第21話 ひまわり畑

 電車に揺られながら、窓枠に頭を預ける。車窓からは長閑のどかな風景が広がっていた。


 目の前には見渡す限りの田んぼ。黄緑色の苗と群青の空の色が相まって、瑞々しい夏の景色が広がっていた。


 ぼんやりと景色を眺めていると、向かいのシートから日和が声をかけてきた。


「電車、ガラガラだね」


 日和の言葉につられて、車内を見渡す。二両編成の短い電車には、数えるほどの乗客がいなかった。


 俺達が住んでいるのは、車がなければ生活が成り立たない地域だ。高校を卒業すれば、誰もが当たり前のように車の免許を取得する。だから電車に乗って移動するのは、学生が大半を占めていた。


 そんな学生たちも、夏休みは家でのびのびと過ごしている。その結果、電車内は閑散としているのだ。


「ガラガラの方が静かでいいだろう」


 そう返事をすると、日和はフフっと小さく笑った。


「それもそうだね」


 日和は笑顔を浮かべたまま、隣に座る朝陽に話を振った。


「そういえば、朝陽ちゃんってどこから来たの?」


 急に話題を振られた朝陽は、驚いたようにびくっと肩を震わせた。


「どこから……」


 朝陽は目を泳がせる。日和の質問にどう切り返すか、必死で頭を回転させているようだった。


 それもそのはずだ。同じ地域に住んでいると正直に答えれば、どこかできっとボロが出る。この時代と朝陽のいた時代とでは、町の様子は変わっているはずだからだ。


 万が一地元トークでも始まったら、どこかで食い違いが起きるに決まっている。


 答えに詰まる朝陽に、俺は助け舟を出す。


「かなり遠いところから来たんだよな」


 俺が口を挟むと、朝陽は「それだ!」と言わんばかりに目を見開き、大きく頷いた。


「そうそう! ここよりもずっと遠くから来ました! もう、ここに来るまで大変だったんですから!」


 ずっと遠くというのは、あながち間違いではない。こいつは時空を超えて、ずっと遠くの未来からやって来たんだから。


 雑な返しにはなってしまったが、日和を納得させるには十分だった。


「やっぱりそうなんだ! 朝陽ちゃんみたいな可愛い子がいたら、地元で有名人になっていたはずだもん! だけど私も透矢も、野球部の人達も、みんな朝陽ちゃんのことは知らなかったから、きっとこの辺りの子ではないんだろうなって、思っていたんだぁ」


「そんな……私なんて全然可愛くないですよ」


 不意に褒められた朝陽は、頬を赤らめて謙遜した。すると日和は、朝陽をまじまじと見つめた。


「いや、朝陽ちゃんは可愛いよ! 正直ね、今まで出会った女の子の中で、一番可愛いと思っているくらいだもん」

「大袈裟ですよ! ほら、圭一郎くんからも言ってやって!」


 日和に褒められた朝陽は、助けを求めるように話を振ってきた。日和につられて、俺も朝陽をまじまじと見つめる。


 ほんのり赤みがかった大きな瞳に、形の整った鼻筋。目鼻立ちのはっきりした顔立ちは、美人と呼べる部類に入るだろう。


 初めて会ったときは、派手なギャルという印象だったけど、ここ最近は明るい髪色にも耳元で主張するピアスにも慣れてきた。ギャルという偏見がなくなれば、そこそこ可愛い女子高生に見えた。


「まあ、可愛い方なんじゃないか?」


 俺は素直に感想を伝えてみる。すると朝陽は、ますます顔を赤くした。


「もう! 圭一郎くんまで揶揄からかわないでよ!」


 朝陽は両手で赤くなった頬を抑えながら、バタバタと足を動かしていた。



 バスと電車を乗り継いで、約一時間かけて目的の駅に到着した。改札には駅員の姿はなく、ホームは三両程度の電車しか収まらないほどに短かった。


 天井を見上げると、柱の隅に蜘蛛の巣が張っている。木造の駅舎は、嵐が来たら吹き飛んでしまいそうなほどに年季が入っていた。


 ここから先は、徒歩でひまわり畑に向かう。電車内でこっそり調べた情報だと、坂道を登った先にひまわり畑があるらしい。


 傾斜のある坂を息を切らしながら登る。炎天下の中、坂道を登り続けるのは気が遠くなりそうだった。


「暑い……」


 朝陽が額に汗をかきながら、悲痛の声を上げる。すると日和が朝陽の後ろに回り、背中を押した。


「もう少しだよ! 頑張れ、頑張れ!」


 日和は朝陽の背中を押しながら、登りをサポートする。日和に押されるままに、朝陽は坂を登っていた。


 日和はなんだか楽しそうだ。日和だって暑くてしんどいはずなのに、どうしてそんなに笑っていられるのか?


 不思議に思いながらも、せっせと坂を登る二人を追いかけた。


 坂を登り切った先には、金色のひまわり畑が広がっていた。整列するように植えられたひまわりは、一様に太陽を見上げていた。


 ひまわり畑とカラッと晴れた夏空のコントラスト。それは、ここまで坂を登ってきた疲れを吹き飛ばすほどに美しい景色だった。


「わあ、すごい! ちょうど見ごろだねぇ」


 日和は瞳を輝かせている。その声は、いつも以上に弾んでいた。


「すごい! めっちゃ綺麗!」


 朝陽も瞳を輝かせる。その眼差しが日和と瓜二つだったせいで、俺は思わず噴き出してしまった。


 俺が急に笑い出したことで、日和が首をかしげる。


「どうしたの? 圭ちゃん」

「いや、お前らの反応が、そっくりだったから」


 理由を説明しても日和はピンと来ていないらしく、もう一度首をかしげていた。すると、朝陽が俺の腕を掴む。


「ねえねえ、もう少し上に登ってみようよ!」


 朝陽に腕を引っ張られながら丘を登る。丘の頂上まで達すると、ひまわり畑を一望できた。


 金色のひまわりは、自らの生命力を主張するように力強く輝いている。それは見ている人間に、エネルギーを分け与えているようだった。


 ひまわり畑に見入っていると、追いかけてきた日和から声をかけられた。


「誘ってくれて、ありがとね。圭ちゃんが誘ってくれなければ、こんな景色は見られなかったよ」


 日和は瞳を輝かせながら、ふわりと微笑む。その笑顔は、ひまわりよりも太陽よりも眩しかった。


 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。一瞬、息をするのも忘れていた。日和の笑顔に、ここまで動揺したのは初めてだった。


 日和の顔を直視できなくなり、わざとらしく視線を逸らす。それでも心臓の音は、うるさく鳴り響いていた。


「圭ちゃん、大丈夫?」


 急に黙り込んだ俺を心配して、顔を覗き込む。距離が縮まったことで、ふわりと柑橘系の香りが漂ってきた。


 その香りで、胸がギュッと締め付けられる。俺は動揺を悟られないように、背中を向けた。


「なんでもねえよ」


 声が裏返らないように返事をするのが精一杯だった。

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