第31話 忘れないよ

 二人が屋台に向かった直後、腹の底まで響き渡るような音と共に花火が打ち上がった。その瞬間、歓声が沸いた。


 花火は大きく花開き、光の粒を散らしながら消えていく。はじめの一発を皮切りに、次々と花火が打ち上がった。


 低空で細かく打ち上がる色とりどりの花火。そこからやや高度を上げた場所では、大型の花火が華々しく煌めいていた。


 みんなが花火に見惚れている隙に、俺は声を潜めながら呼びかけた。


「なあ、朝陽。そこにいるのか?」


 俺の隣には誰もいない。だけど一縷の望みにかけて、呼びかけてみた。


 案の定、返事はない。

 こんなのは想定内だ。俺は朝陽が隣にいることを信じて、言葉を続けた。


「お前の存在が消えかけているのは、多分俺のせいだ。日和と透矢をくっつけようとしたから、こんなことになったんだと思う。本当に申し訳ない」


 俺は小さく頭を下げる。反応はないが、言葉を続けた。


「お前が未来でどう聞いているのか分からないが、日和が死んだのは俺のせいなんだ。仕事も育児も全部日和に押し付けて、俺は叶いもしない夢に執着していた。そんな状態だったから、無理が祟って事故を起こしたんだ」


 未来の俺は、本当のことを朝陽に伝えていたのだろうか?


 もし、このタイミングで初めて聞いたのなら、確実に失望をするだろう。ろくでもない父親だって、軽蔑されるかもしれない。それだけのことを俺はしたんだから。


 過去の自分を憎みながら、懺悔を続けた。


「日和と透矢が付き合っていれば、日和が死ぬことはなかった。だから俺は、この時代で二人をくっつけようとしたんだ」


 きっかけは、そんな安易な考えからだった。だから失敗したんだ。


「でも、日和と透矢がくっついたら、お前が生まれることもないんだよな。俺はそんな当たり前のことにも気付かなかったんだ。本当に馬鹿だよな」


 自分の馬鹿さ加減に、呆れを通り越して、笑えてきた。

 悲しいのか、可笑しいのか、悔しいのか、自分の感情が分からなくなった。


「俺はろくでもない父親だ。この時代に飛ばされてくる直前だって、俺はお前のことを実家に押し付けようとしていたんだ。どうしようもねえよな」


 自虐することはいくらでもできる。でも、それだけでは朝陽を救えないことも分かっていた。


 自分がどうするべきなのかは分からないけど、はっきりと伝えられることは一つだけあった。


「俺はろくでもない父親だけどさ、お前が生まれてこなければ良かったと思ったことは一度もない」


 その言葉に嘘はない。


 たしかに俺は、朝陽と関わることを恐れていた。扱いを少し間違えただけで、壊れてしまいそうな小さな命が怖かったからだ。


 気が狂ったように泣きわめく朝陽を前にして、鼓動が早くなった。泣いている原因が分からず、パニックになっていた。


 幼い朝陽を怖いと感じる瞬間は、数えきれないほどあった。


 だけどそれだけではない。朝起きて、朝陽がいつも通り呼吸しているだけで、心の底から安堵した。


 生まれてこなければ良かったなんて、一度も思ったことない。それだけは、伝えておきたかった。


「未来でお前の存在が消えたとしても、俺はずっと覚えているから」


 はっきりと宣言する。

 それは朝陽への償いでもあり、自分自身の覚悟でもあった。


 未来の人間が誰一人朝陽を覚えていなかったとしても、俺だけはちゃんと覚えている。赤ん坊だった朝陽も、十七歳の朝陽も、全部覚えている。


 そうすれば、朝陽の存在が完全に消えることはないはずだから。


 自分の決意が固まった時、耳元で空気が揺れる感覚がした。

 花火の弾ける音が響き渡る。その傍らで、微かに息遣いを感じた。


 意識を集中させて、聴覚を研ぎ澄ませる。花火の弾ける音が止んだ時、言葉が聞こえた。


「わす……いよ」


 朝陽の声だ。やっぱり朝陽は、俺の隣に居るんだ。

 目を閉じて、もう一度聴覚を研ぎ澄ませると、さっきよりも鮮明に声が届いた。


「私も、パパのこと、忘れないよ」


 忘れない。俺の耳に、はっきりとそう聞こえた。その声色からは、怒りも憎しみも感じなかった。


「俺なんかの娘に生まれて来てくれて、ありがとう」


 溢れ出しそうな涙をこらえながら、感謝の言葉を絞り出す。


 らしくない言葉だということは分かっていた。だけど、心の奥底から沸き上がった感情を、伝えずにはいられなかった。

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