第20話 デート

 透矢の試合を見届けた翌朝。


 寝ぼけ眼をこすりながら居間に向かうと、白いワンピースを着た日和が座布団にちょこんと座っていた。すぐ近くには、麦わら帽子とピクニック用のバスケットが置いてある。


 どうして朝っぱらから日和がいるんだ?


「どうした? 今日は野球部の手伝いに行かなくていいのか?」


 咄嗟に尋ねると、日和は信じられないと言わんばかりに目を見開いた。


「忘れちゃったの? 圭ちゃんから言い出した癖に!」

「なんか約束してたっけ?」


 日和の発言から推測すると、過去の俺が何らかの約束を取り付けて、日和を家に呼び出したのだろう。しかし肝心の用件は、全く思い出せなかった。


 過去の記憶を遡っていると、日和は大きく溜息をついた。


「取材だよ、取材! 小説を書くためのイメージを膨らませたいから取材に行きたいって言いだしたのは圭ちゃんでしょ! だから野球部の練習もお休みさせてもらったのに!」


 取材と言われてピンときた。そういえば、学生時代は作品作りのために、よく取材に行っていた。


 取材といってもそこまで大袈裟なものではなく、物語に登場する場所へ実際に足を運んでみるというものだ。


 書きたい情景が思い浮かんでも、本物を見なければどうしても筆が進まない。頭の中に浮かんだ情景を言語化するには、本物を見るのが一番手っ取り早かった。


 そんな小説を書くための下準備のようなものに、日和を付き合わせることもあった。一人で取材に行くよりも、日和と行ったときの方が不思議と創作意欲が掻き立てられるからだ。


 取材に行くという目的は分かったが、目的地までは思い出せなかった。俺は正直に日和に尋ねる。


「悪い。取材って、どこに行くんだっけ?」

「もう、本当に忘れちゃったの? ひまわり畑だよ!」

「ひまわり畑?」


 俺は過去の記憶を掘り起こす。


 そういえば、夏休みに日和とひまわり畑に行った記憶がある。当時書いていた小説のラストシーンで、ひまわり畑が登場するからだ。それが今日だったのか。


「あー、段々思い出してきた」

「それならよかった! 午後からだと暑くなっちゃうから、準備ができたらすぐに行こう」

「そうだな」


 俺は素直に頷いた。


 正直、ひまわり畑になんて行かずに、エアコンの効いた部屋で涼んでいたいのが本音だ。


 しかし、過去の俺がひまわり畑に行っていた以上、ここで行かないという選択をすれば、何らかの不都合が生じるかもしれない。俺は過去の自分を呪いながら、出かける準備をした。


 白のポロシャツとチノパンに着替えて、日和が待つ居間に戻る。その途中で、朝陽と鉢合わせた。


「あれ? 出かけるの?」


 朝陽は目を丸くしながら、こくりと首をかしげる。別に隠す必要もないため、俺は正直に答えた。


「ああ、日和と出かけてくる」


 すると朝陽は、にんまりと含みのある笑みを浮かべた。


「もしかして、デート?」


 明らかに面白がっている物言いだ。これ以上絡まれるのは面倒だから、俺は何も言わずに朝陽の隣を素通りした。


 その反応から肯定と受け取ったのか、朝陽は茶化すように絡んできた。


「本当にデートなんだ! ねえ、どこに行くの? 教えてよ!」


 早足で居間に戻る俺の後ろを、朝陽が鬱陶しくつけてくる。俺は朝陽の質問を無視しながら、日和が待つ居間に戻った。


 朝陽の姿を見た日和は、にっこりと微笑む。


「朝陽ちゃん、おはよう」


 日和の笑顔を真正面から受け取った朝陽は、一瞬戸惑ったように固まった。しかしすぐに笑顔を作って、ペコリとお辞儀をした。


「日和さん、おはようございます」


 朝陽は日和の前だと妙に律儀だ。恐らく適切な距離感が掴めていないのだろう。


 朝陽と日和は紛れもなく親子だけど、朝陽には日和と過ごした記憶はない。だから、日和と顔を合わせても、母親だという実感はないのだろう。


 ましてやこの時代の日和はまだ十七歳だ。母親でありながら、自分と同い年の少女に、どう接していいのか分からないのだろう。


 相手が他人だったら、割り切って友達として接することもできる。透矢とすんなり打ち解けていたのは、未来ではそこまで近い間柄ではなかったからだろう。


 しかし日和が相手だと、そういうわけにはいかない。相手が母親であるという先入観から、軽々しい態度が取れないのだ。

 日和に対して悪い感情は抱いていないけど、どこか壁を作っているように見えた。


 そんな朝陽の複雑な心境を知る由もない日和は、軽々しく朝陽に歩み寄った。


「私達、これからひまわり畑に行くんだけど、朝陽ちゃんも一緒に行く?」


 日和から誘いを受けた朝陽は、戸惑いながら俺に視線を向けた。


「え、だって、デートなんですよね? 私が付いていったら、邪魔じゃないですか?」


 珍しく朝陽が遠慮をしている。そんな朝陽の戸惑いをかき消すように、日和が微笑んだ。


「いいの、いいの! デートじゃなくて取材だし。ね、圭ちゃん!」


 こちらに同意を求める日和。とくに断る理由もないため、俺は頷いた。


「まあ、いいんじゃない。一緒に来ても」


 俺の言葉で、朝陽はパッと表情を明るくした。


「じゃあ、お言葉に甘えちゃいます! すぐに準備するので待っててくださいね!」


 弾んだ声でそう告げると、朝陽は客間へ走っていった。

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