったよ!」


 朝陽は溜息をつきながらも頷いた。


「分かったよ。このバイトが終わったら、一度家に帰るよ」

「ああ、そうしてやってくれ」


 未来の俺は、朝陽がいなくなったことで相当焦っているだろう。つい先日の俺がそうだったんだから、未来の俺の心境も容易に想像できる。


 未来の俺がパニックのあまり先走った行動をとる前に、さっさと帰ってあげて欲しい。それからのことは、二人で話し合えば解決策が見つかるはずだ。


 未来の俺達が分かり合える日を願いながら、ゆっくりと目を閉じた。意識を手放す直前、朝陽の声が聞こえた。


「未来でも、また小説を書いてね」


 無茶言うなよ。日和がいなくなったんだから、俺はもう書けない。


 そう言い返したかったが、言葉にはならなかった。俺はそのまま、意識を手放した。


◇◇◇


ここまでをお読みいただきありがとうございます!

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作品ページ

https://kakuyomu.jp/works/16817330658159054809


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ここから先は圭一郎がもとの時代に戻った後の話が続きます。

「タイムスリップしたことで未来に変化があったのか?」「もしかして日和は生きているのでは?」といった疑問も明らかになるので、最後まで見守っていただけると幸いです。

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