第26話 取り返しのつかないこと
透矢と別れた後、俺は朝陽の姿を探した。球場付近を探し回ったが、なかなか見つけられなかった。
「あいつ、どこ行ったんだよ……」
俺は苛立ちを浮かべながら舌打ちした。透矢と話し込んでいる間に一人で帰ったのかとも考えたが、朝陽は交通費を持っていないから一人で帰れるはずがない。
日和と合流して一緒に帰った可能性もあるが、そうだとしたら日和から連絡があるはずだ。
何の音沙汰もないということは、恐らくまだ球場に残っているのだろう。
太陽が少しずつ傾き始めている。日中と比べれば気温は下がってきたけど、球場を走り回っていたせいで、額から汗がにじんでいた。
もわんとした温かい風が頬を撫でる。その直後、微かな声が届いた。
「パパ……」
意識を集中していないと聞き逃してしまいそうな小さい声。それは紛れもなく朝陽の声だった。
俺は周囲を見渡す。遠くから声を掛けられていると感じて周囲を見渡したが、驚くことに朝陽は俺のすぐ後ろにいた。
「お前、どこ行ってたんだよ!」
やっと見つかったことに安堵しつつも、朝陽を責め立てた。
すると朝陽は、何かを喋っているように口をパクパクとしていた。しかし、その声は届かない。朝陽は泣き出しそうな表情で、何かを訴えていた。
「何ふざけてんだよ! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
俺は苛立ちをぶつける。すると、今にも消えてしまいそうな微かな声が俺の耳に届いた。
「私の……、聞こえ……の?」
声の出し方からして、わざと小声で喋っているわけではなさそうだ。むしろ、叫んでいるように見えた。
しかし、俺の耳に届いたのは、蚊の鳴くような小さな声だけ。その不可解な現象に、俺は呆然とした。
俺の耳がおかしくなってしまったのか?
指先で一度耳を塞いでみた。それからもう一度耳を澄ませてみる。
不思議なことに周囲の音は、はっきりと聞こえた。
子どものはしゃぎ声も、車のエンジン音も、アブラゼミの鳴き声も。それなのに朝陽の声だけは、聞き取れなかった。
朝陽はもう一度、口元を動かす。
「ずっと……、隣……たんだよ」
ずっと隣にいたんだよ。そう言っているように聞こえた。
「お前、ずっと隣にいたのか?」
そう聞き返すと、朝陽は何度も頷いた。
ずっと隣にいたなんて、ありえない。俺はさっきからずっと、朝陽の姿を探していたのに。
頭でいくら考えても、この不可解な現象の説明はつかなかった。
「とにかく、帰ろう」
そう言って、朝陽の腕を掴もうとする。きちんと掴んだはずなのに、俺の手は空気を掴んだだけだった。
驚きのあまり、俺は呼吸をするのも忘れそうになった。目の前に佇む朝陽を見つめる。すると、朝陽の身体が透けていることに気が付いた。
朝陽の身体越しに、向こうの景色が透けて見える。前回の試合終わりと同じ現象だった。
「お前、また透けてるぞ!」
咄嗟に朝陽の肩を掴もうとしたが、またしてもすり抜けてしまった。
朝陽の声が聞こえない。身体にも触れられない。一体どうなっているんだ?
半透明になってしまった朝陽の身体を凝視していると、再び微かな声が届いた。
「私、……ちゃうの……な」
「なんて?」
「消えちゃう……な?」
朝陽は声の限り叫ぼうとする。しかし届いたのは、やっと聞き取れるほどの声量だった。
消えちゃうのかな?
朝陽はそう言った気がした。耳を澄ませていると、さらに声が聞こえてきた。
「過去が……たから」
「聞こえねえよ!」
「過去が、変わった……ら」
言葉の意味を理解した時、全身の力が抜けていった。
過去が変わったから、朝陽が消えかかっている。朝陽はこの現象を、そう解釈しているのだろう。その解釈には、俺にも思い当たる節があった。
朝陽は、俺と日和の間に生まれた子どもだ。俺と日和が付き合ったから、朝陽が生まれた。そんなのは、誰にでもわかる理屈だ。
だけど俺は、その前提を変えようとした。
俺なんかと一緒にいたせいで、日和が死んだ。そんな罪悪感から、日和と透矢とくっつけようとしたんだ。
この時代で日和と透矢が付き合えば、朝陽が生まれてくることはない。未来が変わりかけたせいで、朝陽の存在がなくなろうとしているんだ。
この状況を招いたのは、間違いなく俺だ。
取り返しのつかないことをしてしまった。いまさら後悔したところで、朝陽の身体がもとに戻ることはなかった。
「俺の、せいだ……」
俺はその場に崩れ落ちた。アスファルトに崩れ落ちた振動が膝に伝わる。朝陽は今にも泣きそうな表情で、俺を見下ろしていた。
その直後、俺達の間に突風が吹いた。木々の葉がそよそよと音を立てて揺れる。木々のざわめきよりもずっと小さな音で、朝陽の声が聞こえた。
「パパ……」
その声を最後に、朝陽の姿は認識できなくなった。
朝陽がいなくなったこと以外は、何ら変わらない景色が広がる。朝陽がいた場所に手を伸ばしても、空気を掴むだけだった。
次の日も、そのまた次の日も、朝陽が俺の前に現れることはなかった。
◇◇◇
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作品ページ
https://kakuyomu.jp/works/16817330658159054809
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物語はいよいよクライマックスに入ります。「消えてしまった朝陽がどうなるのか?」「日和が亡くなる未来は回避できるのか?」等々、最後まで見届けていただけると幸いです。
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