第25話 作り笑いが剥がれた時
試合終了後、俺は透矢の姿を探した。試合に負けたことで、あいつがへこんでいないか心配になったからだ。
外に出たところで、伊崎高校のユニフォーム集団を発見した。
選手達は手際よく荷物をまとめて、車に詰め込んでいた。つい先ほどまで試合をしていたとは思えないほど、選手達は機敏に動いていた。
その輪の中に透矢もいた。
一試合完投してヘトヘトになっているはずなのに、透矢はスポーツバッグをいくつも下げて、車に運んでいた。その表情は、悔しさなんて微塵も感じさせないほどに毅然としていた。
部外者が声をかけたら邪魔になりそうな雰囲気だ。俺は声をかけるのを諦めて帰ろうとした。
すると透矢が俺の姿に気付いた。透矢はキャプテンと一言二言会話を交わした後、俺のもとへ走ってきた。
「おう! 圭一郎、どうした?」
透矢はいつもと変わらない口調で話す。
「いや、お前が落ち込んでいるかと思って」
正直に理由を伝えると、透矢は一瞬だけ真顔になった。だけどそれはほんの一瞬で、すぐに白い歯を見せて笑った。
「俺のこと心配してくれてんの? やっぱり圭一郎は優しいな!」
透矢は俺の肩をバシンと叩くと、茶化すように笑った。
透矢は笑っている。だけど、こいつとは長い付き合いだから分かってしまう。透矢が無理して明るく振舞っていることを。
自分の感情を押し殺して笑っている透矢を見ていると、いつか壊れてしまうような気がした。
「ヘラヘラ笑ってんなよ」
体裁を整える余裕がなく、雑な言葉が飛び出す。その言葉で、透矢はぴたりと動きを止めた。
俺は他人を気遣うような性質ではない。だから、こういう状況でどんな対応をすればいいのかわからなかった。
気の利いた言い方なんてできない。俺は心の中で思ったことを、そのまま伝えた。
「悔しいなら泣けよ。話を聞くくらいなら、俺にもできるから」
透矢は表情をこわばらせる。それから周囲の視線を気にしながら、後退りした。
「お前、何言ってんだよ?」
視線を泳がせながら尋ねる。その声は、少し上擦っていた。
俺は真っすぐ透矢の瞳を見据えながら、伝えた。
「お前はよく頑張ったよ」
次の瞬間、透矢の瞳が潤んだのを俺は見逃さなかった。
「ちょっと、来い!」
怒りにも似た口調で、俺の腕を掴む透矢。早足で歩く透矢に引っ張られながら、球場から離れた。
*
建物の陰になった人気の少ない場所まで連れていかれると、ようやく腕を解放された。振り向いた透矢は、目を真っ赤に充血させていた。
「せっかく我慢してたのに、余計なこと言うなよ!」
透矢は真っ赤な瞳で俺を睨みつけていた。
「泣きたいなら泣けよ」
「泣けるか馬鹿! 俺のメンタルが弱いせいで、チームが負けたのに。先輩だって、これが最後の夏だったのに……」
透矢は俺の胸を軽く小突く。その乾いた頬に、涙が伝った。
「俺は弱い。こんなんじゃ、全然ダメなのに……」
肩を震わせ、唇をかみしめる。透矢は堰を切ったようにボロボロと涙を零した。
作り笑いが消えて、透矢の本音が現れた。無理して笑っているよりも、そっちの方がよっぽど健全に思えた。
呼吸とともに上下する透矢の背中を、俺はそっとさすってやった。
過去の俺は、透矢の心の内まで踏み込むことはなかった。あの時は、透矢の苦しみを見て見ぬふりをした。部外者だからと割り切って、遠くから透矢を眺めていたんだ。
だけどいまは放っておけなかった。理由ははっきりとは説明できない。
日和から透矢の事情を聞かされたからだろうか?
それとも、朝陽のお節介がうつったからだろうか?
理由は分からないけど、過去に飛ばされたことで、作り笑いが剥がれた本当の透矢と出会えた気がした。
背中をさすりながら、ゆっくりと透矢に語りかける。
「七回の表で透矢が打席に立った時、明らかに試合の流れが変わった。あの時、透矢が諦めなかったから点が入ったんだ。あの時の三点は、紛れもなく透矢が作ったんだ」
「だけど、逆転はできなかった……」
たしかに逆転はできなかった。八年前と同じく、甲子園出場の夢は叶わなかった。
だけど過去を知っている俺だからこそ、はっきりと言えることがある。
過去の試合では、五回の裏で大量失点をしたタイミングで、チームは負けを覚悟していた。そこから逆転してやろうなんて気概は感じられなかったんだ。
俺はまともにスポーツに打ち込んだ経験がないから確かなことは分からない。
だけど、最後まで全力を出せた事実は、途中で諦めた事実よりも、ずっと価値があるものなんじゃないかと思う。
ここにいる透矢は、最後まで諦めなかった。結果が同じだったとしても、八年前の透矢とは違う。
「試合には負けたけど、最後まで戦った。お前は、弱くなんかねえよ」
その言葉に嘘はない。最後まで懸命に戦った透矢は、決して弱い存在ではなかった。
透矢は俯きながら肩を震わせる。そして小さく呟いた。
「ありがとな、圭一郎」
俯いた透矢がどんな表情をしているのかは分からない。だけど透矢の声からは、憑き物から解放されたような安堵が滲んでいた気がした。
とりあえず心配事は一つ解消した。そこで、もう一歩踏み込んでみた。
「お前さ、日和のことが好きなんだろう?」
透矢はバッと顔を上げる。その表情からは、驚きと焦りが浮かんでいた。
「は? 何だよ急に」
ぶっきらぼうに言い返しながらも、透矢の頬はみるみるうちに赤く染まっていった。
それはもう、好きと認めているような反応だ。分かりやす過ぎる反応に、思わず笑ってしまった。
だけどここで茶化したら、話をうやむやにされそうだ。俺は真剣さを装いながら尋ねた。
「うちに来た時に言ってただろう。甲子園に出場したら日和に告白するって。あれは冗談じゃなかったんだろう?」
「冗談だって言っただろう? なんでいまさら掘り返してんだよ!」
「お前、冗談でそういうこと言うやつじゃないだろう?」
そう指摘すると、透矢は押し黙った。それから落ち着きなくその場をうろうろしながら、頭を掻きむしる。
透矢の出方を伺っていると、諦めたように大袈裟に溜息をついた。
「好き、だよ……。悪いか?」
透矢は真っ赤な顔で、再びこちらを睨みつける。意外にもあっさり認めたことに、俺の方が戸惑ってしまった。
「いや、悪くはねえよ……」
「だったらいちいち聞くなよ、馬鹿!」
透矢は不貞腐れたようにそっぽを向いた。
気まずい空気が二人の間に流れる。先に沈黙に耐えられなくなったのは透矢だった。
「もう用がないなら、俺は戻るぞ! じゃあな!」
透矢は早足で球場に戻ろうとする。俺は咄嗟に透矢を呼び止めた。
「待てよ!」
透矢は立ち止まる。その背中に願いを預けた。
「お前さ、日和に告白しろよ」
目を見開きながら振り返る透矢。思いがけない言葉を投げかけられて、戸惑っていた。
「俺、試合に勝ったら告白するって言ったんだけど?」
「それはお前が勝手に決めたことだろう? 日和にも俺にも関係ない。日和にはお前みたいな男が必要なんだ」
心の中でずっと思っていたことを、初めて口に出した。日和の傍にいるべきなのは俺じゃない。過去にタイムスリップしてから、何度もそう思っていた。
だけどなぜだろう?
本心だったはずなのに、言葉にした途端、胸の奥が空っぽになる感覚になった。
透矢は俺の真意を探るように、真っすぐ見つめる。
「圭一郎は、それでいいのか?」
透矢は静かに問いかけた。その問いかけに、俺はゆっくり頷いた。
「ああ」
俺の返事を聞いた透矢は、僅かばかり目を伏せた後、球場に向かって歩き出した。俺に背中を向けたまま、決意に満ちた声で呟いた。
「三日後の花火大会で、日和に告白する」
透矢は俺の返事を待つことなく、球場へ向かって走っていった。
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